衆議院会議録情報
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0512/01608030512035c.html
第016回国会 本会議 第35号
昭和二十八年(1953年)八月三日(月曜日)
議事日程第三十四号
○議長(堤康次郎君)
日程第六、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案を議題といたします。
委員長の報告を求めます。
海外同胞引揚、及び、遺家族援護に関する、調査特別委員長、山下春江君。
〔山下春江君登壇〕
○山下春江君
ただいま議題となりました、
戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案について、
海外同胞引揚、及び、遺家族援護に関する調査特別委員会における
審議の、経過、並びに、結果を、御報告申し上げます。
まず、決議案文を朗読いたします。
戦争犯罪による受刑者の、赦免に関する、決議
八月十五日、九度目の終戦記念日を迎えんとする今日、
しかも、独立後すでに十五箇月を経過したが、
国民の悲願である、
戦争犯罪による受刑者の、全面赦免を、
見るに至らないことは、
もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、
国際友好の上より、誠に遺憾とするところである。
しかしながら、
講和条約発効以来、戦犯処理の推移を顧みるに、
中国は昨年八月、日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、
フランスは本年六月初め、大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、
次いで今回フイリピン共和国は、
キリノ大統領の英断によつて
去る二十二日朝、横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。
且又、
来る八月八日には、濠州マヌス島より百六十五名全部を迎えることは
衷心欣快に堪えないと同時に、
濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
かくて
戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、
事態は最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、
この機会を逸することなく、
この際、有効適切な処置が講じられなければ、
受刑者の心境は、憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。
われわれは、この際、関係各国に対して、
わが国の完全独立のためにも、
将又(はたまた)世界平和、国家親交のためにも、
すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを
喫緊の要事と確信するものである。
よつて政府は、
全面赦免の実施を促進するため、
強力にして適切且つ急速な措置を要望する。
右決議する。
〔拍手〕
そもそも、講和条約発効以来、
戦争受刑者の釈放措置等について、
決議案が本院に上程せられましたのは今回が第三回目でございます。
しかも、今回は、
前二回とはまつたく異なつた情勢下において御審議を願うわけでございます。
と申しますのは、
昨年八月、中国が
日華条約発効と同時に全員赦免を断行して戦犯問題を一挙に解決して以来、
本年六月に至るまでは、
ひとり米国が、前後十三回にわたり、合計約六十名の仮出所を許しただけで、
全面的解決の兆候はいずこの国にもこれを認めることができなかつたのであります。
しかるに、本年六月に入るや、
フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど全員を釈放したのに続いて、
このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、
モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、
しかも、同時に、
死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、
他の全員に対して赦免の措置がとられ、
去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員のほか、
痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱までも
お迎えすることができたのでございます。
八年という長い間、
異国の獄中、苛烈なる運命に耐えて来られた、
これらの人々を迎えるこの日の母国は、
折からのつゆ空もめずらしく晴れわたり、
岸壁を埋めた数万人の出迎人のどよめきの中に、
戦友の御遺骨をしつかと抱いて、
白山丸から歩一歩静かに祖国の土におり立つた方々の
深刻な苦悩を刻んだ悲壮な姿は、
人々に深い感銘を与え、群衆も一瞬鳴りをしずめたのでございます。
(拍手)
続いて、
御遺骨に対するしめやかな拝礼が行われている一方には、
上陸第一歩とともに自由の身となつた方々を囲む晴やかな歓声があがり、
またその一方には、
黙々として巣鴨の鉄窓の中に送り込まれる一団の方々がありました。
まことに悲喜哀歓、あらゆる感激の場面が展開され、
名状しがたい大きな感動がすべての人々の心を支配していたのでございます。
生ける者、死せる者、すべてを母国に迎え得た、
それはやはり国民の大きな喜びでなければなりません。
(拍手)
私は、
この機会に個人的な恩讐を超越して、よく比島国民の不満を押え、
正義人道の大局からこのたびの大英断を下されたキリノ大統領に対し、
最大の敬意と感謝をささげるものであります。
(拍手)
なおまた、この悲願達成の陰に、
筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて献身的な努力を続けられました
モンテインルパの聖者、加賀尾秀忍師、
マニラ在外事務所の、金山参事官、
復員局の、植木事務官に対しましても、
厚くお礼を申し上げたいと存じます。
(拍手)
さて、一方、
この比島政府の英断が発表せられました直後、
さらに大きな朗報が伝えられましたのは、
いわゆるマヌス島に服役しておられる戦争受刑者の
内地送還決定に関する、
濠州政府の発表でございました。
この内還につきましては、
さきに英国女王陛下の戴冠式にあたり、
去る六月二日、本委員会委員長名をもつて、
これらマヌス島の方々の内地送還実現につき、
請願書を
駐日濠州大使を介して同女王陛下に送りましたが、
今日その実現を見ましたことは喜びにたえません。
(拍手)
すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、
七月三十一日午前十時、現地を出発し、
ただいま日本に向つて航海中であります。
昨二日、午後九時、白龍丸から、
このたびの内還は、
議員各位、特に引揚委員長等の御同情と御努力によるところ大なりと考え、
感謝にたえず、なお今後一層御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、
という電報が来ました。
かくして、来る八日には、
過去八年、
絶海の孤島に孤立無援の生活を続けて来られました百六十五名の方々全員を
日本にお迎えすることができますことは、
私どもの大きな喜びとするところでございます。
(拍手)
マヌス島と申しましても、
収容所の置かれていたその属島ロスネグロスにおいて、
海軍基地建設の重労働に従事せしめられて参りましたこの方々は、
温帯人の長期在住不可能と称せられる灼熱瘴癘の地に、
八年間、
もみだらけの玄米と、コーンビーフとグリーンピースという、
全然、献立の変化のない食生活では
生きる気力もうせなんとする悪環境に耐えて、
奇跡的に生き抜いて来られたのであります。
新鮮な野菜を食べたのは、八年間に二、三度ということであります。
わけても僻遠の地である上に、通信連絡の制限は相当にきびしく、
家庭との密接な連絡はきわめて困難なばかりでなく、
内地からの来訪はまつたく許されない、
いわゆる、やしのカーテンに隔てられた別天地でございますので、
ここに暮された御当人にも増して、
肉親の方々の不安と懊悩はまことに深刻なものがあつたことでございましよう。
いつ帰るという当てのない人を待ち暮す内地の肉親は、
「神仏 いかにかおぼす八年ごし あつき島わに つながるる身を」と、
はるかに思いを遠く熱帯の孤島にはせて、ひそかに焦燥の思いを述べ、
「待ちに待つ 故郷 人をしのびつつ 今しばらくを 強く生きませ」と祈り、
かつ励ますほかはなかつたのであります。
いずれも、今村元大将夫人の作でございます。
しかし、これらの方々の上にも、やがて喜びの日が訪れるのでございます。
収容所入所以来、最初の往訪者であるスタンレー記者が
現地より報ずるところによれば、
帰国の日取りがきまつて、
終身刑の戦犯たちの中にさえ笑い声が起つているということであります。
八年間笑いを忘れていたとは、何たる悲惨なことでございましよう。
この方々に対して
喜びを与えられた今回の濠州政府の英断に対しまして、
私は心から感謝の意を表するものであります。
(拍手)
さて、かくのごとくにいたしまして、
もはや海外に残されました戦争受刑者は一名もなくなり、
従来
戦犯問題解決の途上に横たわつておりました最大の障害は
完全に一掃されました。
事態はまさに最終の段階に突入したものと考えられるのでございます。
すなわち、
平和条約によつて拘禁せられる戦争受刑者は、
やがて濠州より送還される百六十五名を最後といたしまして、
全員巣鴨に集結し、
巣鴨は再び九百二十余名にふくれ上るのであります。
これらの方々については、
もはや助命運動も内還運動も一切は終了し、
残された問題は、
ただこの方々を
一刻も早く巣鴨から釈放するということだけになつたのでございます。
(拍手)
ここで考えていただきたいことは、朝鮮戦争の終結でございます。
惨列をきわめた武力戦が停止となり、
恒久の平和がこれによつてもたらされることは万人の願いでございますが、
このたびの休戦は
勝敗なき休戦であり、
降伏なき終戦であり、
従つて戦犯裁判を伴わざる終戦でございます。
開戦以来、
この戦争においては、
双方ともに、相手方の戦犯行為を指摘非難して参りましたが、
このような休戦となつてみれば、
その処罰などは、双方ともやろうとしてもできることではございません。
(拍手)
結局、
戦犯裁判というものが
常に降伏した者の上に加えられる災厄であるとするならば、
連合国は
法を引用したのでもなければ適用したのでもない、
単にその権力を誇示したにすぎない、
と喝破したパル博士の言はそのまま真理であり、
今日、巣鴨における拘禁継続の基礎は
すでに崩壊していると考えざるを得ないのであります。
(拍手)
最近、ソ連ばオーストリアの戦犯六百名を釈放し、
さらにまた
同国に抑留されている日本人戦犯の釈放、内還見込みあり
との報道も伝えられております。
このごろの世界情勢の急変を見れば、
ソ連が、戦犯と称する全員を釈放して、
巣鴨が、現在のままに取残されるということなきを
保しがたいのであります。
(拍手)
「獄にして われ死ぬべしや みちのくに母はいますに われ死ぬべしや」、
このような悲痛な気持を抱いて、
千名に近い人々が巣鴨に暮しているということを、
何とて
独立国家の面目にかけて放置しておくことができましよう。
(拍手)
機運はまさに熟しているのであります。
以上が大体本案の趣旨であります。
本案は、七月二十七日、本委員会に付託されたのでありまして、
委員会は、
現在の情勢を正しく認識し、
その最終の段階に対処し、
一刻もすみやかに問題の抜本的解決をはかるの要あるものと認め、
本案をもつて
本院における最終の決議たらしむべく、
二十八日、
委員会において全会一致をもつて原案を可決すべきものと
議決した次第でございます。
右御報告申し上げます。
○議長(堤康次郎君)
採決いたします。
本案は、委員長報告の通り決するに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(堤康次郎君)
御異議なしと認めます。
よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。
(拍手)
この際、法務大臣から発言を求められております。
これを許します。
法務大臣犬養健君。
〔国務大臣犬養健君登壇〕
○国務大臣(犬養健君)
ただいま本院においてなされました御決議を、深き感慨をもつて拝聴いたしました。
戦犯処理につきましては、
最近に至つて相次いで海外より朗報が参つておりまして、
関係各国のとられましたこの好意ある措置に対して
満腔の感謝を表明するとともに、
これによつて釈放せられた戦争受刑者とその御家族の心中を推察いたし、
ともに深き喜びにたえないものがあるのであります。
(拍手)
しかしながら、他面において、
フイリピン及び濠州より帰還した人々、
また帰還せんとする人々を含めますならば、
巣鴨拘置所における拘禁者の数は、
ほとんど
平和条約発効当時と同数となるような実情であります。
これらの人々の釈放につきましては、
米国政府、並びに、オランダ政府は、
個別的に、かつ司法的に、これを処理する、という意向を明らかにしておりますが、
その結果としましては、
米国関係は、昨年十月から現在までを通じて
許可を得た仮出所者は総計七十三名であります。
またオランダ政府は、
最近初めて、十二名の仮出所者の許可をいたして参つたような次第でありまして、
この際
日本国民の真情を率直に吐露いたしますならば、
さきにオランダ政府によつて行われましたところのあの大幅な、
しこうして
一切の過去を清算して再出発を盟約し合うごとき寛大な措置が、
他の関係国においても早急にとられるよう、
衷心より要望せざるを得ないのであります。
(拍手)
もとより、
おのおのの関係国においては、
それぞれの特殊性を有し、
その特殊な国情に応ずる対策を必要とすることとは思いますが、
わが方としましては、
すでに、
全面赦免の勧告手続を、過去二回にわたつて行つていることでもありますし、
かつ
個別的な赦免、減刑、及び仮出所の手続も
事務的にはほとんど終了しておる次第でありまして、
しこうしてこの政府のとりました手続は、
その背後において
日本国民の切なる悲願が凝結して政府を激励鞭撻したものであると申しても、
あえて過言ではないと存じます。
(拍手)
あたかも、ただいまの本院の御決議のごとく、
昨年における中華民国、
このたびにおけるフランス、フイリピン及び濠州各政府より、
寛容にして宗教的精神に満ちた処置を受けたこの幸いなる機会に、
わが方は
他の関係各国に対してもこの際一層の誠意を披瀝し、
一段と有効適切な手段を講ずることが、
真に緊急の必要事と考えられるのであります。
先ほど提案者の述べられましたごとく、
事態は現在いわゆる最終の段階に入つていると考えられますので、
政府はここにおいて
あらゆる熱意と努力とを傾けまして善処をいたし、
もつて国民各位の熱望にこたえたき覚悟でございます。
(拍手)
2011.08.15
首相の靖国参拝、問題ないとの認識
「今も変わらず」と野田氏
野田佳彦財務相は15日の記者会見で、
野党時代に提出した質問主意書で
「戦犯の名誉は回復されており、
『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」
として、
首相の靖国神社参拝は問題ないとした認識について
「基本的に考えは変わらない」
と述べた。
ただ、野田氏はこの日の会見では、首相が靖国神社を参拝することの是非は
「首相になる方の判断だ」
と述べ、自身が首相に就任した場合の対応については
「仮定の話だ」
として明言を避けた。野田氏はこの日、参拝しなかった。
野田氏は平成17年(2005年)、
党国対委員長時代に提出した質問主意書で
「サンフランシスコ講和条約と
4度の国会決議などで、
すべての戦犯の名誉は
法的に回復されている」
と強調。
小泉純一郎首相(当時)が国会答弁で、
靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」を
「戦争犯罪人だと認識をしている」
と述べたことを、批判している。
2011.07.17
野田佳彦研究
財務相という足かせ、迫る決断の時
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110717/plc11071720210014-n1.htm
「たまたま財務相ですが、本当は私、文部科学相をやりたかったんです」
財務相の野田佳彦は16日、
横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)主催のフォーラムで本音を漏らした。
戦後民主主義がないがしろにしてきた
歴史、信仰、道徳を
重視する教育を作りたかったのだという。
野田は、首相、菅直人を支える立場にある。
徒手空拳で国会議員になった経歴は同じだが
「自衛官の倅(せがれ)」として
市民運動家出身の菅に
違和感を覚えてきた。
「菅さんより野田さんの方がいいなと思っている」
フォーラムで対談した自民党政調会長代理、林芳正は野田を持ち上げた。
表情を変えず聞き流した野田は、対談後、
「菅内閣の一員なので『次』の話をしてはいけない。
まあ、社交辞令ですよ」
と記者団に語ったが、表情は真剣だった。
(以下省略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110815/stt11081520320006-n1.htm