(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。
朝鮮総連議長・徐萬述氏が死去
2012.02.20-読売新聞
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1921417&media_id=20.
在日本・朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は20日、
徐萬述(ソ・マンスル)中央常任委員会議長が
19日夜、東京都内の自宅で死去したと発表した。
84歳だった。死因は心不全。数年前から体調を崩していたという。
今後、ナンバー2の許宗萬(ホ・ジョンマン)責任副議長が組織を取り仕切るとみられる。
朝鮮総連葬は25日午前11時から、
東京都千代田区富士見2の14の15の朝鮮会館で。
葬儀委員長は許責任副議長。
徐議長は
2001年5月、初代議長の韓徳銖(ハン・ドクス)氏の死去に伴い、
2代目の議長に就任。
北朝鮮の国会にあたる最高人民会議の代議員も務めていた。
日本政府は
2006年7月、北朝鮮のミサイル発射に対する制裁措置として、
徐議長ら総連幹部について、北朝鮮への渡航後の再入国を禁止していた。
朝鮮総連によると、徐議長は朝鮮半島(現・韓国)の慶尚北道出身。
1941年3月、日本本土に移り住んだ。
1982年には「金日成(キム・イルソン)勲章」、
今年は、「金正日(キム・ジョンイル)勲章」を受章した。
またラヂオプレス(RP)によると、
1999年と2002年には、当時の金正日総書記と面会している。
ご冥福をお祈りします。
日本は死んだらみんな神様になる国ですから・・・
さてこのニュース。どこを見ても非常に関心が薄い。日頃、北朝鮮や韓国を叩きまくってるヤカラはどうしちゃったんでしょうね。金正日死去のニュースだって叩いてた人たちがいたのですから、亡くなられたニュースだから遠慮してるという風でもないと思いますよ。
1945年に、第二次世界大戦で日本が敗戦するまでの30年ちょっとの間、朝鮮半島は、日本領土でした。
この基本をしっかり頭に入れないと、強制連行なんて言葉に、いとも簡単に引っ掛かります。日本領土だったのですから、朝鮮半島に住む人たちも、台湾に住む人たちも、その後の満州に住む人たちも、“日本国民”だったのです。
つまりは、日本は民族を尊重して地方主権の形をとったものの、日本国台湾県、日本国朝鮮県、日本国満州県、と同じだったということです。赤紙1枚で徴兵されたのも、日本列島の国民と同じなのです。それを強制連行というなら、出兵した日本人全部が強制連行されたということになります。
明治43年(1910年)の「尋常小学読本唱歌」に、「同胞ここに五千万」という唱歌があります。
北は樺太千島より 南 臺湾澎湖島(はうこたう)
大洋の波に洗はるる 大小四千の島々に
朝日の御旗ひるがへす 同胞すべて五千万
やがてこれが、
北は樺太千島より 南 臺湾澎湖島(はうこたう)
朝鮮八道おしなべて 我が大君(おほぎみ)の食(を)す国と
朝日の御旗ひるがへす 同胞すべて六千万
となり、最終的に満州が入って、「同胞すべて八千万」となりますが、その歌詞がネットでは見当たりません。父がたま~に歌っていたのを気にもしなかったのですが、今となると、ちゃんと聞いておけばよかったなあと後悔していますが、植民地でも属国でも奴隷でもなく、同じ日本国民だったのです。
戦争が始まって徴兵されたのは、若者だけでなく、若い女性たちも、女子挺身隊という名の徴兵がありました。主に、男の働き手がいなくなった後の職場、あるいは兵隊の衣服などを作る軍需工場、傷痍兵を看病する病院などなどに配属されました。列車の機関士とか、踏切り番なども女性がやっていた所もあります。
アメリカでは、それによって女性が外で働くキッカケともなったそうですが、日本ではどうなのでしょう。
日本は、「元始、女性は太陽だった」なんて言葉があるくらい、世界でも珍しく女性上位の国民で、女性が財布のヒモを握ってますからね(笑)、外に働きに行かなくても、家でダンナの尻を引っぱたいていれば良かった時代が長く続きましたから、女子挺身隊、即、外に働きに出るという構図はなかったのではないでしょうか。
近年は、やれブランド物だグルメだ教育だと、一般庶民が、世界でもトップレベルのセレブな生活を心がけているので、ダンナの給料だけでは足りなかったり、あるいは子供が少ないのでヒマだったりして、外に働きに出るようになりましたね。それでもまだ、ダンナの財布のヒモを握ったままですwww
アメリカ人だったかな、と結婚された日本女性が、日本はこうだからと財布のヒモを握ったら、ダンナが、これはラクでいいと喜んだというブログがありましたが、そういう人は極々まれで、日本人以外の男性は財布のヒモをしっかり握ったままというのが大半ですから、国際結婚をする時は、くれぐれも心して下さいw
話がM78星雲まで行ってウルトラマンが飛んで来そうです。なんだっけ?
そうそう!!在日朝鮮人ね。そんなワケで(財布のヒモじゃないです)戦前のある時期に日本国内に来た朝鮮人というのは、千葉県から東京に行ったのと同じです。
ところで、赤紙で召集されて出兵した人たちというのは、誰だったのか知っていますか?
ひょっとしたら、赤ん坊から年寄りまで、日本国民全員が招集されたような感覚でいませんか?
戦争が始まった当初は、20歳前後の若者でした。それも長男や一家の家長は外しています。
戦争末期になると、そんな悠長なことは言ってられなくなって、もっと年配の人たちや、検査で乙種と判定された人たちまでも召集されました。乙種とか言っても体力が劣っているとかだけではなく、近眼だったりしても甲種ではなかったようです。
私の父は36歳で召集され、そんな年寄りまでと話してましたから、平均寿命からいって今の50歳くらいの人たちも召集されたのですね。
つまり、全員ではなかったのですから、家に残っている男手もあった。その人たちを募集したのが、企業です。給料がいいよとか言って内地の工場や炭鉱や建設現場などに連れて来て、重労働をさせたかも知れない。ほら、小沢一郎の献金問題の西松建設。中国に、強制労働の和解金を払ってますね。そんなのまで日本国の所為にされると・・・なんです。
そういえば、何故、広島に原爆が落とされたのか、考えたことがありますか?
反日勢力などが焚きつけているアメリカの暴挙だとしたら、なぜ、東京の皇居じゃなかったのでしょうか。
広島の呉は、歴史上からも日本の重要な軍港なのです。そして長崎は?佐世保などがありますね。
日本軍の重要地点を壊滅して、戦争を終わらせることが、アメリカの戦略だったと思います。日本を潰すつもりなら、中東などで繰り広げられているように、あるいは世界の歴史に普通にあるように、王様の居城を狙うのが、当り前です。
しかし、原子爆弾の威力は余りにもむごかった。アインシュタインがその後、核反対の平和運動家になったのは、そのためだと思います。
話がオリオン座を超えてしまいました!!戻します。
で、日本列島にも、台湾県だの朝鮮県だのから大勢の人たちが来ていたのですが、日本が戦争に負けて、満州も朝鮮半島も台湾も、日本領土ではなくなってしまった。
そういった場合、諸外国ではどうしているのでしょうね。例えば仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)はフランス領でしたけれど、相互の行き来は国内と同じだったのかな。そして戦争が終わって独立国となった時。そういう歴史の情報が全くぶつかりません。
で、日本では、日本列島国内にいた朝鮮や台湾の人たちに、本国に帰りたいか、ここに残りたいか。残るとしたら、名前を日本名に替えたいか、そのままでいいかといった希望を聞いて、本国に帰りたい人は帰してあげました。
まあ、一千万人の餓死者が予想された戦後であるということと、直ぐに始まった朝鮮戦争で、朝鮮半島が2つの国家に分裂し、ソ連側の北朝鮮とは日本が国交を断ったことで、朝鮮北部から日本に来ていた人たちが故郷に帰れず、国が違ってしまった韓国に行かなければならなかったといった混乱で、その帰還事業はスムーズには行きませんでした。
しかしそれは、例えば広島から召集され、戦争が終わってみれば家がない。どこに帰ればいいのだろうといった混乱は、日本人の帰還兵も同じことだったと思います。
その中から立ち上がった人、挫折したままの人、恨む人、工作員になる人。それはその人が掌の中に握って生まれた運命としか言いようがない。誰かの所為だというのなら、同じ境遇の人は全部が同じ道を歩いたはずだから。
前にも書きましたが、私の村にも日本に帰化して日本名に変えた朝鮮人がいました。一生懸命働いて、今ではその子孫が日本人として立派にやっています。
誰かが手を差し伸べるのを待っている人。生活保護は当り前だと思っている人たちには、未来がありません。そういった意味でも、過保護の支援に、私は反対です。誰だって楽して生きていたいし、楽が出来るならウソも平気でつきます。そしてそのために、なんら気持ちの無い人たちまで、同じ目で見られてしまったりする。その白い目が、新たな犯罪を引き起こすこともある。
黙って見守って、その人の生命力に任せるのも、支援の一つだと、お金の支援なんか出来ない私の言い訳かも知れませんが、そうんな風に思うのです。
さて地球に戻ると、そんな混乱の中に、ソ連のコミンテルンという地球征服計画の思想が入ったりなんだりして、朝鮮帰還事業はゴチャゴチャになり、2つの朝鮮のそれぞれの活動団体などが入り乱れて困難を極めましたが、それでも最終的に日本に残った在日朝鮮人は、245人だったはずなのに、今ではなんと・・・42万人\(◎o◎)/!
それが強制連行で日本に連れて来られたとか言ってるって、日本の政府は何やってんのよ!!歴史をちゃんと勉強しなさいよ!!というか、外務省なんかに記録があるでしょ!!私はそれらを見て書いてるんだから。全く情けないったらありゃしない。
でもって、ノータリン政府をいいことに、国交断絶のはずの北朝鮮の、国会議員が、なにゆえ日本に在日朝鮮人として住み着いてるのか。吉田茂があの世でどれだけ泣いていることでしょう。
1949年(昭和24年)
吉田茂がマッカーサーに宛てた文書
「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。
(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。
(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。
彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
※ここは省略するが、おびただしい数の在日朝鮮人による犯罪記録がズラリと掲載されている。
その数、実に万件単位--
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。
(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
敬具 吉田 茂
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(1325) 北朝鮮の国会議員が日本に住んでる不思議
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