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◆ 狂犬、来日 \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

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マティス米国防長官と
安倍晋三首相が会談

日米安保5条の重要性を確認

2017.02.03
(www.sankei.com/politics/news/170203/plt1702030035-n1.html )

安倍晋三首相と会談するマティス米国防長官(左)。右は稲田朋美防衛相=3日午後、首相官邸(宮崎瑞穂撮影)
安倍晋三首相と会談するマティス米国防長官)。
右は稲田朋美防衛相=3日午後、首相官邸 (宮崎瑞穂撮影)



安倍晋三首相は 3 日、マティス米国防長官と官邸で会談し、
米軍による日本の防衛義務を定めた日米安保条約第 5 条の
重要性を確認した。


会談冒頭、安倍首相は
「トランプ政権との間でも日米同盟が揺るぎないということを
内外に示すことができることを期待しているし、確信している」
と強調。


マティス氏は
「北朝鮮やそのほかの我々が直面する様々な課題に、
私としては 1 年前、5 年前と同じく、日米安保条約第 5 条は
重要なものであることを明確にしたい。
それは 5 年先、10 年先も変わることはないだろう」
と述べた。


安倍首相は
「あなたのように長い間、軍、安全保障や防衛、外交にも
通じる方が国防長官になられたことに勇気づけられる」
と、マティス氏の就任を歓迎。


マティス氏
「(国防長官としてまずこの地域を外遊したいと希望していた
米国は 100%安倍首相と日本国民とともに肩を並べて
歩みをともにするということにいっさいの誤解の余地がない
ことを
伝える気持ちからだった
と説明した




軍事ワールド
狂犬狂人少佐の不思議な関係
3日来日のマティス国防長官実は…
名将にあだ名あり

2017.01.31
(www.sankei.com/west/news/170131/wst1701310007-n1.html )

F-16ファイティング・ファルコン戦闘機は、ボイドのE-M理論の“結晶”だ。(2016年10月、岡田敏彦撮影)
F-16ファイティング・ファルコン戦闘機は
ボイドのE-M理論の結晶
(2016年10月、岡田敏彦撮影)



トランプ新大統領の就任に合わせ、「狂犬」 のあだ名を持つ
ジェームズ・マティス氏も国防長官に正式に就任。

3 日に日本を訪れ稲田朋美防衛相と会談する。

米マスコミでは常に 「MAD DOG (狂犬)」 という単語とセットで
説明されるマティス氏だが、その本当の姿を知るカギは、
一人のパイロットにある。

「MA MAJOR (狂人少佐)」 と呼ばれたジョン・ボイド (1927-1997)だ。
(岡田敏彦)


40秒ボイド


ジョン・ボイドは米空軍の操縦士として朝鮮戦争で実戦を経験した後、
英才教育を施す米空軍戦闘機兵器学校 FWS) に入校、
飛び抜けた優秀さで教官になった。

ボイドの伝記 「BOYD」 (ロバート・コラム著) によると、
ボイドは腕利きの生徒を模擬空戦の “賭け” に誘っていた。

生徒がボイド機の背後に着いた絶体絶命の状態からスタートし、
「40秒で立場を逆転させられたら、私の勝ちだ」。

多くの生徒が挑んだが、ボイドは教官だった 6 年の間、無敗を誇り、
「40 SECONDS BOYD」 のあだ名がついた。


世界初の空中戦の指南書


無敗には理由があった。

ボイドは体力と経験と根性の世界だった空中戦の世界に、
熱力学を持ち込んだ。


上昇とは位置エネルギーを得ることで、急降下は位置エネルギーを
運動エネルギー (速度) に変換することだ。

こうしたエネルギー変換をスムーズに行い、空気抵抗などで失った
エネルギーを、翼の揚力とエンジンの推力で補いながら戦うのが
「空中戦 (ドッグファイト)」 の神髄だ。


ボイドは FWS 配備の各種戦闘機で飛行を重ねて理論を実証し、
約 150 ページの冊子にまとめた。

そこには 「ハイスピード・ヨーヨー」 や 「バレルロール・アタック」 と
いった斬新な空中戦技が図と数式を交え説明されており、
機密部を除いた簡易版は何度もコピーを重ねられ世界各国の軍に
広まった。

21 世紀の今も空中戦の基本だ。


チンギス・ハーン


ボイドは研究を続け、空中戦に強い戦闘機の条件を解明する。
それはエネルギー機動 (E - M) 理論としてまとめられ、
ボイドは米空軍内で戦闘機研究の第一人者となった。

ただし、研究中に他部署から強引に人材を引き抜いて仲間としたり、
軍のコンピューターを無断で使ったりと異例の行動が続き
「狂人少佐」 とのあだ名がついた。


1966 年には、迷走する F - 15 戦闘機の開発チームに切り札として
送り込まれ、基本構想をまとめた。

続いて E - M 理論に基づいて空中戦に特化した、安価で大量配備
できる戦闘機の構想を練る。

空軍上層部は F - 15 配備の予算が減るとしてこの動きを潰しに
かかったが、ボイドは “さらに上” の国防長官と空軍参謀総長を味方に
付け、空軍将校たちの知らぬ間に正式採用と量産を既成事実化した。
そうして誕生したのが F - 16 戦闘機だ。

ボイドの “強固な意志” は、モンゴル帝国を築いた皇帝チンギス・ハーン
のようだとされ、「チンギス・ボイド」 と呼ばれた。


OODAループ


空軍との関係が悪化したボイドは大佐で退役したが、米国防総省は
その頭脳を手放さず、コンサルタントとして留め置く。

そして米軍を根底から変革する一大研究が始まった。


今度は空中戦ではなく、戦争に勝つ 「戦略」 を解き明かそうとしたのだ。

紀元前の戦いから孫子の兵法、そして本稿 1 回目で紹介した
韋駄天ハインツの電撃戦やロンメル将軍の砂漠の戦い、
マッカーサーの朝鮮戦争まで、古今東西の戦史を分析し、
新たに 「OODA (ウーダ) ループ」 理論を構築した。


OODA は
観察 (Observe)
 - 情勢判断 (Orient)
  ― 意思決定 (Decide)
   - 行動 (Act)
の略だ。

誰もが意識せず自然に行っていることだが、4 段階に分けることで
問題点が浮かぶ。

特に 「意志決定」 は、他人が知りようのない、極めて個人的な
過去の体験が大きく影響する ―― 
といった分析が注目を集めた。


ただ、OODA ループは自身や味方の改善が最終目的ではない。
それは敵に対して使うのだ。


虚実織り交ぜた情報 (一つ目の O) を敵に与え、
二つ目の O (情勢判断) を不可能にするのだ。

O と O の間で堂々巡りをさせ、決して正しい A にたどり着かせない。

敵の司令部を混沌と麻痺に陥れ、我に返ったときには
「もう戦っても勝てない」 と絶望させる ――。

それがボイドの考案した OODA ループによる
「機動戦闘 (Maneuver warfare)」 だ。


これに米海兵隊が興味を示し、隊内の水陸両用戦闘学校 (AWS) が
講義を求めた。

ただ、OODA ループは難解な理論で、同校の 1 コマ 2 時間の授業
では説明しきれない。

ボイドの 「5 時間かかるぞ」 という要求を学校側はのみ、
1980 年 1 月、海兵隊の本拠地バージニア州クアンティコで、
スライド 185 枚を使う大講義が始まった。


コラム氏の著書によると、ボイドは紀元前 371 年のレオクトラの戦いや、
孫子の兵法、ナポレオンに韋駄天ハインツなど古今東西の
偉大な指揮官の戦い方を紹介しながら縦横無尽に論を進め、
OODA ループと機動戦闘を説いた。

5 時間の授業と聞いて辟易していた生徒たちは、講義が進むうちに
考え方を変えた。

「このじいさんはよそ者だが、誰よりも戦術や戦略を知っている」。

講義終了後は質疑応答が続き、8 時間後もボイドは熱心な生徒に
囲まれ質問を受けていた。

“ボイド教室” は定期開催が決まった。


フォースと共に


ボイドは陸軍幹部を養成する 「陸軍先進軍事学校」 でも講義を行った。

OODA ループと機動戦闘をマスターした士官たちは、
常人には思いつかない作戦を立案できる 「不思議な力」 を使うと
他の軍人から見られ、当時流行の映画にちなみ 「ジェダイの騎士」
と呼ばれた。

海兵隊でも 1989 年に主軸となる戦闘マニュアルを “ボイド流” に
更新した。

そして実戦が起こる。


1990 年 8 月、イラクがクゥエートに突如侵攻。
翌 1991 年、多国籍軍によるクウェート奪還を目指す
「砂漠の嵐」 作戦が発動される。


多国籍軍を率いる
ノーマン・シュワルツコフ米中央軍司令官 (1934 - 2012) は
当初、ほぼ無策とも言える正面攻撃を主張したが、
味方の損害を考えていないなどと猛批判を受け、
急きょ 4 人の 「ジェダイの騎士」 を呼び寄せる。

ボイド自身もディック・チェイニー国防長官にホワイトハウスへ呼び出され、
作戦立案に加わった。


イラク軍は、イラクの南側に位置するクゥエートが主戦場になるとみて
近辺に部隊を展開した。

気になるのは東側のアラビア海に多数集まった米軍艦船だ。

米海兵隊の上陸作戦はいつ始まるのか ――。


死のハイウェイ


しかし米海兵隊は事前に別地点から上陸し、クゥエート南部から攻撃。
そして本隊の陸軍機甲師団は砂漠を大迂回して西側からイラク本国に
侵攻し、イラク軍主力の側面後方を突いた。


このうえ海兵隊に上陸されれば、包囲殲滅されてしまう ――。

もはや戦っている場合ではない。

イラク軍は混乱に陥り、包囲の輪を抜けるため退却を始める。

クウェートとイラクを結ぶ高速道路 80 号線はイラク軍の戦車や
トラックなどで大渋滞となり、夜を迎えた。


赤外線暗視装置を搭載した多国籍軍の戦闘機が道路を猛爆し、
夜が明けたとき道路は黒こげの車両で埋まっていた。

以降、80 号線は 「死のハイウェイ」 と呼ばれ、ボイドらが立案した
主力の大迂回は 「砂漠の左フック」 として戦史に刻まれた。

ちなみに沖に浮かんだ艦船は囮で、上陸作戦など存在しなかった。

イラク軍は二つ目の O (情勢判断) において
「必ず上陸してくる」 との誤った先入観に支配され、惨敗した。


後を継ぐ者


この湾岸戦争でマティス氏は第 1 海兵大隊長として主力の一端を
担ったが、その素顔は 「狂犬」 とはほど遠い。

実はマティス氏もボイドが講義した AWS の卒業生で、
OODA ループと機動戦闘をマスターした一人なのだ。


ボイド同様、戦史の研究に没頭し、蔵書は 7,000 冊ともいわれる。

部下に 「自分の経験から学ぶより、他人の経験から学ぶほうが
ベターなのだ」 と読書を猛烈に薦めた。

海兵隊にはいまも 「海兵隊員が読むべき本のリスト」 がある。


狂犬とあだ名される理由のひとつには、部下に
「(街で) 出会うすべての人間を 『どうやったら殺せるか』 と常に考えろ」
と諭したとのエピソードがある。

が、これはボイドの 「常に情勢判断 (2 つめの O) をするべし」 という
言葉そのものだ。


もうひとつのあだ名戦う修道士
こそ、
その体を示している。

独身のマティス氏は、クリスマスの日に既婚の部下の当直番を
内緒で代わってやったり、深夜に最前線のピット (少人数用の塹壕) に
突然現れて兵士と話し合うなど、リッジウエイ同様に
リーダーシップの鑑とされている。


マティス氏の大佐時代のコードネームCHAOS」 (混沌

だが、兵士たちはそこにもうひとつの意味をつけた

「Colonel Has Another Outstanding Solution」。

他より際立って優れた解決策を持つ大佐、の略なのだと。



27日、トランプ米大統領(左)の前でスピーチを行うジェームズ・マティス米国防長官(AP)
27日トランプ米大統領
の前でスピーチを行うジェームズ・マティス米国防長官 (AP)




米空軍パイロット当時のボイド(米政府公式写真)
米空軍パイロット当時のボイド米政府公式写真



背部のエアブレーキを開けて飛行するF-15イーグル戦闘機。情報を多く得られる視界の良さと、エネルギーの「入力と出力」がいかに素早くできるかが戦闘機のカギだと、ボイドは強調していた(2016年10月、岡田敏彦撮影)
背部のエアブレーキを開けて飛行する F-15 イーグル戦闘機
情報を多く得られる視界の良さとエネルギーの入力と出力
いかに素早くできるかが戦闘機のカギだとボイドは強調していた
(2016年10月、岡田敏彦撮影)




OODAループを示す図。ボイドは5時間かけてOODAループを説明する〝講義〟を行ったが、自身の手元には1枚のメモしか持っていなかったという
OODA ループを示す図
ボイドは 5 時間かけて OODA ループを説明する講義
行ったが
自身の手元には 1 枚のメモしか持っていなかったという




米空軍のF-15イーグル戦闘機。“ボイド一派”がデザインした制空戦闘機の代表格として知られる(2014年9月、岡田敏彦撮影)
米空軍の F-15 イーグル戦闘機
ボイド一派がデザインした制空戦闘機の代表格として知られる
(2014年9月、岡田敏彦撮影)




ボイドがまとめた「Aerial Attack Study」のコピー。空戦機動が図入りで説明され、一部の技には「返し技」も説明されている
ボイドがまとめたAerial Attack Studyのコピー
空戦機動が図入りで説明され一部の技には返し技
説明されている




米海軍のF-14トムキャット。可変翼機構の重量はエネルギー的にマイナス点だった(2005年6月、米シアトル、岡田敏彦撮影)
米海軍の F-14 トムキャット
可変翼機構の重量はエネルギー的にマイナス点だった
(2005年6月、米シアトル、岡田敏彦撮影)




湾岸戦争時、作戦立案のためボイドを呼んだチェイニー元国防長官(AP)
湾岸戦争時作戦立案のためボイドを呼んだ
チェイニー元国防長官
(AP)




開発計画にボイドが参画したことで、重量を大幅に軽減し、制空戦闘機として誕生したF-15イーグル戦闘機(2016年10月、岡田敏彦撮影)
開発計画にボイドが参画したことで重量を大幅に軽減し
制空戦闘機として誕生した F-15 イーグル戦闘機
(2016年10月、岡田敏彦撮影)




シュワルツコフ司令官(中央)は、砂漠の嵐作戦のため、4人の「ジェダイの騎士」を手元に呼んだ(米陸軍HPより)
シュワルツコフ司令官中央砂漠の嵐作戦のため
4 人のジェダイの騎士を手元に呼んだ (米陸軍 HP より)




米空軍はF-105やF-102といった大型で重い戦闘機を主力にしてベトナム戦争に突入したため、北ベトナム軍のMig-21(右)の軽快な運動性能に遅れを取り、米海軍の戦闘機F-4ファントム(左)を採用するなど、戦闘機開発は迷走した(2005年6月、米シアトル、岡田敏彦撮影)
米空軍は F-105 や F-102 といった
大型で重い戦闘機を主力にしてベトナム戦争に突入したため
北ベトナム軍の Mig-21の軽快な運動性能に遅れを取り
米海軍の戦闘機 F-4 ファントムを採用するなど
戦闘機開発は迷走した (2005年6月、米シアトル、岡田敏彦撮影)




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