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◆ (51) 第八章 ① 攻撃の最前線

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IN FLAMES ~ The End (2016.09.20 公開)




パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房


第八章 非キリスト教化されるアメリカ

(1) 攻撃の最前線



コミュニストの辞書において、平和的共存は平和を意味しない。
戦争以外の手段による闘争継続を意味する。
よって、モラル・ヘゲモニーに向けての闘争は勝敗が完全に決するまで終わらない。
改革派との共存は可能だと考えている伝統主義者は、最近の全米芸術基金 (NEA) 論争を思い起こしてみるといい。
神を冒涜し、キリスト教的道徳を真っ向から否定するものが芸術ともてはやされる風潮を。



アンドレ・セラノの 『小便漬けキリスト』 は自分の尿のなかに浸かったキリスト磔刑像 (たっけいぞう) の写真。
ロバート・メイプルソープの聖母マリア像を改竄 (かいざん) したおぞましいネクタイ掛けや、肛門から鞭を突き出す己の変態の写真。
同性愛者のエッセイ集 『クイア・シティ』 に寄稿したある 「詩人」 は 6歳の男児に変態行為を働くイエスを描写している。
NEA のカタログで、あるエイズ活動家は故ジョン・オコナー枢機卿を 「五番街に面したあの 『逆卍館』 に住むデブの人食い」 と呼んだ。
館とは、同性愛者の暴言で神聖なる日曜のミサを汚されたあのセントパトリック大聖堂を指す。
1999年、ブルックリン美術館で開催された 「センセーション」 展の目玉は、全身を像の糞で塗られた女性器の光輪を頂く 「聖母マリア」 の絵。
隣室にはペニスの生えた女児の等身大のマネキンがずらりと並んだ。



「好き勝手できるのが芸術」 とはアンディ・ウォーホルの言だが、ピカソはより深刻に捉えていた。
曰く 「ごてごてと飾りつけるのが芸術ではない。芸術とは革命の武器・・・」。
アメリカの生んだ偉大なる彫刻家ホイーラー・ウィリアムズ「は 「現代アートの目的は 『人類の文化遺産信仰の破壊』 だと気づいた」。
要するに、芸術の世界もまた文化改革派によるキリスト教攻撃の最前線だということだ。



2001年、ブルックリン美術館に展示されたルネ・コックスの写真は 『最後のの晩餐』 の女性版で、イエス役の全裸のコックスも黒人なら使徒役の 11 人も全員黒人、ユダだけが白人という代物だった。
ジュリアーニ・ニューヨーク市長が 「ブルックリン美術館の反カトリック志向」 に憤激、「品位ある基準」 で選ぶよう指示したところ、ブンロンクス区長フェルナンド・フェレールは 「まるで戦前のベルリンだ」 と応じた。



確かに、こうしたカトリックとそのシンボルに卑猥で下卑た攻撃を加えるさまは戦前のベルリンを、とりわけユリウス・シュトライヒャー発行の雑誌 『突撃兵隊』 を思わせる。
彼のユダヤ攻撃の手法はセラノやメイプルソープ、コックスのカトリック攻撃手法にそっくりだった。(← wwww)
違い?
現代のインテリ層による反カトリック、反ユダヤ攻撃は文化の中心地にとどまらないということだ。



2001年初頭、サンタフェの国際民族芸術博物館に、バラのビキニをあてがっただけの 「グアダルーベの聖女」 が裸の天使に掲げられたフォト・コラージュが展示された。
マイケル・J・シーアン大司教が抗議の声を発し、デモ隊まで現われたが、州博物館局長トーマス・ウィルソンにとっては 「予想外の事態」 だった。
館長のテイ・マリアンナ・ナンが困惑顔で 『ニューヨーク・タイムズ』 に語ったところによると、グアダルーペの聖女 ―― メキシコ系米国人にとって最も聖なるイコン ―― の 「再創造」 はごく一般的なことで、バービー人形を模した聖母、空手闘士の聖母、刺青入りレズビアンの聖母もあるとのこと。



俗に芸術は魂を映す鏡といわれる。
T・S・エリオットによれば、芸術は信仰そのものである。
だとしたら、ここに紹介した 「芸術家」 たちの魂に宿る信仰とはどんなものか。
仮に彼らの作品が、アウシュヴィッツでナチ武装親衛隊とはしゃぎ回るアンネ・フランクのフォト・コラージュだったとしたら?
あるいはキング牧師を皮肉るミンストレル・ショー (白人が黒人に扮して演じるミュージカル演芸) だとしたら?



答えは明らかだ。
フランスのアルカテル社が遺族の了承を得てキング牧師の演説風景をテレビコマーシャルに使用した際、NAACP のジュエリアン・ボンドは 「礼を失しない作品に」 と注文をつけた。
新宗教の枠組みでは、聖母マリアのポルノ的使用は許されても、キング牧師の言説は絶対不可侵なのだ。



映画 『預言者』 にはマホメット役の俳優の顔が映っていたため ―― イスラム教への冒涜として禁じられている ―― 暴動を恐れた映画館側が上映を拒否した。
『悪魔の詩』 の著者サルマン・ラシュディはイスラムに対する甚だしい侮辱だとしてアヤトラ・ホメイニから死刑を宣告され、数年間雲隠れした。
今日のアメリカで死刑宣告や手投げ弾攻撃を受けることはないが、経済的ボイコット、あるいは政治的懲罰が待っている。
今や 「左の頬を差し出せ」 と命じられたクリスチャンは神にではなしに改革派に向けて差し出す。
その昔、キリストは神殿を汚した両替商をみずからの手で追い出したというのに。



1990年、『アメリカン・アート・クォータリー』 誌のジェイムズ・F・クーパーは、南北戦争復員兵に 「若者よ、西部へ行け!」 と発破をかけたホーレス・グリーリーのように、元冷戦戦士たちに向かって 「文化を取り戻せ!」 と呼びかけた。

 保守派の人々は毛沢東の掲げた反西側文化革命をどうやらご存じないようだ。
 (毛の) 評論は現在わが国の文化制度を運営する 60年代ヘルベルト・マルクーゼ世代の指定参考書であった・・・
 保守派がぼんやりしている間に・・・
 現代アート ―― マネやドゥガ、セザンヌ、ロダンらの理想主義とはかけ離れた代物 ―― は、醜悪かつ卑猥、は相手機、堕落的、マルクス主義的反米思想の御用聞きとなってしまった。



先に述べたセラノ・メイプルソープ・コックス組合の暴挙に対するクリスチャンの反応は、哀れを誘うほど弱々しいものだった。
人気テレビ番組 「クイズ・ミリオネア」 の司会者リージス・フィルビンでなくとも 「ファイナルアンサー?」 と訊きたくなる。

          ◇


目 次
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )

日本版まえがき
序として

第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動
レコンキスタ
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説



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