IL DIVO ~ Amazing Grace
パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
宗教のはにかみは聖なる炎に帳 (とばり) を下ろす。
そして気づかぬうちに道徳の火は消える
―― アレクサンダー・ポープ
無神論者は、結局は生き甲斐も持たなかったと悟るだろう
―― T・S・エリオット 1939年
第一次大戦ではカトリック国フランスとオーストリアが、プロテスタン国ドイツとイギリスが戦火を交え、総勢 900万人のキリスト教戦士が命を落とした。
唯一の正教国ロシアは共産主義に鞍替えしたが、それは国家改宗というよりはクーデターに近かった。
グラムシは、西洋人がマルクス主義を受け容れぬのはキリスト教 2000年の歴史によると結論づけた。
西洋征服にはまずはキリスト教根絶が必須であると。
だが、どうやって?
社会制度を通じての 「長行軍」 によって、というのがグラムシの出した答えだ。
すなわち、若者の嗜好を形成する各種制度 ―― 学校、大学、映画、音楽、芸術、無検閲で全家庭に流れる新媒体ラジオ、さらにグラムシ没後のテレビ ―― との提携作戦である。
文化さえ掌握しておけば、あとは左翼が一致団結、西洋・脱キリスト教化を開始できる、と。
あれから数世代を経て、同プロジェクトは完結した。
もはや西洋は昔の西洋②あらず、そして文化統制は必然的に国家統制をもたらした。
ところが、西洋ではキリスト教崩壊と同時に少子化現象が始まった。
というのも、信仰心と大家族は不可分の関係にあるからだ。
クリスチャンであろうとムスリムであろうとユダヤ教徒であろうと、敬虔な集団ほど高い出生率を示す。
合衆国初の完全なる政教派ユダヤ教徒の町ニュースクエア (ニューヨーク州) では、一家に平均 10人の子供がいる。
ロシアのコストロマに住むウラジミール・アレクセイエフは 16人の子供に恵まれ、現在妊娠中の妻は家じゅうに聖像を飾っている。
「宗教に目覚める前から子供はたくさん持とうと考えていましたが」 と、アレクセイエフは AP 通信に語っている。
浸礼派 (バプテスト) テキサス州白人層の出生率は、放蕩派カリフォルニア州白人層のそれを上回る。
世界中どこであろうと世俗主義がはびこる地域は人口減少が進んでいる。
1999年、法王ヨハネ・パウロⅡ世は旧大陸全体の情勢を把握したいとして司教会議を招集した。
だが、報告は芳しくなかった。
世俗主義が 「ヨーロッパ中の信徒を害しつつある。大陸全体の非キリスト教化、異教徒化の危機」。
ベルギー、ドイツ、フランスの若年層の信徒で定期的に教会を訪れるのは 1 割未満。
欧州北西部では、新生児の過半数が洗礼を受ける大都市は皆無とのことだった。
同年の 『ニューズウィーク』 の調査によると、フランス人の 39% は無宗教を自認、神を信じると答えたイギリス人はわずか 56%。
日曜日のミサに出ると答えた人はイタリアで 15%、チェコに至ってはかろうじて 3%。
チェコのハヴェル大統領は、われわれは 「人類史上初の無神論文明」 を築きつつあると語り、疑問を投げかけた・・・
何事も人知の及ばぬことはないと・・・
人類の能力がことさらに強調される昨今の風潮では、無神論台頭は起こるべくして起こったと言えるのではないか。
ところが、新たな 「無神論文明」 勃興と王子に、同文明を待ち望んでいた集団の滅亡が始まった。
どうやらこんな法則が成り立ちそうだ ――
国家の信仰を消滅させれば国民は子孫を増やすのをやめる。
そして、やがて侵入してきた外敵あるいは移民ががらあきのスペースを埋める。
こうして改革派は、キリスト教との決別にちっぽけなピル同様の避妊効果を確認した。
それにしても、50年代、伝統的キリスト教主義が浸透していたあの 「教会好き」 のアメリカが、かくもあっさりその流れに屈したのはどういうわけか。
「アメリカはキリスト教国である」。
1992年、ミシシッピ州知事カーク・フォーディスのこの発言は、「ユダヤ教と」 との一言が漏れているとして大顰蹙 (だいひんしゅく) を買った。
が、知事の指摘は正しい。
ゲイリー・デマーの 『アメリカ・キリスト教史秘話』 にもあるように、そもそもアメリカはその発端から 250年間、キリスト教国であった。
初期の入植者はプロテスタントの一大集団で、ユダヤ信者とカトリック信者は数えるほどしかいなかった。
私が教区学校に通っていた 1940年代、修道女らは、独立宣言の署名者 57名のなかにただ一人カトリック教徒がいた ―― メリーランドのチャールズ・キャロル・キャロルトン ―― と、誇らしげに語ったものだ。
『ヴァージニア第一の特許状』 で、入植者の目標は 「いまだ神の存在も知らぬ哀れで無知蒙昧な民にキリスト教の教えを広める」 ことと宣言された。
『メイフラワー盟約』 は、「神の名のもとに、アーメン」 で始まり、「神の恩寵により・・・神の至福とキリスト教前進のため、ここに義務を負い・・・」 と続く。
『コネティカット基本法』 (1639年) は、「神の御言葉は、住民の平和と結束の維持が・・・自由を保持し、われらが主イエス・キリストの教えを浄化するため・・・神の規定する規律と節度を備えた統治体によってなされることを要求する」 と宣言している。
こううした歴史に鑑み、最高裁長官アール・ウォーレンは1954年、国際キリスト教指導者会議の朝食祈祷会の場で次のように述べた ――
わが国の歴史をひもといてみると、そもそもその発端から聖書とイエス・キリストの魂によるお導きがあったのだという事実に気づかずにいられません・・・
『ヴァージニア第一の特許状』・・・
『マサチューセッツ・ベイ特許状』・・・
『コネティカット基本法』・・・
どれもみな同じ目標が掲げられています ―― キリスト教原理に則ったキリスト教国家創設という目標が。
デマーの書には反駁 の余地のない真実がずらりと並ぶ。
フォーディス発言の 1 世紀前の 1892年、連邦最高裁は 「わが国はキリスト教国である」 と宣言した。
ウッドロー・ウィルソンはニュージャージー州知事時代の 1911年、「アメリカはキリスト教国として生まれた。聖書のお告げに由来する正義への帰依を体現するために」 と語った。
1931年、連邦最高裁判事ジョージ・サザランドはアメリカ人を 「キリスト教国民」 とした 1892年判決を再確認した。
フランクリン・ルーズヴェルトはチャーチルとともに大西洋憲章をひねり出したブラセンシア湾で、アメリカは 「キリスト教原理の下に建国された」 と宣言、米英両国海兵隊に 『見よや十字架の旗高し』 を歌わせた。
ハリー・トルーマンも 1947年、ピウス十二世宛ての書簡に 「わが国はキリスト教国」 と明記。
1951年の連邦最高裁判決でウィリアム・ダグラス判事は 「米国民は信心深き民であり、米国社会は神の存在を前提としている」 と述べた。
ジミー・カーターも 「政治は神の意志を具現化するような方向で執り行うべき」 と語っている。
フォーディス発言に感情的で敵意むき出しの反応を見せたのは、物言わぬ大衆より文化エリート層だ。
すでに新たないんちき歴史を書きはじめていた彼らに言わせるとこうなる ――
アメリカがキリスト教国だったためしはない、そんなことを主張するのはフォーディスのような偏狭者だけ。
「政治は神の意志を具現化」 うんぬんというカーター発言については、最高裁によれば憲法修正第一条で禁じられている。
法律を通しアメリカ社会を変えたいという方へ、最高裁推薦の参考書はカール・マルクス、レイチェル・カーソン、ベティ・フリーダン、あるいはアル・ゴアの著書。
マタイやマルコ、ルカ、ヨハネの書いたものはお薦めできない。
いかにしてアメリカは非キリスト教化されたか。
答え ―― 専制的に、しかも、ろくに抵抗も示さずに。
数ある宗教勢力のなかでも頭抜けた烈しさを誇る先祖を持ちながら。
半世紀前、連邦最高裁は社会を変える己の潜在パワーを熟知する理論家たちで占められていた。
彼らは憲法修正第 14条により、憲法が連邦議会に課した制限が州議会にも課されると断定。
その時点で憲法修正第 10条は空文化し、すべての州が連邦最高裁の統治下に置かれることとなった。
「国教の樹立」 を禁じ、信教上の 「自由な行為」 を重んじよという修正第 1 条の文言がキリスト教に対する先制攻撃是認の根拠 ―― と連邦最高裁は解釈。
聖書から十字架、シンボル、行事、祝日に至るまで、キリスト教に関する一切合財が公立学校から追放された。
アダムとイヴ物語は厳禁だが 『ヘザーちゃんにはママが二人』 は OK。
キリスト昇天の絵は不可でも猿人昇格の図は大いに結構。
イースターよさらば、アース・デイよこんにちは。
同性愛の不道徳さを説く聖書は追放しても同性愛嫌悪の不道徳さを説くホモ教師は歓迎。
コマンドメント (十戒) は不要でもコンドームは必要。
この 50年、連邦最高裁は一貫してわれらが父祖の信仰を破棄し続けてきた。
1948年、公立学校における任意の宗教教育禁止、1962年には学校での祈祷禁止、1963年には聖書の朗読が違憲とされた。
1980年、教室の壁に十戒を張るよう求めたケンタッキー州法は破棄された ―― 十戒は 「現世において何の役にも立たない」 との理由で。
1985年、ピッツバーグ近郊のアレンゲニー郡庁舎に飾られた馬槽の中の幼きキリスト像は撤去を命じられ、1992年には卒業式におけるあらゆる祈祷が禁止され、2000年には試合中生徒は拡声器で祈りの言葉を叫んではならないとされた。
30年間審理にあたっていたレンクィスト首席判事は、さすがにうんざりとばかりに痛烈な反対意見を展開した。
本判決は、社会生活における宗教的事象すべてに敵愾心 (てきがいしん) を募らせている・・・
信仰心を保持することもそれを示すことも、「国教樹立条項」 に何ら抵触するものではない。
ジョージ・ワシントン自身、権利章典を可決した当の連邦会議の要請により、「全能の神の大いなる恩寵により承認されたことに感謝と祈りを捧げる」 と宣言しているのだから。
「物まねは最も真心のこもったお世辞」 というが、キリスト教敗走を察知した下級裁は最高裁をしのぐ判決を出しはじめた。
1996年、連邦第9巡回裁判所はオレゴン州ユージーンの公園に戦争記念十字架を建てるのは違憲と判断。
1999ねん、第6巡回裁判所はクリーブランド教育委員会に会議開催前の祈祷取り止めを命じ ―― 連邦議会は毎日祈祷しているにもかかわらず ―― 第11巡回裁判所は卒業式でのあらゆる祈祷を禁じた。
オハイオ州は1959年、州の標語として 「神は万能なり」 を採用。
公文書や税務書式、州庁舎の舗道に敷いたブロンズ板に使用してきた。
2000年、第6巡回裁判所は同兵庫の撤回を命じた。
理由?
なぜなら同文言は新約聖書に由来するから。
しかもなお悪いことにキリスト自身の言葉だから。
仮にオハイオの標語がニーチェの 「神は死んだ」、あるいはドストエフスキーの 『カラマーゾフの兄弟』 から拝借して 「神が死ねばすべての罪が赦される」 だったとしたら、なんの問題もなかったはずだ。(← !(^^)!
ジョックロッカー、マリリン・マンソンは 「どの年齢にも最低一人はキリスト教をぶちのめす気合いのあるやつがいないと。今んとこ成功したやつはいないが」 と言った。
心配するな、マリリン、最高裁は君の味方だ。(← \(^o^)/www
2001年 5月、連邦最高裁は、インディアナ州エルクハート市庁舎の庭から十戒の彫り込まれた石柱 ―― 40年以上の歴史を誇る ―― 撤去を命じた控訴審判決を支持、6 対 3 で市側の訴えを退けた。
しかしながら今回も反対派に回った首席判事の指摘によれば、うちの法廷にもモーゼの絵が飾られているではないか、とのことだった。
宗教対立はゼロサム・ゲームである。
一方の得点は他方の失点。
キリスト教台頭は熱心なユダヤ教徒サウロにとっては脅威であった、
だから彼は殉教者ステパノが石を投げつけられるのを黙って見ていた。
イスラムによるアラビア・北アフリカ征服はヨーロッパを動揺させた。
宗教戦争とプロテスタント台頭がローマの命運を分けた、
共産主義の凱歌のあがる地でキリスト教は無視された。
そして全米の学校に世俗主義を命じる判決は、キリスト教にとって壊滅的痛手となった。
幼稚園入園から中学卒業まで児童の心、すなわち未来の国家像を形作るのは公立学校だ。
子供たちはみなそこで信条、価値観、生き方考え方を学ぶ。
が、今やキリスト教は乞食か何かのように学校から追い払われつつある。
またも改革派の容赦ない一撃。
どれぐらいそのパンチが効いたか?
1973年版 『ヒューマニスト宣言』 を読めばわかる。
同宣言には公立学校の守るべきドグマがずらりと並ぶ。
「神への祈りは・・・効果の立証されない時代遅れの信仰」
「伝統的倫理規範は・・・現代の差し迫ったニーズに合致しない」
「永遠の救い、あるいは永遠の断罪、ともに危険な幻想である」
「人類が進化の過程で発生したことは科学が証明している」。
こうした理念を児童はみな素直に受け容れる。
なぜなら、キリスト教の締め出された教室で教師の取捨選択した知識だけを授けられるから。
ヒューマニストらはその目論みを隠そうともしない。
宣言書は 「避妊、中絶、離婚の権利」 を主張、「異なる性的性向を 『不道徳』 とみなすべきではない」 とも明記する。
自由のなかには 「個々人の尊厳死、安楽死の認知、自殺の権利も含む」。
ACLU (全米市民自由連合) のエクソシストらが公立学校からキリスト教を追いやって以来、こうした世俗的ドグマがまことしやかに児童におしえられるようになった。
かくて、いまだアメリカはキリスト教国家ではあるものの、公的機関、大衆文化は完璧に非キリスト教化された。
この本が書かれた 8年後、第 44代アメリカ合衆国大統領に選出されたバラク・フセイン・オバマⅡ世は、2013年 1 月の 2期目の就任宣誓式において、それまで当然のこととして行われていた 「聖書に右手を当てる」 ことをしませんでした。
彼はそれによって、「アメリカはキリスト教国である」 ことを否定し、すべての宗教、すべての人々を受け容れる国であると表明したのです。
それはもう 「国家」 ではなく単なる 「広場」 でしかないと、個人的には思うのですが・・・
日本は 「神道=やおよろずの神々の国」 です。
したがって、ブッダ (仏教) も孔子 (儒教) も 老子 (道教) もキリスト (キリスト教) も誰もかれも 「やおよろずの神々の中のひとり」 としてくくってしまうので (笑) 神道を戴きながら、あまたの神社仏閣が混在した中で、それを不思議ともなんとも思わずに暮らしているのが、日本民族です。
しかし、「アメリカ合衆国」 は違います。
イギリスがローマ・カトリックの教義に反発して新たに 「イギリス国王を首長とするイギリス国教会」 を成立させます。
ですが、「イギリス国教会」 は 「教義はプロテスタントのカルヴィン派に基づくもの」 で 「礼拝様式はカトリック」 という折衷的なものだったため、それに不満を抱く人々が現われます。
彼らは 1620年、「キリスト教の原点に帰れ」 という 「自分たちの思う宗教を自由に信仰したい」 という願いから 「新天地」 を求め、「メイフラワー号」 でジェームズタウンを目指しました。
またイギリス国内では、不満を抱きながらも、イギリス国教会のあり方を浄化してプロテスタントらしいものに変えていこうと努力している人たちもいました。「ピューリタン」 と呼ばれた人たちです。
しかし国教会の改革についに見切りをつけた人たちが、 「メイフラワー号」 から 10年後の 1630年、ボストンを目指します。
この時の指導者ジョン・ウィンスロップは、およそ 1000人のピューリタンを前に、
「われわれは丘の上の町とならなければならない。
あらゆる人の目がわれわれに注がれているのだから。
もしわれわれが神から与えられた特別な任務を遂行できなければ、主は決してわれわれをお許しにはならないであろう」
という説教をします。
この説教は、それから 300年以上の後のジョン・F・ケネディの演説の中にも引用されました。
1630年というと、日本では徳川 3代将軍・家光の時代です。
そして当然イギリス本国から様々な干渉を受け続けますが、ついに 「丘の上の町」 から 146年後の 1776年 7月 4日、独立戦争を経てアメリカ合衆国は 「自由と民主主義」 を掲げて 「独立宣言」 を果たします。
日本では徳川 10代将軍・家治の時代のことです。
ということで、「アメリカ」 という国はピューリタンたちの 「丘の上の町」 なのです。
ちなみに独立宣言には 「自由」 と 「民主主義」 が掲げられましたが、フランスのような 「平等」 は入っていませんw
思うに、「自由は平等を妨げ、平等は自由を妨げる」 のではないでしょうか?
注目すべきは 『ヒューマニスト宣言』 の出版が 1972年のニクソン=アグニュー大勝利の数か月後だという点だ ―― 「第三意識」 人の選んだあのマクガバンの 「アシッド (LSD)・アムネスティ・アポーション (中絶)」 キャンペーンに圧勝して。
ところが 1972、1980、1984、1988、1994年と相次ぐリベラル敗北にもかかわらず、ヒューマニスト宣言 ―― 最初の刊行時はアメリカの主流にはほど遠かった ―― は徐々に民主党の手で実行に移され、共和党の抵抗が弱まっていく。
が、同書には一点、ごまかしがある。
「政教分離は避けられない」 と主張しながら、彼らの説く世俗的ヒューマニズムそのものが宗教なのだ ―― エリートの信奉する宗教、最高裁の押しつける宗教。おそらく彼らの最大の成功は、キリスト教徒に敵対宗教と認識させず、単なる意見・見解だと思わせたこと。
キリスト教徒は駆逐さあれた。
敵は中産階級の志向とは乖離した少数集団だが、連邦最高裁を味方につけ廃車に強権政策をしいた。
ACLU にどんな風評が囁かれようと最高裁は救済を惜しまない。
セルヴァンテスが言ったように、何の取り柄のない者でも扱いは公平に、というわけか。
最高裁はすべての宗教のために一つの競技場を用意した、といまだに信じるクリスチャンは周りが見えていないのだ。
彼らのスタジアムが没収され敵方に渡されただけなのに。
失ったものは戦わずに取り戻せない。
『国家が滅びるとき』 のなかでジム・ネルソン・ブラックは福音派をとりわけ痛烈に批判する ――
だが前世紀、米国社会が弱体化した主因として、一瞬抵抗を示しただけで事実上討論を放棄したキリスト教勢力の姿勢が挙げられる。
なかでも福音派はさっさと逃げ出し傍観していた。
実際、大多数のクリスチャンはとうの昔に政治・倫理に関する 「公の」 討論会からみずからの意思で退いていた。
それからかなりの時を経て、自由論者やら何やらが台頭し、われわれを教会から追い出したのだ。
いささか厳しすぎる見方にも思えるが、ともかく、国を失いたくなければキリスト教徒は目を覚まさねば。
それからリーダーも必要だ。
C・S・ルイスは臆病で優柔不断な正体を覆い隠す手段でしかない妥協精神に警告を発している ――
われわれキリスト教徒は異教徒に無用の譲歩をしがちだ。
何から何まで譲りすぎ・・・そろそろ反対の意を示さねばなるまい。
真にイエス・キリストを信ずるならキリスト教色を鮮明に打ち出さねばならぬ。
このまま黙っていては敗北を認めたも同然だ。
21 世紀に入る前に公の場の非キリスト教化は完結した。
復活祭もキリスト降誕の絵も聖歌も聖書も、何もかもが消え去った。
公立学校は親や納税者の要望を無視し、ACLU・『ヒューマニスト宣言』 の指針どおりの判決に則って運営されている。
ミズーリ州リパブリックでは、ACLU が魔術師に代わって訴えを提起、市の紋章から魚の絵の部分を除去させた。
理由は 「キリスト教団体でよく使用される特徴的シンボルだから・・・この紋章入りの書式を観た市民の大半がキリスト教のシンボルだと思った」。
さらに ACLU は 2001年 5月、食前の感謝の祈りを捧げたくないという学生 2人のためにヴァージニア陸軍大学を提訴した。
こうして民主的にではなく強制的に、アメリカ社会から神は退位させられた。
われらが父祖の時代には考えられなかったことだ。
かつては闘志満々だった信仰集団がなぜこんなまねを許したのか ―― しかも祈りも聖歌も聖書朗読も十戒掲示も、いまだに大多数が支持しているにもかかわらず、なぜならわれわれは判決という法の下で暮らしているから。
議会は何もしてくれない。
この国がすでにキリスト教国でないとしたら、それは民主国家でなくなったから。
これぞまさしくクーデター。
「主権在民!」。
かつて米国人は誇らしげに叫んだものだ。
しかし今は違う。
この国は多数決の国ではない。
われわれは少数の集団と、彼らに同意する 5人の連邦最高裁判事 ―― 名前を言える国民は 1 割もいない ―― の創るルールの下で生きている。
こうした風潮が続くにつれ旧来の聖書的倫理規範が廃 (すた) れ、新たな倫理規範が確立した。
またも多数決ではなく一方的判決によって。
かつて犯罪だった中絶は “権利” となった ―― 最高裁お墨付きの。
学校における任意の旗島は憲法に定めた表現の自由に反するが、ナイトクラブの全裸のダンスはさにあらず。
住民投票で同性愛者保護法を廃止したコロラド州に対し、最高裁は投票者の動機に疑義ありとして撤回を命じた。
「わが国の法規範は救世主の教えに基づくものでなければならない」。
1892年、「ホーリー・トリニティ教会・対 ・合衆国」 判決で最高裁はそう述べた。
「わが国の文明・社会制度は明らかにキリスト教主義である」。
それも今は昔。
モラルに関する従来のコンセンサスが崩れた今、その上に成り立っていた共同体はもはや存在しない。
頭をたれる国民の姿に最高裁は大成功を確信。
「リッチモンド・ニューズペーパー」 反ケル (1980年) のなかでウィリアム・J・ブレナン判事は新規範を提示した。
曰く、裁判官は 「単なる裁定者にあらず、自己の裁量範囲において立法者でもある」。
さらに彼は 1985年、ジョージタウン・ロースクールにおいて 「多数決は場合によっては魅力的だが、根本的に良い解決策とはえない」、最高裁の役割は 「その場しのぎの多数派の理解範囲を超えた卓越的価値基準を示すこと」 と語った。
つまり彼個人の価値基準が卓越的だと言いたいわけだ、国民の多数意見がどうあろうと。
「今のアメリカで社会を変えるのは国民ではなく最高裁」 と指摘するのは 『司法独裁』 の著者の一人、ウィリアム・クワーク教授。
こうした風潮はジェファーソンのいう 「『政治は人民の意志を具現化した反にでのみ共和政的といえる』 との大原則」 に違反する。
ウォーレン、ダグラス、ブレナン、ブラックマンは勝利に喜色満面だ。
アメリカはもはや共和政体ではない。
そしてキリスト教も徐々に支持を失いつつある。
1999年のギャラップ世論調査によると、生活における宗教色は薄れつつあると答えた若者は 62%。
別な調査では 「モルモン、ユダヤ、あるいはイスラム信者よりも無神論者の方が多い」。
無宗教と答えた 1400万人の半数はジェネレーション X、31% はベビーブーマー世代。
キリスト教こそ唯一真の信仰と答えた人はわずか 42%。
プリンストン大学の行った 1996年の調査ではプロテスタントの 62%、カトリックの 74% がどの宗教もみな一様にすばらしいと答えた。
アメリカは依然性洋一のキリスト教国ではあるが、昔のような熱狂的、戦闘的信者はもういない。
カトリック宣教師、フルトン・J・シーン司祭の預言 (1931年) は当たったようだ。
造物主たる神と、「精神の客体化」 たる神の違いも分からぬような青臭い自由主義者が増えている ――
キリストも仏陀もパウロもヨハネもデューイもすべて同等とみなし、さらにどこまでもその寛大さを押し広げ、いかなる宗派のキリスト教もすばらしいというばかりか、世界宗教もまた同様にすばらしい、というような人々が。
とはいえ、教会に対し、新・世俗主義教理に合わせて祈りや讃美歌や聖書の書き換えを命じる判決はなかった。
すでに教会が任意に、あるいは熱心に書き換え作業を始めていたから。
なぜ?
なぜなら、たいていの人間は合理的だから。
己の学んだ真理の無謬性に疑問を持つ若い神父や牧師は、時代に取り残されたくないとの思いもあって、不可能にチャレンジした ―― キリスト教とカウンターカルチャーの融和という試みに。
が、必死に合わせようとすればするほど滑稽な事態を招来した。
「アメイジング グレイス・・・」 のフレーズで始まる最も有名な讃美歌は、改悛 (かいしゅん) した元奴隷船船長ジョン・ニュートン作 (1779年) である。
歌詞のなかの 「私のごとき恥知らずさえ救われた」 の部分は、讃美歌集によって 「私は救われ元気づけられた」 または 「私は救われ自由になった」 と改変された。
なぜなら、罪深き人間が神の救済を求めるという不愉快な想像を吹き飛ばすため。
『美しきアメリカ』 の歌詞の一部 「ああ、美しき巡礼者 (ピルグリム) の足跡/妥協を許さぬ熱き思い/自由への道を切り開く・・・」 がカットされた歌集もある。
なぜなら、ランビー族のハロルド・ジェイコブ曰く、「インディアンの自由への道を白人が踏みつけにした」 から。
『汝の道を行くがよい』 のなかの 「雪より真白に/われを洗い清めたまえ・・・」 は 「われを洗い清めたまえ/われを洗い清めたまえ」 に変わった。
どうやら 「雪より真白に」 は人種差別の暗示らしい。
「父よ、息子よ、聖霊よ」 は、より性中立的な 「創造主よ、救世主よ、支援者よ」 に。
ニューヨーク・リバーサイド教会のお薦めは 「父よ、息子よ、唯一神たるわれらが母よ」 である。
母なる神よ、われらに救いを。(← wwww (^-^)
『見よや、十字架の旗高し』 と 『私はキリスト教の騎士』 は過度に軍国主義的だとして廃棄処分。
『御恵み豊けき』 『人々の父である主よ』 は狂信的。
『与野人忘るな』 は排他的。
『主イエスの十字架を』 にも集中砲火。
讃美歌は好きだが歌詞が嫌、という向きは 「母」 や 「先祖」 に置き換えて歌ってもよいそうだ。
「われらが父祖の神」 は 「世々の神」 に変わった。
「Son of Man (人間)」 より 「Human One」 を好む宗派もある。
1980年、全米教会評議会は、性差別表現のない聖句集作成のためのフェミニスト学者委員会を設置。
「Lord」 は 「Sovereign One」 に、「Son of God」 は 「Child of God」 に改められ、神がアダムのためにイヴを創る決心をする場面は 「人が独りでいるのはよくない。この者にふさわしい相棒を創ろう」 と改変された。
こうして 1983年、『両性包括用語聖句集』 第一巻がお目見えしたが、ローズ大学・政治学教授のマイケル・ネルソンによると 「一週間ばかり賛否両論渦巻いた後、大教会が同書を放棄、事態は収拾した」
無神論者ヴォルテールはいまわの際に言った。
「神に祈りを捧げることは生涯なかった。ただ一つを除いては ―― ああ、主よ! わが敵を愚者に見せたまえ ―― 願いは聞き入れられた」。
教会を物笑いの種にしようとする裁判所は皆無だった。
当を得たつもりで的外れなことばかりしでかす教会を。
では、セックスとドラッグにはまりこむ子供たちを叱りつける前に、彼らの先輩たちの行動を見てみよう。
◇
目 次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )
日本版まえがき
序として
第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動 (レコンキスタ)
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説
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◆ (50) 第八章 非キリスト教化されるアメリカ
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