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◆ (48) 第七章 ④ オンリー・イエスタディ

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2ND SOUTHCOROLINA BAND ~ Dixie



パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房



第七章 新たな歴史を書き込め

(4) オンリー・イエスタディ



当世文化タリバン が偉人たちを神殿から追放したさまを見てみよう -――

   ※ 今なら 「当世文化イスラム国」 ですね・・・



◍ 18世紀最大の偉人、傑出した軍人・政治家にして建国の父でもある 「ワシントン誕生日」 は、ミラード・フィルモアやチェスター・アーサー、ウィリアム・ジェファーソン・クリントンらの偉業もすべて思い出せるよう 『大統領の日』 に改められた。



◍ 独立宣言起草者トーマス・ジェファーソンは 2000年、ニュージャージーにおいて 「ペルソナノングラータ」 を宣言された。
公立学校は毎日生徒に独立宣言の一節を復唱させるべきとの法案を州議会が却下したのだ。
独立宣言は 「女性や黒人の権利を害し、神に偏向しすぎ」 だとして民主党議員全員が 「反対票」 を投じた。
反対派の陣頭指揮を執ったのは州上院議員のウェイン・ブライアントである。
黒人である同議員は法案提出者を厳しく叱責した。
「私の孫らに独立宣言を復唱しろとは、厚かましいにもほどがある。よくもまあそんなことが言えたものだ。わが共同体に対する宣戦布告だ」



◍ 合衆国のためにスペインからフロリダを獲得したアンドリュー・ジャクソンは AIM (アメリカ・インディアン運動) の攻撃の的となっている。
AIM はジャクソンを 「大量虐殺者」 「ヒトラーの原型」 であるとして、毎年恒例の春祭り (タラハシー) から第七代大統領を祝う行事を除くことを主張している。
頑固親父はノースカロライナでも難儀な目に遭っている。
自称タスカローラ族の 「副酋長」 ロバート・チャーヴィスなる男が、現在 「アンオリュー・ジャクソン・ハイウェイ」 と呼ばれる 74号線を  「アメリカ・インディアン・ハイウェイ」 に改称しようと運動中だ。
「ジャクソンはわれわれにとって英雄でも何でもない。ヒトラーと同じ、ただの殺戮者」 というチャーヴィスは、改称嘆願書にすでに 4000人の署名をもらったと公言している。
奴隷所有者、インディアン討伐者、さらにチェロキー族強制移住法にサインした大統領 「キング・アンドリュー」 は現在、アメリカの 20ドル紙幣の表の面を飾っている。
こちらもいずれ話題となるかもしれない。



◍ 「カスター国立古戦場跡」 は最近、カスター軍を全滅させたインディアンの大勝利を記念して 「リトルビッグホーン国立古戦場跡」 と改称された。
そのうち、小ぢんまりした騎兵隊記念碑の脇に、彼らを殺し、頭皮をはいで手足を切断したインディアンたちの記念碑がそびえ立つことだろう。(← (^^;



◍ インディアン運動家たちはスポーツ・チームの名称から 「インディアン」 をはずすことを要求。
2001年、公民権委員会は承認した。
大学スポーツのチーム名やマスコットに 「インディアン」 を使用するのは 「無礼かつ侮辱的」 で 「教育上好ましくない環境」 を創り出すとの理由で ―― いつそうなったかとの見解は示さずに。
とはいえキャンパスではいまだに政治的公正キャンペーンが健在だ。
「ダートマス大インディアンズ」 は 「ビッグ・グリーン」 に、「スタンフォード大インディアンズ」 は 「カージナルス」 に、「セントジョーンズ大レッドメン」 は 「レッドストーム」 に改名された。
一方、名称を変更したら 1 億ドルの寄付を撤回すると校友から脅しを受けたノースダコタ大は、「ファイティング・スー」 の名を変えないことに決定した。
「ワスントン・レッドスキンズ」 と、ファンがにせインディアンダンスを踊る 「アトランタ・ブレーブス」 も紛糾している。
ポートランドの日刊紙 『オレゴニアン』 は、インディアンズ、ブレーブス、レッドメン、レッドスキンズ、チーフスの付くチーム名は紙面に載せない方針を固めた。



◍ カリフォルニアのサンノゼでは、インディアンとヒスパニックの抗議により、メキシコ戦争で同市を占拠し市長となった冒険家トーマス・ファロンの銅像を建てる案が撤回された。
「この地で惨殺されたわれわれの祖先に対する侮辱」 とプエブロ・ユニドのパスクワール・メンデヴィルは語る。
「でも差別主義者の逆鱗に触れて、メキシカンに対する風当たりが強くなった」。
彼らは代わりに翼を持つアステカの蛇紳 「ケツァルコアトル」 像を建てるという。
アステカ皇帝が近づいたこともないサンノゼに。
しかしそれは考え直したほうがいい。
アステカ最後の皇帝モンテスマⅡ世は迷信深いお方で、ケツァルコアトルが東方から玉座を奪いにやってくると考えていた。
コルテスと鬚 (ひげ) の白人軍団のベラクルス上陸を報されるなり、無敵のはずのモンテスマと臣下たちはパニックを起こしたそうだから。



◍ アメリカ最古の街セントオーガスティン (フロリダ州) はコロンブスの部下のポンセ・デ・レオンが発見した町だが、湾岸にあるポンセ像を撤去するようインディアンが申し立てている。
「若返りの泉」を探す途上、矢を受け致命傷を負ったこの探検家も、インディアンに言わせれば 「狂気の殺戮者」 となる。



◍ サウサンプトンの偏向対策委員会は、70年間使用してきた町の印章の廃棄を要求している。
図柄はピルグリムの衣装をまとった白人男性と下帯姿のインディアンえ、「ニューヨーク州初の英国人入植地」 と記され、背景には横帆艤装線と、「コンシャンス・ポイント」 と呼ばれる岩 ―― 1640年、マサチューセッツはリンからやって来た入植者の上陸記念碑 ―― をあしらったこの印章は道路標識と町の公式文書すべてに使用される。


「この印章は一つの人種、一つの性、歴史の一面だけを表わしている」 と、対策委員会の前委員長スザナ・パウエルは主張する。
「歴史は 1640年に始まったわけではない。ずっと昔からネイティヴ・アメリカンはここにいた」。
さらに現委員長ロバート・ツェラーも図柄に事実誤認があるという。
「この地のインディアンは腰巻姿ではなかった。そんな薄着では寒すぎる」。
新たな印章ではシネコック族が 〈L.L. ビーン〉 の洒落た服でも着るのだろう。 (←wwwww)


けれど、何といっても目下、文化闘争最前線の火が燃えさかるのは、南部と 「失われた大義」 関係だ。
かつて北軍兵として活躍したマッキンレーは大統領就任後の 1898年、『ディキシー』 の鳴り響くアトランタでかつての敵勢に帽子を振り、戦没者の墓地保存を示唆した ―― スペイン戦争に向け国を一つにする、とびきり優雅なしぐさであった。
が、今ならマッキンレーは差別是認者として糾弾されるに違いない。
あれから百年経った今、アメリカの新・文化人はみな南部の大義、指導者を貶めようとする層の言いなりになっている。



◍ ロバート・リー率いる北ヴァージニア軍に 4年間護られたリッチモンドで、リーの肖像画を撤去・破棄するようにとの決定が出された。
南部連合の偉大なる勇士 ―― リー、ジャクソン、スチュアート、ディヴィス ―― の銅像が飾られたモニュメント・アヴェニューでは、4体の銅像の真ん中に黒人テニス選手アーサー・アッシュの像がでんと置かれ、シンボリズムを破壊している。
多くの州民が、すでに 「キング牧師誕生日」 から分離された 「リー・ジャクソン記念日」 はもうじき廃止されると考えている ―― 南軍の二大英雄が眠るヴァージニア州で。



◍ 10年に及ぶ NAACP (全国黒人地位向上委員会) 主導の排斥運動が実り、今なおシャーマン軍による砲撃痕の残るサウスカロライナ州議会議事堂から何軍旗が降ろされた。
州民は旗の掲揚を望んでいた。
戦後百年を偲ぼうとのアイゼンハワー大統領の発案で 1962年から掲げられていた旗である。
が、州民の希望など関係なかった。
コンヴェンションのキャンセルが相次ぎ、芸能人、スポーツ選手も同州来訪拒否の旨をちらつかせた。
議会は降参、旗は敷地の一角にある戦争記念搭に移された。
それでも NAACP は満足していない。
彼らの運動は旗が消え失せるまで続く。



◍ ジョージア州は抗議運動によって南軍旗に瓜二つの州旗を廃棄した。
これを受け、アトランタ前市長メイナード・ジャクソンは 「鉤十字 (ハーケンクロイツ) 撲滅のために奮闘された」 同州知事に感謝の意を表明した。



◍ テキサス州ではジョージ・W・ブッシュ知事の指示により、南軍戦没者未亡人基金で造られた戦没者記念プレートが州最高裁庁舎から撤去された。



◍ 2001年 2月 2日、フロリダ州知事ジェブ・ブッシュは、1978年以来ずっと州議事堂のてっぺんに翻っていた南軍旗を撤去した。



◍ ミシシッピのオールミス大学の学生は裁判所命令により、スタジアムで南軍旗の小旗を振って応援することを禁止された。
さらに、州旗の一角にデザインされた南軍旗の部分の改定案が出されたが、2001年 4月に行われた州民投票の結果、2 対 1 の割合で古いほうのデザインが勝利を収めた。
どうやら党派にかかわらず南部の議員は少数民族と文化人におもねることばかり考え自分を選んでくれた住民の意思をないがしろにしているようだ(← これは日本でも大いにあることですね。)



◍ ウェストヴァージニアのハーバーズ・フェリーには解放黒人ヘイワード・シェパードの石碑がある。
解放指導者ジョン・ブラウンによる兵器庫襲撃 ―― リーとスチュアート率いる海兵隊に鎮圧されたが ―― で最初の犠牲者となった運搬係だ。
ポトマック川とシュナンドア川の合流点に近いその石碑は、1931年、南部婦女子連合によって建てられた。
碑文には、ヘイワード・シェパードは 「多くの黒人同様忠義に厚く、戦時中のあまたの誘惑にも屈せず立派に身を処した。その生涯に傷一つないことは国民の特筆すべき遺産であり、ここに両人種を永久に讃えるものとする」 とある。
碑文は長いこと覆い隠されているが、執拗な撤去運動は今のところ成功していない。



◍ メリーランド州南部のポイント・ルックアウト共同墓地の伝統 ―― 戦没者追悼記念日に同地の北軍刑務所で没した南軍兵 4000人の墓石に小さな南軍旗を立てる ―― は、復員軍人省によって打ち切られた。
また 1997年、同州は南軍軍人末裔会 (SCV) に発行した小さな南軍旗の絵入りナンバープレートを回収した。
特別ナンバープレートを申請した 215の非営利団体のうち拒否されたのは SCV のみである。



◍ 南北戦争最大の激戦地アンティータム運河では、たとえ私物であれ南軍将校の銅像建立を一切禁じようとの動きが進行中である。
現在同地にある 104の銅像のうち、南部出身者の像はわずか 4体のみ。



◍ 南北戦争の英雄フォレスト将軍によって守られたアラバマの町セルマでは、フォレスト像が繰り返し破壊行為を受けている。
市議会は取り壊しを検討中。
メンフィス市議会は市の南部連合軍記念公園 ―― こちらもフォレスト像がある ―― を癌犠牲者記念公園に変更する法案を提出した。


フォレストはアメリカが生んだ最も偉大な騎兵将軍だ。
確かに彼は戦前は奴隷の売人で、「熾烈なサバイバル戦を勝ち抜くための武器として 『クー・クラックス』 クランを受け入れた」 こともあったが、「南部および国家にとってクランは危険な存在でしかないことにすぐさま気づき、脱退した」。
1874年にテネシー州トレントンで起きたリンチ事件を受け、フォレストは 「クランを抹殺する」 と宣言。
翌年には、黒人も 「法の枠組みに入れ、どこにでも行けるようにするべき」 と訴えた。
「南部の丸太小屋で生まれたあの偉大なる黒人解放論者でさえ、そこまで言いはしなかった・・・」。
コラムニストのウォルター・ウィリアムズによると、フォレストは常に指揮下の黒人兵士の勇気を讃えていたという ――  「上級軍人が続々と倒れるなか、黒人兵が最後まで踏ん張ってくれた」 と。
しかし、比類なき闘士フォレストに敬意を表するほど今のアメリカは懐の大きな国ではない。



◍ 「ギルモア、ヴァージニアの伝統廃棄」 との見出しが 『ワシントン・タイムズ』 の一面を飾った。
ブッシュ政権の共和党全国委員長に選出されたヴァージニア州のジム・ギルモア知事は、NAACP の脅しにより 「南部連合歴史月間」 廃止を決めた。


『ワシントン・ポスト』 は 「Va 州、南部連合への敬意解体処分」 との見出しで、「知事はさらに 『奴隷制がなかったら内戦は起こらなかっただろう』 との見方を初披露」 と紹介。
リンカーンによる南部諸州の連邦脱退拒否が戦争を惹起したわけではない、と主張する団体もあるという。


ポストの記事はほとんどが廃止賛成派の意見で占められ、反対意見は一人しか紹介されていない。
同紙は今回の決断が知事の中央政界進出への大きな足がかりになると指摘する ――


黒人指導者は知事の声明におおむね歓迎の意を表明・・・上院議席を狙う白人で保守派の共和党員にとっては上げ潮となるだろう・・・。


ジョージ・メイソン大で政治学の教鞭をとるアフリカ系のトニー=ミシュエル・トラヴィスは、(知事の) 連邦進出の野心は 「大衆との意思疎通」 によってさらに強まるだろうと語った。



◍ 『なつかしのヴァジニア』 はもうヴァージニア州歌ではない。
歌詞に 「黒んぼ」 や 「ご主人様」 という語が含まれるとの理由で廃止になった。
この曲が作られたのは 1875年のことで、『おお、黄金のスリッパよ』 でも有名なニューヨーク生まれの黒人作曲家ジェームズ・ブランドの作だというのに。



◍ 焚書の動きも始まった。
ヘミングウェイ曰く 「現代アメリカ文学の源泉」、『ハックルベリー・フィンの冒険』 が全米の学校図書リストから削除されつつある。
戦前の奴隷制を厳しく見つめ、黒人奴隷ジムの気高さと勇気を描いたトゥウェインの傑作風刺小説だ。
しかしこの作品の攻撃により名を馳せた黒人教育家ジョン・ウォレスによれば、同作品は 「差別主義者のくずを描いた稀に見るグロテスクな児童文学・・・このような駄作を生徒に読ませようとする教師は即刻くぶにすべき。差別主義者か無神経、愚鈍、無能のいずれか、またはその全部だから」


ヘミングウェイも T・S・エリオットもライオネル・トリリングも 『ハックルベリー・フィン』 はアメリカの古典と認めていたが、ジョン・ウォレスに反駁 (はんばく) できる者がどこにいる?


さらに追放リストのすぐ下にくるのが、ハーパー・リーのピューリッツァ賞受賞作 『アラバマ物語』。
戦前の偏見激しい南部を舞台とした名作で、同名の映画では主人公の弁護士アティカス・フィンチをグレゴリー・ペックが熱演している。
撲滅派にとっては、同作品は 「慣習化した人種差別」 の象徴なのだとか。


ルイジアナのアパルーサス・カトリック高校は、20世紀最高のカトリック作家フラナリー・オコナーの作品を禁止した全米初の高校である。
黒人父兄と黒人教師が 『にせ黒んぼ』 と題する短編を所収するオコナーの作品集 『善人はなかなかいない』 をリストから省くよう要請した。


もっとも、カトリック映画評論家で 『ニューヨーク・ポスト』 コラムニストのロン・ドレイアによれば、オコナーは 「偏狭は白人を主人公に据える」ことによって 「黒人を 『黒んぼ』 だの 『ちび黒』 だのと蔑む彼らのおぞましいプライドを暴き、糾弾している」。
『にせ黒んぼ』 はオコナーが自身の最高傑作と自負する作品で、「貧乏白人の偏見を透徹した目で描いている」


エドワード・オドネル司祭は当初、このオコナー・パージを受け流していた。ザビエル、グランプリング、サザンその他多くの黒人大学で彼女の著作が扱われいると指摘して。
ところが枢機卿がただちに折れ、管区のカトリック校からのオコナー作品追放及び 「類似作への置き換え禁止」 を決定。
話の筋にかかわらず、差別的表現の出てくる書物は一切禁じられた。


トゥエイン、オコナー、ハーパー・リーのみならず、フォークナーから黒人作家ラルフ・エリソン、ジェイムズ・ボールドウィンまで。
先のコラムニスト、ドレイアによると ――


「本質的にオコナーは人種をテーマに据えてはいない。だからこそいっそう新鮮に差別文化の内実が浮かび上がる」 というのが、黒人作家アリス・ウォーカーのオコナー評である。


「彼女の作品世界を一言で語るなら、預言であり啓示であり、人間の魂の成長に不可欠な神の恩寵という衝撃」


「これぞディープ・サウスのカトリック校で学ぶべき最重要事項と思うが、いかがだろうか」 とドレイアは付け足している。



◍ 1999年、連邦最高裁首席判事ウィリアム・H・レンクィストは司法審議会の場で 『ディキシー』 を歌ったとして全米弁護士協会から警告を受けた。
レンンクィストは毎年同審議会で出席者に同歌の唱和を促している。


リッチモンド (南部連合首都) 陥落後、同地を訪れたリンカーン自身 『ディキシー』 演奏を命じたというのに。
戦後もずっと 『ディキシー』 は 『ハッピー・ディズ・アー・ヒア・アゲイン』 同様、民主党大会の人気ソングであった。
にもかかわらず全米弁護士協会は 「奴隷制と抑圧のシンボル」 と言って譲らない。
歌詞を紹介して読者の判断を仰ぐとしよう ――


〔独唱部〕
綿畑の広がる地に帰りたい
古き良きあの故郷に
見よ、はるか彼方のディきーランドを
ある寒い朝 ディキシーランドで私は生まれた
見よ、はるか彼方のディキシーランドを

〔コーラス〕
ああ、ディキシーランドに帰りたい フレー! フレー!
私はディキシーに居場所を見つけ 骨を埋める
はるか、はるか南のディキシーに
はるか、はるか南のディキシーに


エズラ・バウンドほどの含蓄はないにせよ、この歌詞のどこが奴隷制と抑圧を歌っているというのか。
60年代初期、セントルイスのガス灯広場で毎晩繰り広げられたディキシーバンドの生演奏は、必ず 『ディキシー』 と 『リパブリック賛歌』 で締めくくられ、ほろ酔い加減の人々は両曲ともに口ずさみ、拍手喝采を送ったものだ。


それが今はどうだ。


先のレンクィスト主席判事は最高裁のクリスマス・パーティ改称案 (「ホリディ・パーティ」 に) を拒んだかどですでに思想警察のマークを受けていた。
にもかかわらず、同僚らの判決で公立学校から追放されたクリスマス・キャロル唱和の音頭をとつ決意は固いようだ。



◍ 南軍旗が戦場に翻ったのはわずか 4年。
一方、奴隷制を容認した憲法下の国旗は長いこと国じゅうに翻っている。
そろそろ星条旗排斥の動きも避けられまい、と思っていたら、案の定始まった。
2001年春、民主党のテネシー州議会議員ヘンリー・ブルックス ―― 元 NAACP 政治活動委員長 ―― は、「先祖を奴隷化した植民地主義の象徴」 だとして議場における国旗への 「忠誠の誓い」 を拒否した。
NAACP はこの件に関し 「ノーコメント」 を貫いたが、コラムニストのジュリアンヌ・マルヴォーによれば、アフリカ系住民にとって国旗への忠誠の誓いは 「口先だけのまやかし」 に過ぎず 「ばかばかしい」 とのことだ。
どうやら民族意識国民意識に勝る人が多いらしい。 


もっとも、こうした風潮が見られるのはアメリカだけではない


「レッド・ケン」 こと新ロンドン市長リヴィングストンは帝国時代、有色人種を支配した将軍像の打ち壊しに取り組むという。
1843年インドを征したサー・チャールズ・ネイピア、1857年セボイの反乱を鎮めたサー・ヘンリー・ハヴロックらの銅像を。
ネイピアは部下に 「Peccavi」 ―― ラテン語で 「私は罪を犯した」 ―― とのメッセージを伝えたことで知られている。


しかしレッド・ケンの追放リスト中最も有名なのは、太平天国の乱を鎮圧、奴隷売買終結に貢献し、スーダンのハルツームにてカスター同様の最期 ―― マフディー軍に包囲され殺された ―― を遂げた英雄チャイニーズ・ゴードンである。
竿の先に掲げられマフディーのテントに運ばれるゴードンの首はヴィクトリア女王の心胆を寒からしめた。
その十余年後、オムディウルマンの戦いでキッチナー将軍率いる英軍はライフルとマキシム砲で 1 万 1 千の敵を叩きのめし、復讐を果たした。
この史上最後の偉大なる騎兵隊に属していたのが若き日のウィンストン・チャーチルである。
イギリス・エジプト軍の犠牲者はわずか 48名。ヒレア・ベロックは英国の魏討つに敬意を表し、こう詠んだ ――


たとえ何が起ころうとも
われらにマキシム砲あり
敵にはなし


マフディーの頭蓋骨をインクスタンドにしようと思いたって墓を荒らしたキッチナーの像も、おそらく取り壊しになるだろう。
1966年作の映画 『カーツーム (ハルツーム)』 では、マフディをローレンス・オリヴィエが、ゴードン将軍を現在全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンが演じた。
一方、現在ネルソン提督像のそびえるトラファルガー広場に、3メートル弱のネルソン・マンデラ像を建てる計画が進んでいる。


フランスでも聖像破壊が進行中だ。
フランク国王クローヴィスの洗礼から 1500年後の 1996年、政府は記念式典を計画したが、社会党、共産党その他左派全党 ―― フランス政党の半数 ―― が、キリスト教改宗を祝うのはまっぽらごめんだと抗議した。


以上の事実が物語ること ―― 多様性の容認を説く者は概して有言不実行である不寛容を罵倒する者はえてして最も不寛容である
タリバンとバーミヤンの石仏像のごとく、文化改造派は彼らの忌み嫌う旧アメリカの旗と像の全壊を目論んでいる。いかなる懇願も取り合わず。


キング牧師を讃えるかリー将軍を讃えるかは、州民の選択に委ねられるべき事項だ。
どちらを選んでもあるいは選ばなくとも、汚名を着せられる謂われはない。
が、今日キング牧師を選ばぬ州は不寛容の烙印を押される。
住民投票でキング誕生日を祝日にしないと決めたアリゾナ州は、スーパーボウルその他各種行事の中止騒ぎが起こると同時に、全米のマスコミから非難を浴びた。
あまりのバッシングに耐えかね、州政府は投票結果を破棄して祝日を制定。ようやくアリゾナ州は連邦への再加入を許された。


国内に 2校しかない男子士官養成大学の一つで 150年の伝統を誇るサウスカロライナ州のシタデル大学は、女子にも門戸解放せよとの執拗な訴えを提起された。
シタデルも、シタデルの女性たち ―― 卒業生の妻や母、娘や姉妹 -―― も、周も伝統保持を望んだ。
が、そんなことはおかまいなし。
連邦裁判所は同大学に圧しも入学させよと命じた。


オーウェル曰く 「ニュースピーック」 の氾濫する今の世の中で、多用は実は類似を意味する。
多様化の名の下に軍事学校はどこも見分けのつかぬ形態にされる。
男子限定など許されない。
たとえ関係者がそれを望んでも。
これが自由?
民主主義?
まさか。
オーウェルはお見通しだった ―― 「革命とは・・・独裁政権樹立のために起こされる」。
フランス革命もロシア革命も毛沢東派もクメール・ルージュもタリバンも、みな旧来の銅像を押しのけ神殿を汚した。
われらが文化革命も然り。
異論には我慢あらないのだ。
マケイン上院議員はサウスカロライナ州議事堂の南軍旗の件で非難しなかったことを詫び、愚かな日和見主義だったと懺悔してはじめて、改革派の恩寵を取り戻した。



  
国土は広大でも出口がとっても狭い中国のチョー簡略な歴史 (2)
  アヘン戦争 & 太平天国
(natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-1218.html )

          ◇


目 次
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )

日本版まえがき
序として

第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動
レコンキスタ
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説



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