THE LUMINEERS ~ Ophelia
Billboard TOP 25 HOT ROCK SONGS (2016.08.27付)
No.10 (Down-1 | 68weeks in chart)
パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房
第六章 国土回復運動(レコンキスタ)
(1) 誰がレーガンの融合政策をつぶしたか
1968年から 1992年にかけての四半世紀、共和党は事実上、大統領席をがっちり支配していた。
ニクソンの創出した 「ニュー・マジョリティ」 はレーガンに継承され、共和党は 6選で 5勝を挙げた。
勝因は共和党の伝統的支持基盤に民主党系の 2ブロック ――北部のカトリック系と南部の白人プロテスタント―― を加えたことだ。
ニクソンは愛国心、人民主義、保守主義の強調によりこれらの有権者を革新路線から離反させ、共和党は工業州と、南北戦争終結以来の民主党の地盤 「堅固な南部 (ソリッド・サウス)」 でも票を伸ばした。
こうしたニクソン=レーガンの融合路線は向かうところ敵なしだった。
マクガバンもモンデールもデュカキスも黒人票の 9割は取っただろうが、白人票の 6割、つまり全体の 9割超の票を獲得した共和党が当然ながら圧勝した。
メディアはこの南部戦略を批判した。
一方、民主党が一世紀に渡り人種隔離主義者たちと懇ろにしてきたことには何のお咎めもない。
フランクリン・ルーズヴェルトとアドレー・スティーヴンソンは選挙人リストにずらりと人種隔離主義者を並べたものだ。
1956年の大統領選で大敗したスティーヴンソンが票を獲得したのは、ミズーリを除き、のちにジョージ・ウォレスが制したディクシークラット (州の権利を強調し、民主党の公民権綱領に反対した南部の民主党離反派) 州のみである。
ニクソンもレーガンも決して人種隔離政策は採らなかった。
副大統領のニクソンは上院議員ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン以上に強力な公民権推進者だった。
1957年の公民権法通過に際して彼の果たした役割はマーチン・ルーサー・キングからの私信で絶賛された。
ニクソン副大統領の 「たゆまぬ努力と不屈の精神が公民権に実体を与えた」 と。
四半世紀の間、民主党は共和党から大統領席を奪えずにいた。
なぜなら、共和党の握る白人票をびくともさせられなかったから。
1964年のリンドン・ジョンソンの圧勝は除くとして、1948年のトルーマン以来、民主党候補で白人票を勝ち得た者は一人もいない。
共和党のこの快進撃をつぶしたのが、1965年の移民法だ。
東ベルリンで反ソ暴動が勃発した 1953年、コミュニストの劇作家ベルトルート・ブレヒトは 「政府が国民を開放して、新たな国民を選出したほうがいいのでは?」 と皮肉った。
アメリカが新たな選挙民を輸入し続けたこの 30年、共和党は途上国寄りの移民政策を後押しすることにより民主党の支持基盤を拡大し、ニクソン=レーガンの確保してくれた指定席権を危うくした。
1996年、共和党はその報いを受ける。
最も移民の多い 7州 ――カリフォルニア、ニューヨーク、イリノイ、ニュージャージー、マサチューセッツ、フロリダ、テキサスのうち、6州はクリントンへ行った。
2000年にはゴアが 5州を獲得し、フロリダは接戦。
移民の多い 15州中、ブッシュは 10州で負けた。
が、最も移民の少な 10州 ――モンタナ、ミシシッピ、ワイオミング、ウェストヴァージニア、サウスダコタ、ノースダコタ、サウスカロライナ、アラバマ、テネシー、アーカンソーは、ブッシュがすべて制した。
移民の多い州のうち、唯一テキサスだけが共和党の地盤であったが、そのテキサスもカリフォルニアに変わりつつある。
1990年代に 3200万人転入者を受け容れ、テキサス人口に占めるヒスパニック系の割合は 25% から 33% に上昇。
今やテキサスの 5大都市のうち 4都市 ――ヒューストン、ダラス、サンアントニオ、エルパソ―― で、ヒスパニックがマジョリティの民族だ。
つい最近 (註: 2000年) の 『ニューヨーク・タイムズ』 には 「非ヒスパニック系白人、テキサスでマイノリティに」 との見出しが躍った。
1990年に 60% だったテキサスの英米系人口は今では 53%。
白人のマイノリティ転落というアラモ以来初の事象が目前に迫っている。
『ダラス・モーニング・ニュース』 によると 「2005年にはテキサス州民のうち白人は半数を割っている」
全米がカリフォルニア、テキサスに続きつつある。
「1960年に全米で 88・6% だった白人の割合が 1990年にはわずか 75・6% ――30年で 13% の減少・・・ (2020年には) 白人の割合は 61% にまで減少する」 と 『フォーブス』 のポーター・ブリムロウは述べる。
共和党の最大にして最も信頼の置ける支持母体である欧米系移民が 2050年にはマイノリティに転落する。
共和党みずからが擁護した移民政策のせいで。
トーリー党 (保守党) に 「愚かな党」 の烙印を押したジョン・スチュアート・ミルの批判は、まんざら的外れでもなかったようだ。
ヒスパニック層の増えるさまは他を圧倒している。
全米のヒスパニック人口は 1980年に 6・4% だったのが 1990年には 9%、2000年には 12% を超えた。
「ヒスパニック層の出生率は白人、黒人層を大きく上回る。50年代のベビーブームの水準」 と、『アーバン・インスティチュード』 の人口問題専門家フェフリー・パセルは指摘する。
3540万人と、数の上でアフリカ系に迫る勢いのヒスパニックは民主党に投票する傾向が強い。
ブッシュ氏の得票はアフリカ系からは11 対 1、ヒスパニック系からも 2 対 1 で民主党に負けている。
1996年の再選時、全米のヒスパニック票の 7割を獲得したクリントンだが、初当選時にはじつに 9割のヒスパニック票を獲得している。
民主党をホワイトハウスの常連にしてくれるのは移民だと気づいた彼らは、どんどん移民を帰化させた。
1996年 9月末までの 1 年間で移民局は 104万 5000人の帰化を認めたが、あまりに急いだため 8万人の前科者 ――うち 6300人は重犯罪人―― を見落としている。
この 5年間で新たに米国に帰化した人数を見てみよう。
1996年 104万 5000人
1997年 59万 8000人
1998年 46万 3000人
1999年 87万 2000人
2000年 89万 8000人
このうち 3分の1 はカリフォルニア州民となった。
90年代、同州の非ラテン系白人は 10万人減少したのに対し、ラテン系は 100万人増加した。
有権者の 16% を占めるヒスパニック層がゴアに同州勝利をプレゼントした。
「両陣営とも選挙民を惹きつけようと派手な指名受諾演説を展開した」 と民主党系政治評論家のウィリアム・キャリックは語った。
「それぞれ独自の方針を打ち出しているが、こちらのほうが中身はより濃い。改革事項は山ほどある」。
最大票田カリフォルニア ――ニクソン、レーガンのお膝元は、今や共和党のキリング・フィールドに変わった。
カリフォルにはでは住民投票もまた民族問題を浮き彫りにした。
不法移民への福祉サーヴィスを停止するという 1994年の住民提案にヒスパニックは一斉に反対した。
1996年のカリフォルニア公民権イニシアティヴ (雇用や入学の際の人種の考慮の禁止) における住民投票でもヒスパニックは彼らに都合のいい方に投票した。
1998年、ヒスパニックはバイリンガル教育廃止案にも反対票を投じたが、これはアングロ系の圧倒的賛成多数で可決した。
バイリンガル教育に州予算を充てるのはやめようという 「英語教育」 の提案者ロン・ウンズは、1992年のロス暴動がカリフォルニア分裂の分岐点だったかもしれないと述懐する。
焼けたビルから立ち上る煙やテレビに映る身の毛もよだつ映像は、南カリフォルニアに住む中産階級の安心感を完全に打ちのめした。
地元民が愛してきた幸せな 「多文化の街カリフォルニア」 は突如、危険で無情な第三世界暗黒郷 (デイストピア) の素顔をさらけ出した・・・
略奪行為で無数のラテン系が逮捕 (即、国外追放処分) され、白人たちは、ほんの数週間前まで信頼していた庭師やベビーシッターの行動に四六時中目を光らせるようになった。
さまざまな文化の共存していたロサンジェルスが、あれだけ不意に無秩序に陥ったのだ。
非白人層の増え続けるこのカリフォルニアで、マイノリティになる白人の今後の安全はいったいどうなるのか?
ハンガリーやキューバ等、共産圏からの難民は別として、移民は国家財政を圧迫する。
教育の無償提供、住宅補助、医療サーヴィスその他、移民は自分たちが負担する以上のものを政府から引き出そうとするからだ。
ほとんどの移民は帰化してもしばらくは貧しいままで、税金も免除となる。
税負担のない彼らが減税を主張する共和党を支持する必要があるだろうか。
頼みの綱である福祉施策を拡充してくれるという民主党に肩入れして当然ではないか。
昔から移民は民主党支持と相場が決まっている。
時が経ち、中産階級に移行した者だけが共和党に鞍替えする。
それには二世代かかる。
年間 50万人から 100万人の移民を帰化させることにより、民主党は将来に渡っての大統領席を確保しようとしている。
このまま手をこまねいていては、最新のマイノリティであるヨーロッパ系アメリカ人の心の拠り所、共和党が万年マイノリティ少数党になりかねない。
人種構成の変化に伴い政治も変わる。
移民の急増はふつう、政府に対する要求激化の形で政治を左翼化する。
アフリカ系、ヒスパニック系の割合が飛躍的に増えたせいで、共和党は消極姿勢 (アクアーマティヴ・アクション) を黙認し、福祉予算カットの声を弱めだした。
1996年、共和党は教育省を廃止する予定でいたのに、今や同省は肥大化している。
大量のヒスパニック票が浮動票として中軸州の結果を左右する。
つまりヒスパニックの選ぶ道がアメリカの進む道となるわけだ。
すでにそうなりつつある。
2000年、それまえ大量移民に反対していた AFL-CIO (アメリカ労働総同盟産別会議) は方針を 180度転換、不法移民にも目をつぶると表明した。
末端の組合員が一挙に倍増することを期待して。
そしてブッシュ政権も、政策決定に際しヒスパニック層にかなりの神経を使うようになった。
時には保守本流を犠牲にしてまで。
ハーヴァード大学経済学者で移民問題に詳しいジョージ・ボージャスによれば、途上国からの大量移民によって発生する経済的利益はゼロだという。
教育、医療、福祉、社会保障、刑務所費用の増加に加え、土地、水、各種電力の需要増は、移民の寄与する税総額をはるかに上回る。
国立経済研究所の発表では、1995年の移民にかかった総コストは 804億ドル (※ 約 8兆 3000億円)。
ライス大学の経済学者ドナルド・ハドルの試算によると、2006年には移民コストは年額 1080億ドル (米約 11 兆 1500億円) に達するという。
ならば国家分裂のリスクを背負ってまで移民を受け入れる益はどこあるのか。
2000年の国勢調査でさまざまなことが露見した。
カリフォルニアでは初めて白人がマイノリティとなった。
白人の他州転出はかなり前から始まっていた。
90年代、同州の人口は 300万人増えたが、アングロ系は 「50万人近く減少し・・・人口学者を唖然とさせた」。
ロサンジェルス郡は 48万人の白人を失った。
共和党の砦、オレンジ郡も、大脱出により白人人口の 6% を失った。
「もはや白人中産階級の州のふりはできない」 とサウスカリフォルニア大学南カリフォルニア研究所研究員、ウィリアム・フルトンは語る。
同州州立図書館司書ケヴィン・スターによれば、カリフォルニアのヒスパニック化は避けられない自然の流れだという。
スペイン人の入植により発展したカリフォルニアは、州の独自性という面においてアングロ系が覇権を握った時期はほんの一時期しかなかった・・・
昔から常にこの地に存在したヒスパニック世界は、1880年代から 1960年代にかけて泥沼にはまり込んだものの、それも一時の失速にすぎなかった。
今の流れは、連綿と連なるカリフォルニア・メキシカンの DNA が途切れていないことの証左である。
カリフォルニアの未来は明らかだ ――
毎年 10万人のアングロ系が流出する一方、10年間でアジア系は 42% まで増加、18才未満の 43% はヒスパニックである。
アメリカ最大の州は第三世界への道を歩みはじめている。
今後の展開は定かでないが、カリフォルニアは第二のケベック (Wikipedia )となるのではないか ―― ヒスパニック文化とその独自性、他との分離を主張するような。
あるいは第二の北アイルランドとなるか。
シンフェイン党がダブリンと特別な関係を結んだように、メキシコ系アメリカ人も、母国での二重市民権と国境開放、メキシコ議会の選挙権を要求し始めるあもしれない。
フォックス大統領お墨付きのアイデアだ。
アメリカ大統領になるのに必要な代議員数の 2割をカリフォルニアが占め、そのカリフォルニアの結果をヒスパニックが左右するという現状で、彼らの要求に耳を傾けない候補者がいるだろうか?
「わが国が国境を越え領土を拡大していること、そしてその件に関し、移民が重要な役割を担っていることを誇りに思う」 とセディーヨ前メキシコ大統領は宣言。
後任もその路線を継承している。
今やメキシコ大統領選に出馬する者は、金を工面してアメリカで選挙運動を展開するようになった。
カリフォルニア州知事グレイ・デイヴィスは、メキシコ軍がフランス軍を破ったことを祝う 5月 5日のプエブラ戦勝記念日をカリフォルニアでも祝日にしようとぶち上げている。
「近い将来、カリフォルニアとメキシコは一つの巨大地域とみなされる日が来る」 と。
おそらくそれがアストランと呼ばれるのだろう。
アメリカはもはや、国民の 9割が白人で、黒人との分離、格差解消に努めていた 60年代の 2人種国家ではなくなった。
今日、われわれはさまざまな人種、民族、文化が熾烈に張り合う社会に生きている。
ゴア前副大統領はわが国のスローガン
「E Pluribus Unum (ラテン語で 『多から 1』、つまり多くの州からなる統一国家の意」
を 「 1 から多」 と訳し間違え、新生アメリカの心をがっちりつかんだ。
現在アメリカに住む移民の数は 2840万人。
その半数は中南米系、 4分の1 はアジア系、残りがアフリカ、中東、ヨーロッパ系。
ニューヨークとフロリダでは 5人に 1 人、カリフォルニアでは 4人に 1 人が移民。
840万人の移民を抱えながらここ 10年、ただの一つも発電所を新設していないカリフォルニアは、電力不足に直面している。
果てしなく移民を受け入れ続けるかぎり、果てしなく電源 ――水力、化石燃料 (石油、石炭、ガス)、原子力発電 ―― を供給せねばならない。
残る選択技は停電、点灯制限、あるいは果てしない配給の行列か。
90年代、州の人口増加に占める移民とその子供の割合は、カリフォルニア、ニューヨーク、ニュージャージー、イリノイ、マサチューセッツでなんと 10割、フロリダ、テキサス、ミシガン、メリーランドでは 5割強であった。
米国のビザ発給は新規移入者の親類園者に優先的になされるため、ヨーロッパ人はなかなか取得できない。
一方、エルサルバドルのむらがそっくりそのまま移住してきたりする。
途上国偏重の移民政策は各種統計結果にも表れている。
出身別の中位数年齢を見てみると、ヨーロッパ系アメリカ人は 36歳、ヒスパニック系は 26歳。
古くからの移民であるイングランド人の 40歳、スコットランド・アイルランド系の 43歳に比べ、移民全体の 33歳という数字はかなりの低さだ。
ここで一つの疑問が生じる ――政府が推定 1100万人と言われる不法移民の 1% も国外退去させないのは、国民の権利保障をうたった憲法の義務に反するのではなかろうか。
◍ 米国に移入する合法移民の 3分の1 は高校教育を終えていない。
22% は中学過程すら終えていない。
米国生まれの国民で中学を出ていないのはわずか 5% 未満である。
◍ 全移民の 36%。中米出身者の 57% が年収 2万ドル (※ 約 207万円) 以下。
1980年以降に入国した移民の 6割がいまだに年収 2万ドル以下である。
◍ 移民世帯で最低収入に達していない世帯は 29%、
米国生まれ世帯では 14%。
◍ 移民によるフードスタンプや補助的保障所得、学校給食補助の利用額は、米国生まれの利用額の 1・5倍から 2倍。
◍ クリントン時代の労働省の試算によれば、低所得者層の実質賃金下落の半分は移民に起因する。
◍ 1991年、ロサンジェルスでの逮捕者の 24%、マイアミでの 36% が外国籍の者だった。
◍ 1980年、連邦及び州刑務所に収監されていた外国人犯罪者は 9000人。
これが1995年には 5万 9000人にまで膨れ上がった。
この数字にはキューバからの難民は含まれない。
◍ 1988年から 1994年にかけて、カリフォルニアの刑務所に収監されている不法移民の数は 5500人から 3倍以上の 1 万 8000人に増えた。
上記統計でヨーロッパ系移民を含む項目は 1 件もない。
また、教育等、いくつかの項目ではアジア系移民も対象外である。
にもかかわらず、貧困途上国からの大量移民は 「得」 なのだ。
とりわけ低賃金労働者を大量に必要とする企業にとっては。
2001年春、BIPAC (企業政治活動委員会) は 「労働市場のよりいっそうの流動化が望まれる」 と表明。
『ウォールストリート・ジャーナル』 によると、400の優良企業と 150の同業者組合が 「中国との貿易正常化と・・・雇用拡大のための移民規制緩和を求めている」。
が、企業にとって良いことが庶民にも良いとは限らない。
国境開放となると、企業の利益と国家の利益は一致しない。
景気後退でもすれば、「るつぼ」がまだ機能しているかどうかわかるだろうが。
ただし、問題は単に労働市場や賃金うんぬんではない。
ついに移民問題はアメリカの存続問題にまでなったのだから。
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目 次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )
日本版まえがき
序として
第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動 (レコンキスタ)
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説
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◆ (42) 第六章 ① 誰がレーガンの融合政策をつぶしたか
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