BEN RECTOR ~ Brand New
Billboard TOP 25 HOT ROCK SONGS (2016.08.27付)
No.9 (Dowm-2 | 25weeks in chart)
パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房
第六章 国土回復運動(レコンキスタ)
アメリカ南西部は一発の銃弾を放たれることなくメキシコ管轄に戻りつつある。
――<エクセルシオール> 紙
11821年、独立したてのメキシコは北部テキサスにアメリカ人を招き入れた――ローマカトリックに改宗すること、メキシコに忠誠を誓うことを条件に。
多くのアメリカ人が条件を呑み、入植した。
ところが将軍サンタアナの圧政が続き、偽りの忠誠と改宗に辟易したテキサス人は 1835年ついに反旗を翻し、今や自分たちの 10分の1 にも満たぬメキシコ人駐屯兵らをリオグランデの向こうに追いやった。
サンタアナは失った州を奪回すべく北進、アラモの砦でテキサス自衛軍を皆殺しにし、さらにゴリアドで降伏した 400人を惨殺した。
が、メキシコ軍はサンジャシントで撃破され、サンタアナも捕まった。
テキサス人はアラモ大虐殺を理由にサンタアナの処刑を求めたが、サム・ヒューストンは独裁者に命と引き換えにテキサスを寄こせと提案。
サンタアナはそれを受け容れ、テキサスは独立を果たす。
アンドリュー・ジャクソンは大統領執務最後の日に、テキサス共和国――1814年のホースシュー・ベンドの戦いで自軍を勝利に導いてくれたかつての部下の建国した国――を承認した。
8年後、辞任間際のジョン・タイラーはテキサスを併合して自分史を飾るとともに、テキサス併合を公約に掲げて当選を果たした次期大統領ジェイムズ・ポーク――ジャクソンの子分――の面目をつぶすことを決意。
メキシコはこれに反発したが、やがて大統領に就任したポークがテイラー将軍率いる米軍をリオグランデ北岸に送る。
そこでメキシコ軍との小競り合いが起こるとポークはそれをいいことに国家の場で戦争突入を宣言。
1848年までにリー、グラント、マクレランらも兵士として参戦した。
屈辱にまみれたメキシコはしぶしぶテキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアを譲渡、その苦悶を和らげるためアメリカはメキシコに 1500万ドルを供与した。
憤怒に沸き立ったメキシコでは1910年、新たな騒動、革命が勃発した。
革命後、タンピコでアメリカ船員が逮捕されると、ウィルソンは星条旗に対する侮辱だとして海兵隊を送り、ペラクルスを占拠した。
英国大使に 「南米人に選挙ではまともな男に投票しろと教えなくては」 と言っていたウィルソンは1916年、悪党パンチョ・ビリヤにニューメキシコを襲撃されるや、パーシングを司令官とする総勢 1 万の指導軍を送り込んだ。
ルーズヴェルトの唱えた善隣政策にもかかわらず、1938年、メキシコのカルデナス大統領は米資本の石油会社を接収、国営石油公社ペメックスを創設した。
ペメックスは1999年、OPEC (石油輸出国機構)と結託して石油価格を 1 バレル 35ドルにまで吊り上げ、1994年の経済危機に際し緊急援助として 500億ドルを引き出したアメリカを踏みつけにした。
1859年、イタリアを統一に導いた政治家カブールの言葉を思い出す。
統一国家の外交目標を問われた彼はこう答えた。
「恩知らずだと世界中を驚かせることだ」
つまり何を言いたいかというと、メキシコ人はアメリカに対し過去の不満を募らせているということである。
若くて脆弱な時代に国土の半分を強奪された、と。
したがってアイルランド、伊tリア、東欧から来た古くからの移民と、近年のメキシコ系移民とでは、対米感情がまるで違う。
メキシコ系全体の優に 5分の1 はアメリカに倉氏、さらに毎年百万人単位で増加する今日、新旧の移民の違いを、そして昔と今のアメリカの違いをよく理解しておく必要がある。
1. メキシコからの移民増加は前代未聞の凄まじさである。
1990年だけでもアメリカ国内のメキシコ系は 50% 増の 2100万人にのぼった。
しかもそのなかには国勢調査で出身国回答を拒否した 600万人のヒスパニックは含まれていない。
また、移民は全国あまねく散らばり同化してほしいという建国の父たちの願いに反し、メキシコ系は南西部に集中している。
2. メキシコ人は文化ばかりか人種まで異なる場合が多い。
歴史と経験に照らせば異人種間の同化ははるかに難しい。
600万人のドイツ系が完全に同化している一方、無数のアジア、アフリカ系がいまだにアメリカ社会に馴染んでいない。
3. メキシコ系は不法移民が多い。
不法入国で毎年 160万人ほどの逮捕者が出るが、その大半は南国境からの挑戦者である。
4. 祖国に永遠の別れを告げ船に乗り込む伝統的移民と違い、メキシコ人の母国はす隣だ。
たいていは英語を覚える気もなければアメリカ市民になる気もない。
彼らにとって母国メキシコのまま、いつまでも誇り高きメキシカンでありたいと願っている。
単に稼ぎに来ただけで同化する意志のない彼らは、アメリカ中の都市にリトル・ティファナを創っている。
マイアミにリトル・ハヴァナを創ったキューバ人と同様に。
違いはメキシコ系がキューバ系の 20倍いるという点だけだ。
独自のラジオ・テレビ局、新聞、映画、雑誌を持つ彼らヒスパニック社会は、国家のなかの別な国家になろうとしている。
5. メキシコからの大量移民はアメリカそのものを変えつつある。
すでにアメリカでは融合を否定し多文化主義を唱道する文化エリート層の働きかけで、少数民族の権利保護信仰が定着してしまった。
各地の少数民族集団は独自のアイデンティティを維持するよう促され、ヒスパニック居住地では極端な排外主義が流行している。
「60年代の人種統合の動きは終わった」 とグレン・グラヴィンは 『リーズン』 に書いている。
「90年代リベラルの流行は分離主義。民族独自のアイデンティティをふりかざすのが粋とされる」。
仮にカルヴィン・クーリッジが 「アメリカはアメリカ的であり続けなければならない」 と言ったのが今だとしたら、ヘイト・クライムで逮捕されたことだろう。
『文明の衝突』 の著者サミュエル・P・ハンチントンは移民問題を 「今日の主要問題」 と位置づける。
ハンチントンによると、移民はアメリカ社会に同化するためにやってきた 「転向者」と、数年出稼ぎにきただけの 「逗留者」 に分けられる。
そして南国境からやってくる 「新移住者層」 は、「転向者でも逗留者でもない。彼らは二重の身分を保持し、家族ともどもカリフォルニアとメキシコを行ったり来たりしている」 という。
年間 160万人が不法入国で逮捕される現状にハンチントンは警鐘を鳴らす――
仮に 100万人のメキシコ兵が国境を越えてきたとしたら、アメリカは国家防衛上の脅威と捉え、それ相応の反応を示すはず。
ならば 100万人超の侵略者が民間人であったとしても
――(メキシコ大統領ヴィセンテ・) フォックスは推奨しているようだが――
アメリカの社会治安上、同等の脅威であり、国家として断固たる措置を取るべきだ。
メキシコ人移民はその独自性でアメリカの文化、社会に波紋を投げかけており、将来的にはそのものを脅かす恐れがある。
アメリカの指導者層は 「断固たる措置」 をとる気はないようだ。
ある世論調査では 72% が移民を削減するべきだと考え、2000年 7月の別な調査では 89% が英語をアメリカの公用語とするべきだと答えているにもかかわらず。
国民は対策を求めているのにエリートたちは知らんぷりをしている。
みずから 「世界最後の超大国」 と称する豪傑ぶりとは裏腹に、この国は国境を守り抜こう、移住者には同化を要求しようという堅忍不抜の精神に欠ける。
おそらく互いに富を愛する気持ちが文化の溝の架け橋となり、「史上初の普遍国家」 と呼ばれる国で仲良くやっていこうとでもいうのだろう。
だが、こうした文化のまるで異なる国から大量移民を引き受けるのは危険極まりない賭けである。
万一、致命的ヘマを犯そうものなら、やり直しはきかない。
われらが子孫は国家分裂の道をたどることになろう。
われわれの知るアメリカの終焉だ。
「同化に失敗したら、当然の帰結としてアメリカは内乱の危険をはらむ分裂国家となる」 とハンチントンは書いている。
そうまでして危険な賭けに出る必要があるのだろうか。
西洋諸国はすでに民族、文化ごとに散らばりかけている。
分離主義の動きはソ連、ユーゴスラヴィア、チェコストヴァキアを解体し、フランス、スペイン、イタリアでも意気軒昂だ。
2001年、ドイツは丸 1 年に及ぶプロイセン建国 300周年祝賀を始めた。
イングランドではタクシーに立てたりサッカーのワールドカップで振ったりする旗が、ユニオンジャックから聖ショージ十字に代わった。
人びとは国籍や民族よりさらに小さな単位で身分を名乗る。
カナダのアルバータ、サスカチェワン州では独立を目指す党が結成され、ブリティッシュ・コロンビアの 14% の住民はカナダからの分離を望んでいる。
カナダ、メキシコ、アメリカの三国で物質、人の移動を完全に自由化する北米連合を作ろうとの提案がメキシコのフォックス大統領からなされた。
この提案は 『ウォールストリート・ジャーナル』 を狂喜乱舞させた。
しかしメキシコの一人当たり GDP 5000ドルはアメリカの足元にも及ばず、両国間の収入格差は世界の隣り合う大国同士のなかでは最大だ。
NAFTA (北米自由貿易協定) の始まった1994年以降でもメキシコ国内の実所得は 15% も下落している。
メキシコ人の半数は貧困にあえぎ、1800万人が日収 2ドル足らずでしのいでいる。
片やアメリカの最低日収は 50ドルに迫る勢いだ。
国境を開放すれば数カ月のうちに北側にどっと人がなだれ込んでくるだろう。
もはやアメリカには経済しかないのだろうか。
昔はメキシコ人といえば、素直で控えめえ人懐こい伝統的カトリック教徒というイメージだった。
今でもメキシコ系の多くは働き者で家族思いで、アメリカを愛し、動員がかかれば真っ先に駆けつけるような人たちだ。
そう、男も女も子供も、どの国のどの大陸から来た人でも立派な米国民になれるということを、われわれは経験的に知っている。
ただ、人口動態の変化はあまりに凄まじく、なかでも 4分の1 が外国出身者、3分の1 がラテン系というカリフォルニアでは、新手の民族排外主義が横行している。
数年前、ロサンジェルスでアメリカとメキシコのサッカーの試合が行われた際、『星条旗』 斉唱はブーイングにかき消され、星条旗は切り裂かれ、アメリカ・チームと少数の応援団は水爆弾とビール瓶とゴミのシャワーを浴びせられた。
2年前にはテキサス南部の町エルセニゾが町の公用語をスペイン語と定め、町議会や役場の公的書類、業務遂行もスペイン語とすると宣言した。
すると移民関係の各種団体から強い反発の声があがった。
エルセニゾは事実上アメリカから脱退したのだ。
2001年、ニューメキシコ州議会に、州名をアメリカ併合前の 「ヌエボメキシコ」 に戻そうとの法案が提出された。
法案が否決されると、発案者である共和党のミゲル・ガルシアは 「ひそかな人種差別」が理由だと記者団に語った――そもそもニューメキシコに改称したときと同じ差別がまだ残っているのだと。
ヒスパニック居住地では分離主義、民族主義、領土回復主義が活況を呈している。
ラテン系の学生団体 MEChA は南西部のメキシコ返還を要求している。
ニューメキシコ大学でチカーノ (メキシコ系アメリカ人) 文化を研究するカルロス・トルーキンリョ教授は、ロサンジェルスを首都とした新たな 「アストラン (アステカ人の伝説上の起源の地)」 建設は避けられない、メキシコ人はあらゆる手段を使ってその道を探ると言った。
「俺たちはアメリカを再植民地化しつつある。
だからアメリカ人は俺たちを恐れている。
今こそ領土奪還のとき」
と、チカーノ・ナショナル・ガードのリッキー・シエラはがなりたてる。
ウェストウッドでデモ隊を率いたリーダーは勝ち誇ったように叫んだ。
「きょうは・・・
白人でプロテスタントのロス市民にマジョリティはこっちだと思い知らせるために集まった・・・
ついでに言っておくが、この土地も昔からずっと僕らのものだった・・・
どっちかが追放されなきゃならないとしたら、それはお前らのほうだ」
テキサス大学アーリントン校の政治学教授かつ同校メキシコ・アメリカ研究センター所長のホセ・アンヘル・ダーティヤレスは学生たちに向かって言った。
「アメリカは白髪のご老体。
子もなせず、すでに瀕死の状態。
こっちの人口は爆発的に増え続けるものだから、向こうは恐くてパンツまで濡らしてる!
わくわくするね」
まあ、これは酒場でコロナ (ビール) でもひっかけながらの話だろうが、より権威のある人々も異口同音にこうした発言を振りまいている。
メキシコ総領事ホセ・ペスカドール・オスーナは1998年、
「冗談半分だが、カリフォルニアで国土回復運動 (レコンキスタ) のリハーサルをしておこうと思ってね」
と語った。
カリフォルニア州上院議員アート・トレスは、不法移民の生活保護打ち切りに関する法案を 「アメリカの最後のあがき」 と叫んだ。
「カリフォルニアはメキシコの州になりつつある。
われわれメキシコインが社会をコントロールする。
気に食わない者は出て行くべきだ」
と宣言したのはラテンアメリカ市民同盟総裁マリオ・オブレド、クリントン前大統領から自由勲章を授与された人物である。
メキシコの前大統領エルネスト・セディーヨはかつてダラスでメキシコ系アメリカ人に 「君たちは国境の北に住むメキシコ人だ」 と呼びかけた。
単に職探しのために侵入した国より祖国のほうに忠誠心を感じるのは当然といえば当然だ。
国粋主義、愛国主義のメキシコ人が国土回復運動 (レコンキスタ) を夢見るのも不思議ではない。
前述の学生組織 MEChA の UCLA 支部長を務めていたアントニオ・ピラライゴサなる人物が 2001年ロサンジェルス市長選に出馬し、4万票近く獲得した。
MEChA とは Movimiento Estudiantil Chicano de Aztlan の略で、アストランを目指すチカーノ学生運動を意味する。
彼らのいう 「アストラン計画」 とはいったい何か。
MEChA は彼ら億時の言葉で 「野蛮な 『グリンゴ (外国人、特にアメリカ人)』 の侵略」 によって奪われた父祖の地を取り戻すのが目標だと宣言している。
胸に当てた両手を大地に埋め、ここにメスティーソ国家としての独立を宣言する。
われらは青銅文化を持つ民族。
世界に、北米に、そして青銅大陸の兄弟に告ぐ。
われらは国家、自由なプエプロ町村の統合体、アストランである。
「計画」 によると
「アストランは種を蒔き、水をやり、作物を収穫する者の土地。
ヨーロッパ人のものではない。
この青銅大陸に気まぐれな国境など認めない」。
MEChA のスローガンは 「われらが種族にすべてを。よそ者には無を」 である。
MEChA はアメリカに 「過去の経済的奴隷、誠意的搾取、民族・文化・心理的破壊、人権否定」 に対する 「損害賠償」 を求めている。
政治の自由はわれらが独自の行動を起こすことによってのみ実現される。
なぜなら二党の体制とは、双頭の獣が一つの飼い葉桶から餌を食らうようなものだから。
与党が支配し、野党が圧力をかける。
われわれは唯一の党――メキシコ人民家族党――を代表する。
MEChA の規約によると、シンボルマークは 「片足の爪に 『macahuittle』、もう一方の爪にダイナマイトの筒をひっかけ、嘴 (くちばし) に火のついた導火線をくわえ、両翼を広げた鷲」 だという。
MEChA はアイダホにある白人至上主義団体アーリアン・ネーションのチカーノ版だ。
ただこちらは南西部全域からコーネル、アナーバーまで、400ものキャンパスに支部を持つ。
「メスティーソ国家」 だの 「青銅民族」 だの 「青銅文化」 だの 「青銅大陸」 だのさまざまなレトリックを駆使して、臆面もなく人種差別主義、反米主義を標榜している。
先のビララゴイサが MEChA との関係を釈明することも断ち切ることもなく全米第二の都市の市長選を戦い抜いたという事実は、過去に差別を受けた証明書のあるマイノリティには主要メディアは何ひとつ物申すことができないことを証明している。
こうした民族的脅しが最も通用するのが大学だ。
MEChA の破壊的抗議が繰り返されるとテキサス大学はテキサス独立記念日を祝うのをやめた。
2000年、同大学が開催した行事は 「学友が個人的に行なう募金活動で、当局として公認はしていない」 ものだった。
共産主義思想というものは一貫性がなくてワケ分かりませんw
基本的に 「地球はひとつ、人類みな兄弟」 といった言葉に代表されるように、この地球上に生存する人類はみな等しく公平に平和を享受するというもので、それには先ず 「国家」 という枠を取り払わなければならない。
が、しかし、誰もその理念に乗って来ないw
なぜか?
それは人々に植えつけられた、それぞれの文化・文明が邪魔をしているからだ。
それを取り除かなければ (消去) 地球はひとつに成り得ない。
その方法は国家の中枢に入り、中から、そして教育から、古い価値観を破壊してしまうことだ。
なんてことをやってる積りが、逆に、個人だとか民族だとかといった勝手気ままな意識が強くなって、地球はひとつどころか世界はバラバラ、粉々に砕け散って、ちっともひとつにまとまる様子がないのが、今現在。
今度はこれをどうやって “ひとつ” にするのか見ものですねぇ、共産主義思想さん!
中国と、それに感化された韓国が、やたら 「歴史認識」 とか振りかざして日本を非難してますが、どうもそれは世界的に行われているようで、メキシコもアメリカを非難してる。大々的なのがイスラム国 (IS)。
しかし、人類が誕生してから 170万年だったかな、それから今日までの天文学的な年月の間の流れをどうこう言ったら、新人類は旧人類に謝罪・賠償しなければならない。
イスラエル人はネアンデルタール人に謝罪・賠償するところあたりから始めましょうかね?w
そういている間にも侵略は続き、かつて平穏だった 2000マイルの国境線は今や対決が日常となった。
アリゾナの放牧場は侵入者たちの野宿の地と化し、フェンスは壊され家畜は毒を盛られ、北へ向かってゴミの小道が点々と続く。
メキシコは軍人でさえ恥辱を晒している。
5年間で軍人による侵入は 55件だと国務省が発表した直後の2000年、メキシコ兵を積んだトラック数台が有刺鉄線を突破、2名の騎馬警官とアメリカ国境警備隊の車に発表する事件が起きた。
国境警備隊は、メキシコ軍のなかには麻薬組織の強力部隊がいるとにらんでいる。
※ トランプ氏がメキシコとの国境に万里の長城を造るとのたまったのが分かりますね。
アメリカはメキシコが抱えきれない莫大な労働力の捌 (は) け口となってしまった。
10年ごとに 1000万人もメキシコ人が増える現状では、ヒスパニック化の波は南西部にとどまらずさらに北上するに違いない。
メキシコ上院議員アドルフォ・ジンサーは、メキシコの「経済政策はアメリカへの際限ない移民流出にかかっている」 と認めた。
6年前、ヤンキーいじめのがくしゃで 「元共産党支持者」 ホルヘ・カスタニェダは 『アトランティック』 誌上で、アメリカの移民削減努力は、
「メキシコ社会の平和を阻害する・・・アメリカには移民排斥論者もいるが、だからといって移民を止めるすべはない」
と警告した。
こうした発言は最近になって重みを増している。
ことにフォックス政権が誕生してジンサーが国家安全保障顧問、カスタニェダが外相に就任してからは。
フォックス政権はアメリカへの不法移民支援策を打ち出した。
出国監理局は米側の国境警備の網をかいくぐって砂漠の旅を続けられるよう 「サヴァイヴァル・キット」 ――水、乾燥肉、グラノーラ、鎮痛剤、下痢止め、ピル、包帯、コンドーム――を用意。
キットはカリフォルニアの不法移民支援局情報とともにメキシコ有数の貧民街で配布されるが、質問者は誰もいない。
要するに、メキシコ政府は国民にアメリカへの不法侵入を幇助、教唆し、アメリカ政府はそれを黙認、放任しているわけだ。
一番人気の地はカリフォルニアだ。
社会学者のウィリアム・フレイによると、大量のメキシコ人流入を受け、アフリカ系、英国系住民が昔懐かしい町を探してゴールデン・ステートを出ていったという。
それ以外の移民も州内の閉鎖された居住地へ移りはじめた。
「国境を管理できない国はもはや国とは呼べない」 と、ロナルド・レーガンが国民に注意を促したのは 20年も前のことだ。
民族構成の劇的変化は昔から非アメリカ化だと心配されてきた。
その昔ベンジャミン・フランクリンは 「ペンシルヴェニアは英国人が創設したはずなのに、このままではドイツ化してしまうのではないか?・・・」 と尋ねたという。
彼の心配は杞憂に終わった。
ドイツ系の移民の波は 7年戦争の間にぱたりと止んだ。
セオドア・ルーズヴェルトは 「この国をだめにし、国家として存続できなくさせる絶対的方策は、民族のごたまぜ状態にすること」 だと警鐘を鳴らした。
移民問題は国を挙げての議論が必要だ。
なぜなら、われわれは何者なのかという問題だから、である。
さながら母なる川ミシシッピのように、移民はアメリカの地を肥沃にした。
が、ひとたび氾濫するや、ミシシッピの破壊力は凄まじい。
しかも現在、政治的公正の号令により、移民問題は口にしてはいけないとされている。
これほど異なる人種、文化、文明を受け入れている国は世界中でアメリカだけだなどと言うやつは 「移民排斥主義者」 か 「外人嫌い」。
水位はかつて例のない位置まで上がっている。
堤防が決壊したらわれらが母国はいったいどうなる?
1999年も終わる頃、アリゾナのトゥーソンを出た私は、南東の町ダグラス――人口 1 万 8000人の国境の町で、アメリカへの主要侵入経路にあたる――へ向かった。
その年の 3月だけで国境警備隊は 2万 7000人のメキシコ人を逮捕した。
1 か月の間にダグラス町民の 1・5倍の不法侵入者が発生したことになる。
ダグラスで私は、生まれ育ったアリゾナの砂漠に住み続ける 82歳の未亡人テレサ・マレーを訪ねた。
屋敷の周りには、てっぺんにレーザーワイヤーを巻きつけた高さ 7フィートの鉄条網が張り巡らされ、扉や窓はすべて板が打ち付けられ、警報装置がついていた。
ミセス・マレーはベッ脇のテーブルに 32口径の拳銃を置いて眠る。
これまで 30回強盗に入られた経験からだ。
番犬は何匹も死んだ――誰かが金網越しに投げ入れたガラス片入りの肉を食べ、血まみれになって。
テレサ・マレーは自国にいながら、自宅にいながら、重罪人のような暮らしを送っている。
勇気に欠ける政府が国境を死守する義務を放棄しているせいで。
アメリカといえば何はされおき自由の国だ。
しかしテレサは言う。
「自由なんてとうの昔に失ったわ。
誰か留守番してくれる人がいないかぎり家を出ることさえできない。
昔は馬に乗って国境を越えたりしたものよ。
うちの農場で働くメキシコ人もたくさんいて。
毎日が楽しかった。
今は地獄。
地獄としか言いようがないわ」
テレサが自由のない地獄で暮らし続ける一方、米軍は韓国、クウェート、コソヴォの国境を守っている。
何の危険もないはるか遠い異国の国境を。
それに比べ、毎晩、北の大都市へ向かう夜行軍があとを絶たぬメキシコ国境がいかに危険なことか。
侵略軍ならいずれは帰るが、流入軍は帰らない。
◇
目 次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )
日本版まえがき
序として
第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動 (レコンキスタ)
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説
↧
◆ (41) 第六章 国土回復運動 (レコンキスタ)
↧