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◆ 超大国の自殺 (8) 試験の点数を平等に

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パトリック・J・ブキャナン著/河内隆弥訳
超大国の自殺
―アメリカは2025年まで生き延びるか?―

2012年11月5日発行 幻冬舎


第6章 平等か、自由か?


8試験の点数を平等に


試験の点数における人種のギャップを縮めようとする平等主義者の衝動ほど金のかかる話は聞いたことがなく、まったく気が滅入ってしまう。

そしてそのことについて人は警告を受けていないようである。



1966年、LBJ が初等・中等教育法を施行した 1 年後、公共教育に連邦政府が州と地域行政に大規模な介入をし始めたとき、かの有名な 1966年のコールマン報告が発表された。

100万人ほどの子どもの 3分の 2の成績を検討したハーバードと MIT (マサチューセッツ工科大学) で学んだ社会科学者のチャールズ・マレーが書いた。

   だれもがショックを感じたのは、コールマン報告が・・・、学業の達成度の差異について、学校の質が何の
   影響も及ぼさない、としている点だった。

   報告は、教師たちの☐、カリキュラム、ッ説の立派さ、新しさ、生徒一人あたりにかかる費用などの尺度 ―
   人々が頼りに考えているそのどれもが、実際上、成績点数の理由説明に重要性を持っていない、としていた。

   成績を決めるのに決定的に重要なものは、家族的背景である、とされた。

天性と栄養状態、遺伝と家庭環境、頭脳とやる気、これらが子どもの成績を決める主因である、と研究は報告した。



1971年、アトランティック・マンスリーは、ハーバードのリチャード・ハーンスタインの特別記事を掲載した。

かれらの論考は、すべての子どもの家庭や教育環境を同じものに出来たとしても、天性の知的能力が、ある種の子どもと他の子どもの優劣を決めてしまう、というものだった。

クラスの人数を少なくする、教師の研修を充実する、という投資をいくらしたところで、支出費用の等しい公立学校システムでは、「親譲りの能力」 が発揮されてくる。



コールマンとハーンスタインは、教育における運命論を唱えている。

二人は、ちょうど始まったばかりのマイノリティの子どもの成績を白人の子どもの成績に追いつかせる試みは、目的において崇高ではあるものの、失敗に終わる、と意味しているのである。

しかし、その野心を成功させるのだ、という政府の能力に対するペシミズムが拡がることはなかった。

政府は、グレート・ソサエティの設計者、建設者として持て囃される風潮にあった。



アメリカは前にのめり込んだ。

連邦と州政府、そして各地域の学校は、歴史的に例をみない教育投資に金をつぎ込んだ。

児童一人あたりの支出は 2倍、3倍となった。

1965年に開始された、低所得層の子どもを就学前に教育するヘッドスタート計画には多額の予算が費やされた。

初等・中等教育法に基づくタイトル・ワンには、多分 2千億ドルがつぎ込まれた。

これは低所得住民の児童を対象とする学校の追加支援策となった。



その結果はどうだったか?

マレーが述べている。

   「1970年以降のタイトル・ワンの実績は、児童の成績に信頼すべき前向きの結果を示していない・・・

   教育省の 2001 年の調査によれば、ギャップは縮小するよりも、むしろ拡大している」。



ジョージ・W・ブッシュは、自身のノー・タイルド・レフト・ビハインド (NCLB = 落ちこぼれ防止)法で、新たに、マジョリティとマイノリティの学業成績不平等問題に取り組んだ。

教育省予算は再び倍増した。

そしてどうなったか?

成績点数で見る限り、「NCLB は、巨額が費やされたにもかかわらず読解力をまったく工場させていない」 とマレーは書いている。

   子どもたちの算数と国語能力をもっともっと向上させるにはどうしたらよいか、みなそう願っているが、事実は
   そうなっていない・・・

   最良の条件下に置かれた最優秀校においてすら、学習能力の達成限度を超える成績には、及んでいない。



マンハッタン研究所のヘザー・マクドナルドは、そのことの確証を提示する。

   「2006年の SAT (大学進学適正試験) では、基本読解力の平均点は、黒人で 434点、白人で 527点、
   アジア人で 510点だった。

   数学では、黒人 429点、白人 536点、アジア人 587点だった」。



2005ねんの 50州プラス、ワシント DC の、生徒一人当たりの支出ランキングで、ニューヨークが 1 位、DC が3位だった。

税金投入の果実は ― 一部の DC 所在高校では、マイノリティに属する生徒の半数が落ちこぼれ、卒業生のうちの半数は、読解と数学で 7、8、9年生レベルだったことに示される。

一人当たりの税金投入額がトップクラスにあるワシントン DC は、学業でボトムに位置づけられている。



2007年、高校卒業生は 2年連続して69% となった。

黒人の 46%、ヒスパニックの 44%、先住アメリカ人の49% が 4年間の高校卒業証書をもらえなかった。

1969年に戻ってみると、77% が 4年の高校卒業所を手にしていた。

アメリカは立ち泳ぎが出来なくなっている。

沈みつつあるのである。



2009年、DC の学校を MIT のように見せてしまうような報告がニューヨークから届いた。

ニューヨーク市立大学の200人ばかりの数学クラスの 1 年生に、基本テストが行われた。

3 分の 2が、少数を分数に出来なかった。

90% が簡単な代数を解けなかった。



2009年、市の教育長にジョエル・クラインを迎えて、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグは高らかに告げた。

   「恥ずべき成績ギャップはこれで早急おしまいになる」。

しかし、2010年にテスト結果が発表になると、ギャップは元に戻っていた。

「ニューヨークの 3年生から 8年生にかけて」、とタイムズが報じた。

   「英語をクリアしたのは、いま黒人生徒の 33%、ヒスパニック生徒の 34% である。

   白人とアジア人は 64% である」。

学校関係者は、「点数の期待がバブルだった」 ことを認めた。



クラインがつまずいたとき、デイリー・ニュースは、かれの業績を総括した。

「点数は去年までは着実に上がっていた。問題が難しくなったので急降下したのである」。

クラインが辞職すると、ザ・グレート・シティ学校評議会は、「、開いた口がふさがらぬデータ」 と呼ぶ報告を発表した。

ニューヨーク・タイムズの記事は次のようにはじまっていた。

   黒人と白人生徒を分かつ成績ギャップは、長いこと ― 政策当局者を悩ませる社会の亀裂現象で、次から次へ
   と繰り出される学校改革の目標とされてきた。

   しかし、黒人男子に焦点をあてた新しい報告は、ふつう思われているよちも、内実はずっと寒々しいものだった
   ことを示している。



信頼性の高いナショナル・アセスメント・フォー・エデュケイショナル・プログレス (全国教育向上評価) の調査から、評議会は、無料給食の恩典におずかる白人貧困家庭の子どもは、富裕層区域の黒人中産階級の子どもと同程度の算数力と読解力を示していることを知った。

ハーバードの成績ギャップ問題担当美長のロナルド・ファーガソンが述べた。

   初めて幼稚園に通う前に幼児が体験する事柄に人種的な相違があるという点については、山のような証拠
   がある・・・。

   子どもたちは、社会的、歴史的なものに根ざす様々な力に対処しなければならない。

   これらと向き合うために、われわれは、人々がそうしたくてしているわけではない、と話してやらなければなら
   ない。



評議会の報告は当然のことながら、議会に 「学校にもっと金を使え」 と迫るものとなった。

しかし、この点についての 「論議」 を喜んでする人々がいる。

その一人に、イリノイ大学名誉教授の政治科学者、『悪しき生徒たち、悪しき学校に非ず』 の著者であるロバート・ワイスバーグがいる。

ワイスバーグは、チャールズ・マレーの

   「学校教育の 『民主化』 ― 卒業証書を誰にでも ― は、物事を理解できないものを学級に放り込む。

   こうした子どもも勉強が出来るようになるというのは、まったくロマンチックな愚論である」

という意見に賛同する。

本当の学校改革は、怠け者やルールに従えない生徒のおもりをすることではなく、学校から追い出すことから始まるのだ。

   アメリカの学校崩壊を一発で食い止める真の 「魔球」 は、8年生になった者のボトムの 4分の 1 を排除する
   ことである。

   不幸にして、教育の 「民主化」 にはもう抵抗できないようだ。

   教育改革者たちは、徐々に、読めるが書けない程度の者の大学入学を許し、学年にいるということだけで、
   出来る証明とみなすようになっている。



ワイズバーグは、子どもたちは能力の限界まで追い込まれるべきだと考えている。

そしてさらに追い込む。

学業が終わったらドアの外へ放り出し、学校で習ったことについて、みんなの素質、態度が、平等ではなかったという現実を受け入れさせるのだ。

かつてこれを、人は常識と呼んだ





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第6章 平等か、自由か?
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  ( 8試験の点数を平等に
       ( )
  ( 9試験成績における世界のギャップ
  (10異端者の火刑
  (11政治的兵器としての平等


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