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(1777) 第7章(7)最後に別々の残酷さを顧みる

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(Ⅳ) 古田博司著 『新しい神の国』
目次
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )



PRETTY MAIDS
Mother of All Lies (2013)


第7章 和人たちの夏

1. 繰り返される儒教の独自解釈

2.日本的和の世界
3. 嫌われることを恐れる心性
4. 東アジア諸国民に日本の和は通じない
5.中華では存在すると思われる物は実在する
6.和は己を持って貴しとなす
7.最後に別々の残酷さを顧みる



7. 最後に別々の残酷さを顧みる


筆者の外国居住体験といえば、
韓国のソウルでの 80年代の 6年間と、米国ハワイでの10カ月にすぎないのだが、
それでも日本でそれらを回顧すれば、日本という国は利害・思惑・好き嫌いなどで、
人と人とが直接ぶつかり合う機会の少ない国だと真に思われる。


留学生に聞くと今ではだいぶ少なくなってきたそうだが、
韓国では人と人が怒鳴り合うさまは街角でよく見られることであるし、
米国でも白人の黒人に対するガンづけのようなものは何度か見たが、
法の制裁の恐怖が行動を辛うじて押しとどめるようである。

ところが日本では路上でそのようなことは殆ど見られず、
よしんば見られたときは、すでに相手をやってしまった後のことになるのではないだろうか。


氏家幹人や清水克行の本を読み、そこに出て来る史料などを掻い摘んで見ていると、
まぁ、日本人は中世の頃から本当にキレやすく、
キレやすいがゆえにさまざまな緩衝材を設けることに随分と熱心だったことが分かるのである。


世に中世は、
鎌倉時代・南北朝次代・室町時代・戦国時代・安土桃山時代などと一応分けているが、
承久の乱で貴族の凋落が決定的となり、
以後武士の時代が深まるほどに世の中は戦争だらけとなり、
1,600年の関ヶ原の戦いでようやく終止符が打たれるのであるから、
考えてみれば約 400年間、日本人は戦い続けてきたようなものではないだろうか。

そうとなれば庶民までキレやすいのはむべなるからである。


お隣の中国や朝鮮の歴史を見れば、
異民族に侵略されが、されたと騒ぎ立てるわりには、そのような機会はだいたい王朝の交代期だけで、
後は退屈で自堕落な王朝が、清朝の 300年とか、李朝の 500年とか平気で続いてしまうというのが
彼らの政治史の傾向である。

そういうことを言うと、こんどは、
「然り、わが国民は鼓腹撃壌 (こふくげきじょう=主権者の交替をよそに、
人民が生活を楽しむ) の民である」
とか、またしても自画自賛が始まるのでイヤなのだが、
腐った王権が延々と続くという点では、確かに駘蕩たる環境に浸りうる人々であった。


しかし、国内での彼らの生活が平穏であったかと言えばそんなことはなく、
第四章の墓争いのところでも述べたが、公権力などは在地の勢いのよい宗族のほうに荷担してしまい、
お白州での尋問の最中に一方の訴えを撲殺してしまったりすることは普通だった。


あまりにひどいので、京城の都に出てきて、
公平を期して欲しいと登聞鼓 (とうぶんこ) という直訴の太鼓を叩こうとするのだが、
叩く前にだいたい衛兵に捕まって叩かせてくれないから、廃れて 400年間経ってしまった。(←(^^;


1765年に、業を煮やしたものたちが、夜中に王宮の壁を乗り越えて宮中に躍り込み、
金太鼓 (ケンガリ) を叩いて王様に直接直訴したなどいう記録が残っている
   ( 『承政院日記』 乾隆 30年乙酉閏 2月 23日戌辰条)。


金太鼓の音に起こされたのは、71歳になる英祖という王様で、
「71 の翁をよくも起こしたな!」 と怒って、そこで尋問をはじめるのだが、
記録を見てみると結局みんな島流しにしてしまう。

あるいは、尋問中に 「物故」 「物故」 と書いてる。 ※物故=死

つまり、尋問しながら拷問するものだから、物故してしまうわけである。


彼らにも法典や法規のようなものああるが、そんなものは大体使われた試しがない。

その点日本では、江戸の前期までは喧嘩両成敗などの慣習法でまかない、
1742年には 「御定書百箇条」 という判例法をまとめて、それを実際に使用していた。


そのような慣習法や判例がなければ、
逆にどんどん殺戮と報復劇がつのっていった可能性があるが、
中華文明とは、やはり根本の心性も歴史も異なるのであり、
伝統の根を同様に解釈することは到底できない。


そのような中華文明圏であるから、
犯罪者を懲戒することで犯罪の再発を予防する 「特別予防」 よりは、
犯罪者にかけた罰を公開して一般人の犯罪を未然に防ぐという、「一般予防」 の方が、
彼らの場合には多くとられた。

いわゆる、公開処刑による見せしめである。


中国にはこのため、故意にゆっくりと殺して人々に見せる
凌遅之刑 (りょうちのけい=丘陵が次第に低くなることに、生命の衰えゆく様を掛けている)
というのがあった。

写真は、清朝の凌遅之刑で、
犯罪者に阿片を吸わせ、陶然としたところで手足から切り刻んでゆくシーンである。


このような伝統の現在における継承は、
中国の駅の構内などに張り出してある犯罪者見せしめのカラー写真や、
北朝鮮の公開処刑などに血染めの尾を引いていることは
勿論のことである。

二つの文明圏では、残酷さも別々なのである。



NEC_0010.JPG
20 世紀初頭の中国における処刑の様子
(ジョルジェ・バタイユ 『エロスの涙』、トレヴィル、1995年)



第8章 新しい神の国

1. 天皇が大好きな韓国人
2. 天皇をうらやましがった中国人
3. 存在すること自体にある美しさ

4. 裏切りつづける怨恨共同体
5. ポスト近代の新しい神々の国
につづく。





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