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(1770) 第6章(6)朝鮮植民地で「別亜」に気づいた人々

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(Ⅳ) 古田博司著 『新しい神の国』
目次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )





DREAM THEATER
Another World (1995)



第6章 別亜論とは何か

1.日本は始めから脱亜していた
2.東アジア音痴のアジア主義者たち
3.漢籍の書物で学んだ東アジア
4.ファシズムとは何か
5.マルクス主義者の東アジア像とその解体
6.朝鮮植民地で「別亜」に気づいた人々



6.朝鮮植民地で 「別亜」 に気づいた人々


管見では、
日本と東アジア諸国が、まったく異なる 「別亜」 であることを
骨身に染みて感じていたのは、
朝鮮半島を統治しようとした人々であったかもしれない。

朝鮮の植民地化にともない、
朝鮮の各地に裁判官や警察官が入っていったが、
その彼らが
在地で見たものこそが別亜であり、
日本の常識では到底律しきれない朝鮮の人々であった。


墳墓や養子相続などの訴訟で
困りはてた彼らは、
朝鮮総督府に次々と照会状を送り、
不明な点の解明を求めてきたのあった。


   蓋し慣習は民情に適応して発達したるものなるを以て、
   社会の変換、政法の推移等を明らかにせざれば
   之を闡明すること甚だ難し。

   依つて旧韓国の末年、法典調査局を設けて
   これが調査に着手したが、
   隆煕三年(明治42年)2月京城控訴院民事部より
   慣習調査の照会ありしを初めとし、
   裁判所其の他の官庁より相次で照会あり
   朝鮮総督府取調局・同参事官の所管を経て
   中枢院に至る間、
   此等の照会に対して発したる回答は、
   昭和8年9月迄に累積して三百数十件の多きに達せり。

   (中略)

   由来朝鮮は、
   母国と法制・民情・風俗を異にしたるところ多く、
   特に親族・相続に関しては
   今尚民法に依らず、大部分は旧償に依るを以て、
   過去の慣習を知ることは
   一般施政上は勿論、民事令を施行する為にも必要なり。

   ( 『朝鮮旧慣制度調査事業概要』 朝鮮総督府中枢院、1938年)


韓国政府時代に法典調査局が出来たのが1907年の12月であり、
1909年2月に京城控訴院から慣習調査の照会状が来たのを皮切りに、
次々に裁判所その他から照会が集まった。

そして
1910年9月30日に朝鮮総督府取調局が設置されて、
制度や旧慣の調査がここに引き継がれ、
1912年4月には参事官室の管掌となり、
1915年5月からは中枢院に業務が移されたのであった。


引用文によれば、その問い合わせは、
1932年までで三百数十件に及んだとあるから、
地方に入った役人たちは
朝鮮の慣習や風俗が分からず、本当に困ったのであろう。


中枢院は朝鮮貴族の中から参議を選んだ、いわば御用諮問機関であったが、
官制上、庶務課と調査課が置かれており、
調査課には
研究職の本官は配置されず、民間の専門家を嘱託として採用していた模様である。

ここには、
今村鞆や村山智順、李能和、善生永助(35年からは満鉄調査部に移籍)
などの優秀な人材が綺羅星のように集まっていた。


次に挙げるのは、朝鮮民族学に多大なる貢献をなした、村山智順の
調査資料第三十一輯 『朝鮮の風水』 の諸言に書かれた文章である。

すでに第四章でも述べたが、
朝鮮では
祖父母の遺骸を善い土地に埋葬しようとして山争いまでする。

村山はそれについて語り、


   これそもそも
   自己血族以外の者に信頼し得なかった朝鮮社会性の特質に由来するものであり、
   生活の保障は父母乃至家長の地位にある尊属に依つて与へられた
   朝鮮家族制度の特性に帰すべきものである。

   (中略)

   従つて血族の優勢なること、血族中に英雄の出ず(ママ)ることは
   以て自己血族の生活発展を無限に増大することが出来る沢(ママ)であるから、
   自己血族の繁栄を望むことは至大の希望でなければならぬ。

   然るに封建制度なき所ではその血族の発展を期するには
   之を他の血族に依頼することが出来ない。

   隣里の他族は勿論、牧民官たる地方官すら、
   隙あらばその瓜(ママ)牙を逞しくせむとする者が少なくないのであるから、
   自己血族を除きては
   四面楚歌の観ある環境に生活を維持して行かねばならない。

   ( 『朝鮮の風水』 朝鮮総督府、1931年。なお文中の 「沢」 は訳の、「瓜牙」 は爪牙の誤り)


と述べ、村山が
日本が朝鮮とは 「別亜」 であることを、
はっきりと認識していたことを示している。

朝鮮の社会は
男子単系血族たる宗族細胞の集合体としてあるのであり、
宗族の繁栄こそが、
国の繁栄に優先するのである。

隣村の他の宗族はもちろん、
清廉を期待されるべき地方官ですら、
己の宗族の利益のためには爪を磨ぎ、牙をむくのであり、
今日でも
この伝統に変更があろうとは筆者には微塵(みじん)も思われない。


このような別亜の現実に最も早く目覚めたのが、
朝鮮を侵略してこれを植民地とし、
そこに近代化の種を移植しようとした、
わが祖先の日本人たちであったとは
何たる皮肉であろうか。

先に、満鉄調査委部員だった旗田巍の中国での例で垣間見たのと同様に、
朝鮮の例においても、
日本人は東アジアの在地に入り、
そこで初めて、
日本まったくの別亜Another ASiaであることに気づいたのであった。




第7章 和人たちの夏

1.繰り返される儒教の独自解釈
2.日本的和の世界
3.嫌われることを恐れる心性
4.東アジア諸国民に日本の和は通じない
5.中華では存在すると思われる物は実在する
6.和は己を持って貴しとなす
7.最後に別々の残酷さを顧みる

に続く。





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