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(1752) 第3章 (7)韓国人の中国人評 (8)朝鮮への贖罪工作

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METALLICA
The Unforgiven
(1991)





(6) 古田博司著 『新しい神の国』

目次

(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )



第3章 贖罪大国日本の崩壊

1.戦後日本の「愛国しない心」
2.韓国での俳外体験
3.愛国心とナショナリズム
4.贖罪の宣伝戦
5.「倫理の高み」にのぼった中共
6.軍民二分論の破綻
7.韓国人の中国人評
8.朝鮮への贖罪工作

9.良心的知識人たちの「善意」
10.贖罪大国の崩壊



7.韓国人の中国人評


日本の左派インテリが戦後約50年をかけて中共を倫理の高みに押し上げ、中国への印象を清く澄み
わたらせていた頃、隣の韓国ではまったくそのようなことがなく、中国のイメージは生々しいままに放っておかれていた。

1980年から6年間、筆者が韓国に滞在していたころの日韓の中国イメージの格差には、めくるめくものがあった。


同じ頃、ソウルに滞在していた朝日新聞元ソウル支局長波佐場清が、朝日新聞の会員制インターネットサービス「アスパラクラブ」の「ACI」欄での連載をまとめた、『コリア閑話』(東方出版、2007年)で、それをエピソードとして、次のように語っている。


   しかし、では、韓国において「中国」は絶対的なカードなのかというと、どうやれそうでもなさそうだ。
   韓国滞在中、次のような小話を何人もの韓国人から聞かされた。

   --韓国人と日本人と中国人がいっしょに豚小屋に入ったとする。
   さて、どんなことが起こったか?
   一分ともたず、真っ先に日本人が鼻をつまんで飛び出してきた。「臭い。もうたまらん」。
   続いて、何分後かに、韓国人。やはり鼻をつまみ、相当に参った様子だ。
   しかし、中国人はなかなか出てこない。10分、20分、30分・・・。
   まだか、まだか、と待っていると、何とブタの方が飛び出してきた。 「あんな不潔なやつとは、とても
   一緒におれたものではない」と――


何と言うことを言うのだと、苦笑される読者諸兄姉もおられることだろう。

ただ韓国人とはそのようにあからさまな人々であり、このような伝統的なイメージがかえって、大陸というとてつもなく広い地域を占める中国に歴代呑み込まれることもなく、彼らが安全に身を処す糧になって
きたことだけは知っておいてもよいことだろう。

朝鮮民族排外主義には行きすぎの面が多々あるが、彼らは異民族倫理のネタなぞにしてはいけ
ない
ことだけは、骨身に染みて知っているのである。



そして、そのような禁を敢えて犯し、中国人を倫理の高みに押し上げてしまった日本は、2005年4月の反日暴動少しく目覚めたとはいえ、いまだ完全に覚醒することがないがゆえに、おそらくは次の北京オリンピックにおいて、この上なく激しい落下感、すなわり失望感を味わうことになるだろう。

なぜならば、同オリンピックをナショナリズム昂揚の最大の機会と狙っている彼らが、日本の金メダル
獲得を全人民的に妨害しようと血眼になることは火を見るより明らかだからである。(←確かに!)


いわゆる、ホームラウン・ディシジョン(偏向判定)の問題が、かつてないほど鮮烈なる形で現れるに違いない。

そのときに多くの日本人が、怒りのうねりに身をまかせて感情に押し流されることを筆者は何よりも恐れているのである。


かつて1988年のソウル・オリンピックの時もそのようなことがあったが、あのときには日本経済が好調
で日本人にも余裕があった。

それに韓国と中国では日本人の感覚に微妙な温度差がある。

中国に対しては古代文明の先達としてどこかしら畏敬の念を向けている日本人が少なくないが、韓国に対してはそれがない。

それがない分、韓国の方の落下感はより低い程度で済んだとも言えるのである。





8.朝鮮への贖罪工作


では、その朝鮮に対する方の贖罪はどのように形成されていったのだろうか。

これは調べてみると、中国同様、1958年(註:昭和33年。終戦から13年後)から始まることが
わかった。

この年の12月号の『中央公論』に、藤島宇内(詩人・評論家)・丸山邦男(評論家、丸山眞男の弟)
・村上兵衛(作家)による共同執筆 「在日朝鮮人六十万人の現実」 が載る。

そしてこれに応えるように同年『世界』の12月号に、無名の鄭雨澤(朝鮮総連役員、31歳)の 
「帰国を希望する在日朝鮮人」 という手記が読者の頁で取り上げられるのである。


両者が呼応していたことは、後に藤島宇内が翌年の同誌10月号の「朝鮮人帰国と日本人の盲点」
で率直に述べている。

そして二つの論稿は共鳴し合い、「日に日に隆盛発展する朝鮮民主主義人民共和国」「朝鮮民主主義
人民共和国は隆盛発展の一路を辿り」云々という嘘を吐き出しつつ、日本で貧窮にあえいでいる在日
朝鮮人が「祖国の暖かい懐に抱かれたい」と願っている、と煽ったのであった。


これに先立ち日韓会談(日韓国交正常化交渉)が再開されており、これへの対抗策として、
「9月16日北鮮(ママ)の南日外相が在日朝鮮人の帰国希望を歓迎し、生活も保護すると言明する
とともに、日本政府に対し、配船の用意があるから帰国希望者を北鮮(ママ)に引渡す措置を講ずる
よう要求すると声明したことに応じて」「在日朝鮮人総連合会は10月30日を全国的帰国要請デ―と
決め、強力な運動を展開しはじめた」(読売新聞、1958年10月22日付)。

いわゆる「北送事業」の開始である。


その結果、1959年12月14日に第一次船が、975人の在日朝鮮人乗せて清津港に出航し、以後、
1967年12月まで15回にわたり、計8万8611人が北に渡った。

一時中断されたが、1971年5月には再開され、その数は総計9万3000人(日本人配偶者を含む)
に上ったのであった。


朝鮮総連は 「教育も医療も無料の社会主義祖国」 「地上の楽園」 などのプロパガンダを繰り返したが、その結果多くの人々が北に渡り、独裁体制下で差別と貧窮に呻吟して斃(たお)れていったことは、今日では周知の事実であろう。


藤島宇内は北送開始2ヵ月前の1959年10月号の『世界』で前述の「朝鮮人帰国と日本人の盲点」を公表し、「戦後になってもアジアに対する侵略者としての心性を捨て切っていない日本の無自覚さ」が帰国事業を妨げていると批判し、日本人の贖罪喚起しはじめた


1960年1月には、先の丸山邦男と共に平壌に招かれ、9月号の『世界』では
「朝鮮と日本人――極東の緊張と日・米帝国主義」
なる論稿を発表、ここで先の朝鮮総連の鄭雨澤の投稿中にあった

   「元来、在日朝鮮人は、日本に来たくて来たのではなかった。

   在日60万のほとんどは日本軍閥によって、侵略戦争(中日戦争と太平洋戦争)遂行のため、
   “強制的”に集団移住させられたり、“徴兵徴用”されて来たものである」(“”=傍点でした=筆者)

を総括し、これを朝鮮人強制連行初めて命名した。


これも既に周知のように単なるプロパガンダであり、首都大学東京の鄭大均教授が
『在日・強制連行の神話』(文芸新書、2004年)
の中で、在日朝鮮人の一世で日本に来たのは1930年代の出稼ぎ労働者が典型的であり、戦時中の労務動員(徴用)で日本に来た者は、戦後ほとんどが故国に帰還しているというこを実証済みである。


同書によると、強制連行というプロパガンダは、この後、朝鮮総連系の朝鮮大学校の教員だった
朴慶植が、朝鮮人強制連行の記録という本を1965年に上梓し、「朝鮮人は好んで日本にやってきたわけではなかった」というテーゼに、無理やり都合のよい資料を貼り付けることによって宣伝媒体を
つくり上げた結果
、絶大な威力を発揮し、日本中に広まってしまったのだという。


後に鄭大均教授はこの本の内容を簡潔にまとめ、

「もう少し具体的にいえば、『朝鮮人強制連行の記録』刊行以前に影響力があったのは森田芳夫の
『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(1955年)という文書である。

法務研究報告書として作成された同書で、森田は在日一世の多くは『出かせぎ者』であり、より良い
生活をするために朝鮮の故郷を離れたのだと述べているのだが」

と、先行研究を紹介し、


   在日コリアン一世の中に「労務動員」や「徴用」の過程で来日し、そのまま住みついた人間が
   いる   のは事実であろう。

   だが、これをして「強制連行」と呼ぶのは後世の発明であり、しかも一世の多くのものたちは
   自分   たちがむしろ選択的、任意的にこの地にやってきたことを知っていたからである。(中略)


   だが、一世の物語を記したのは一世というよりは1.5世たちであり、彼らはしばしば一世を代弁
   するかのようにその体験を語った。

   1.5世とは、幼少期に親とともに朝鮮半島から「内地」にやってきたものたちの意で、一世が
   教育の機会に恵まれなかったのに対し、1.5世は日本で教育を受ける機会に恵まれたから、
   彼らの中   から親たちの物語を記す人間が出てきたのは当然のなりゆきであった。

   強制連行論の世界でバイブル的存在である『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)
   を著した朴慶植もその一人であった。
   (鄭大均・古田博司編『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』文春新書、2006年2刷)


と、穏健に述べている。

朝鮮人強制連行とは、子供の頃日本に来て、差別と闘いながら、教育により社会の階梯を必死に
よじ登っていった、1.5世たちの創った壮大なフィクションだったのだろう。

その祖型を指し示すのが上述の藤島宇内の論稿であった。




 9.良心的知識人たちの「善意」
10.贖罪大国の崩壊

に続く。





(1325) 吉田茂からマッカーサーに宛てた文書
      (北朝鮮の国会議員が日本に住んでる不思議)
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22 )



 


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