GEPE
Mamekyi Nazuk (2012)
古田博司著 『新しい神の国』
目次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )
第2章 マルクスどもが夢のあと
1.歴史的必然を信じた人々
2.偽の近代精神の自滅
3.ポスト近代におけるマルクスの残留思念
4.もっと現実的になるべきではないか
5.演繹より帰納重視の教授法
6.教養は教えられるか
4.もっと現実的になるべきではないか
さて、これからの日本の学問、とくに社会科学の研究や教育をどうするかという問題を考えてみたい。
もちろん筆者もそうなのだが、日本人はつくづく写実的な民族だと思うことがある。
学者であれば、重箱の隅をつつくような研究が得意だし、芸術家であればディテールにこだわる描写が
本領であろう。
しかし、写実的であるということは、現実的であるとは限らない。
もっとも英語にすれば、両方ともリアルになってしまうから、以下私がお話しすることはおそらく日本人に
しか通じない話であろう。
たとえば私の専攻は東アジアだが、中国・韓国・北朝鮮とそれぞれに専門家がおり、歴史・思想・経済・社会・文学などさまざまに細分化されていて、互いに微に入り細を穿(うが)ち、集まると何を言っているのか誰にもわからない。(←ふ、ふるたせんせぇ~www)
現実的な絆があれば、なんとか対話ができそうなものだが、伝統的に現実的でないのでうまくいかない。
絆といえば、古代から連綿と続いた、「周りはみんな良い人で、話し合えばわかる」という素朴な世界観だけである。
これでよく近代化できたものだと、来し方を振り返れば、ただただ呆然とする。
かつて戦時中、兵站もあまり考えずに大陸侵略にのめりこみ、勝ち戦で万万歳と叫ぶうちに、今度は
占領地に人の良い教育者や農業技術者が入っていき、近代化の教育をはじめた。
植民地となると、西欧では善良な宣教師の後に獰猛な軍隊がやってくるのだが、日本では順序が逆である。
まず侵略して、そのあとに人の良い校長先生や神主さんやら、大工の棟梁がやってきて、みんなで地域を開発し、全体で金が足りなくなると、日本政府から送金してもらっていた。
もちろん現地の人々を見下す人もいて、そういう感情の問題が戦後になってもつれるのであるが、一様に善良で皆一生懸命に近代化をやった。
先が見えないのは本土も同じで、官僚主導で、爆撃の際に「燃えない都市」を作ろうと写実的にそして
緻密に計画を練った。
それも現実的な焼夷弾の数発で灰燼に帰し、最後には、アングロ・サクソンに詰めていた将棋を将棋盤ごとひっくり返されて、ふと我にかえったのであった。
さて、今度は平和な現代の話である。
韓国の経済がよかった1990年代前半、韓国研究者も随分と人数が増え、研究も精緻になっていった。
民間企業もたくましく進出していった。
しかし誰も金融危機を予測できはしなかった。
次は中国の番である。
そこには金融システムもなければ、手形の不渡りに対する法的ペナルティも存在しない。
したがって不良債権がたまろうと、バブルははじけないとも言われている。
要するにまっとうな市場経済ではないので、経済学者たちも予想しかねているのである。
恐ろしいと思うのだが、日本企業はまたもや次々と進出している。
そしてお決まりのように、あの純朴な世界観が登場し、その中で議論が白熱化していくのだ。
ところが、東アジアの人々からみれば、日本人は話し合ってもわからない相手である。
そこで現実とずれることになってまた苦しむ。
こんなことばかり繰り返しているうちに、失望の歳月は積み重なっていった。
つまり、自分の方の見方ばかりどんどんと細かくかつ詳しくなっていくのに対して、相手方からの視点がほとんど考慮されないのだ。
したがって、現実的になりようがない。
三十年間、東アジアの研究に携わってきた筆者からみれば、中国人も韓国人も北朝鮮人も日本人が
圧倒的に嫌いである。
これは否定すべくもない事実で直しようがない。
個人的には日本人に好意を寄せていても、同族が集まって集団的な見解を述べる際には必ず反日に
なる。
なぜならば、日本人は中華の礼(道義)からもっとも遠いところにいる蛮族なのであり、その蛮族が自分
たちを見下し侵略し、なすすべもなく茫然自失しているうちに、勝手に敗戦して戦後また繁栄していると
見えるからである。
日韓基本条約のときも日中友好条約のときも、そのような日本からの援助が欲しかっただけで、その
当時は嫉妬も押し隠して笑顔を向けた。
しかしその微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていったではないか。
そして戦後からずっと、「東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる」といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。
伝統的なことにかけては、右も左もない。
日本では「伝統的な善人」や、「国際的な正義派」がいつも国を過(あやま)つのである。
5.演繹(えんえき)より帰納重視の教授法
そのような国際政治学者の書いた、冷戦時代の二元均衡型・仲良し世界観を大学で教えたとて、もはやどのような意味があるのだろうか。
わが身の周りを見わたせば、中国は2000年に入ってからの日本領海の原潜による侵犯、尖閣諸島・
魚釣島への不法上陸、日本海海域に隣接した東シナ海のガス田採掘施設工事の着工などと連動して
自らの意図を浮き彫りにしつつある。
北朝鮮に至っては、核・ミサイルによる威嚇、拉致被害者全員送還の拒否とごまかし、麻薬、偽札、偽
たばこ、イランへの武器輸出なお、「悪の“朝鮮王朝”」となり果てている。
いわば、よろぼいた壊屋に麻薬偽札強盗どもが立てこもり、板は剥がれ屋根はくずれ、電気も水も止ま
った中で、窓辺に迫撃砲を据えてまわりを睨み回しているような不穏な状況が続いているのである。
筆者の大学院ゼミでは、2004年頃まで、それでも演繹な思考(理論やモデルを基に、事象を当てはめて行く考え方)が研究の基礎には必要なことだと考え、大社会科学者や国際政治学者の書物をテキストとして選んできたのだが、いかんせん、もういけない。
何を読んでも古くさくて、現実からの乖離が甚だしすぎるのである。
そこで、今ではもう完全にそのような試みは諦めてしまった。
それではどうしているのかと言えば、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』という原資料をそのままテキストにして、院生一人一人にその一年分をまかせて発表させる。
政治・経済・軍事・思想・教育・芸術などの抽出すべき指標をあらかじめ立てて置いて、年号日付で年表のように羅列したレジュメを作らせ、原資料のコピーを院生の人数分配布させる。
君は1973年分、君は1974年分、というように調査の期間を長く取って大きく割り振るので、図書館のマイクロリーダーでは無理があるため、研究室にマイクロリーダーを常設した。
もちろん科学研究費助成などは、うちの北朝鮮研究室などにくれた試しがないので、全部個人研究費でまかなったのである。
はじめはモデルも何もなく、原資料からそのまま重要事項を切り取れるか心配だったのだが、今の学生はわれわれの世代よりずっと民度が高く、大先生のモデルの本などはパラパラと自分でめくり読んで
適当に摂取し、それを決して金科玉条のように信じはしない。
もともとの頭がよほど帰納的(個々の事象から原理やモデルを導く)である。
これにはインターネットの影響があるかも知れない。
もう学生の頭に何か縛りを置くことは徹底的に諦め、多くの学生たちの好きなようにさせ、彼らと一緒に
レジュメと原資料おコピーを読みつつ、共に相談しながらそこから一貫した何かを探りあてるという、帰納的教授法の方が圧倒的に有意義である。
そしてそのような才能に恵まれているのは、じつは世にオタクと呼ばれている学生たちなのである。
オタクは周知のように、道徳や礼儀の面が往々にして弱い。
アメリカのような法とプロテスタントの国であれば規範がきついので、外側からの抑えが結構効くもので
ある。
日本ではそうではないので、嗜好に対する過度の執着や度を越した内面逃避はいけないという世の掟を別に教えねばならない。
ゲーム系のオタクにはあらかじめ遠慮いただくことが多いが、他は「感謝・愛情・尊敬」を祝詞のように
繰り返して不気味さを祓い、課題を与えて成就感を得させていく。
このようにすればオタクは研究者の宝庫であり、私の研究室ではこれまでに多くのオタクを更生させ、
社会の維持にとって必要な実務家を輩出してきた。
十年くらい前には放送局員や新聞記者なども輩出したが、だいたい夜明けに鶏が三度鳴く前に「古田
なんか知らない」と言いそうな輩ばかりなので、ばかばかしくなって止めてしまった。
うちでもその頃にはマルクスやウェーバーをゼミのテキストにしていたのだから、いまでは隔世の感を
禁じ得ないのである。
<6.教養は教えられるか>に続く。
参考:
(1601) 防衛大創設の父、非公式には「オヤジさん」w
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-15-1 )
「鳩ポッポ(注:鳩山一郎)はソ連に行って『どうか魚を取らせて下さい』と頼んで、逆に脅かされ、
中国に行って『物を買って下さい』と頭を下げる。
ソ連や中国との外交は脅かすか、利益をちらつかせるかの二つしかないんだよ。
それを、誠意をもって話し合いで行くという。ソ連に話したって聞いていないんだ。困った人だよ」
(0104) (5) どのようにして戦いに敗れたのか
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2009-12-04 )
(1426) 東大は税金からいくら貰っているか
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-05-15 )
この中(↑)に
平成20年度の「国公私立・分野別交付決定状況一覧」
があります。
私たちの税金から、それぞれの大学に、いくら交付されているのか、というものです。
一部抜粋で、「天下のアカ・東京大学」がトップの「20億8000万円」。
この古田教授のおられる「筑波大学」は
何かは分かりませんがプログラムの1つが大阪大学と連携しているそうですが、
それ以外の交付金は「1億3700万円」です。
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(1746) 第2章 (4)もっと現実的になるべきではないか (5)演繹より帰納重視の教授法
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