GEPE
Jesu Drenpa (2012)
古田博司著 『新しい神の国』
目次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )
第2章 マルクスどもが夢のあと
1.歴史的必然を信じた人々
2.偽の近代精神の自滅
3.ポスト近代におけるマルクスの残留思念
4.もっと現実的になるべきではないか
5.演繹より帰納重視の教授法
6.教養は教えられるか
6.教養は教えられるか
では、教養をどう教えるか。
これが最後の問題である。
教養はコピペ(copy & paste)の対極概念にあり、文章であれば知識や情報をワープロの糊ではなく、自分の頭のなかの糊で優雅に貼り接いで行かなければならない。
これは一種の文化資本であり、良い家には家系的に蓄積されたものがあるので、それだけ有利になる。
筆者などは、祖父母は農民、父母はともに下町の市井の民で、家には金メッキの大黒様や先祖の大福帳などはあったが、教養の文化資本なぞはまったくなかった。
家に本を読む人さえ一人もいなかった。
そのような状況下で、教養に真剣に悩み始めたのは三十代からだっただろうか。
とにかく糊がなかなか自由に滲み出てこないのである。
本を大量に読み、文章を厖大に書きなぐるという過程を子供の頃から無意識で繰り返しては来たのだが、文章に味わいや品格というものがどうにもこうにも湧いてこない。
知識や情報を繋ぐと妙にギスギスとして、林望先生や藤原正彦先生のような良い家の人でないことは
歴然であった。
ではどうすればよいのか。
まず独りぼっちで良い家を作るにしくはない。
よい本を頭のあかで音を出して読み、知的な父や母が読み聞かせるように自分に聞かせる。
文章を書くときには、同じく頭のなかで音を出しながら書き、綺麗な音の語彙を拾って書きつけて行くのである。
ただ問題があり、文章の手本にするのに、どの本がよいのか悪いのかは誰も教えてくれなかった。
そこで、世上でよいといわれる文章家の著書を全集でことごとく読んでしまう。
これを私は、「全集つぶし」と呼んでいる。
名文家の全集というのを読んでいると、その中にその人の知己の文章家の名前が出てくる。
それもまた手繰るようにして全部読んでしまう。
外国の名著や古典が出て来れば、それも全部読んでしまう。
それぞれ個々の著作の間に何の関連がなくても構わない。
偶然に同じ専門の人が続くこともあるが、たいていは雑駁なものである。
意味がよくわからなくても読み通す。
眠くなれば途中で寝て、また起きあがって続きを読めばよい。
よくわからないのだから、眠くなるのは当然のことであろう。
ときたま、ものすごい量の全集にぶつかることがある。
たとえば、『保田輿重郎全集』全四十五巻とか、『マルクス=エンゲルス全集』全四十一巻(他に補巻四)とか。
こういうのは、代表作数巻を読んで潔く退却する。
前者であれば、「戴冠詩人の御一人者」 「日本の橋」など、後者ならば何はともあれ最も手強い『資本論』をまず潰し、あとはいくつか読んで撤兵するのである。
あるいは、自分にとって不愉快な著作に出会ってしまうこともある。
そのときはどうするか。
我慢して読むのである。
良い家の子は、父や母の言葉が気に染まなくても黙って聞いている。
たとえ父や母に植えつけられた教養で、いわば人生を他者に無意識に生きられてしまっても気がつかない。
そのような心構えで読む。
そのようにして、四十歳の坂を越え、ようやく文を繋ぐ際に糊のようなものが微かに滲み出てきた。
筆者の場合には、教養をそのような筆の力に局限させたので、実際に私に会うと、筆のときとはずいぶんと違う、現実的で実務的な人物が登場することになり、多くの人が驚くようである。
今の五番弟子などは、私の『東アジアの思想風景』(岩波書店、1998年)を読み、研究室を訪ねてきたのだが、白髪で枯淡の老人を思い浮かべて来たので、その差に驚愕したと語っていた。
され、教養は教えることが出来るだろうか。
大学の教員が主に名門の子弟によって占められていた戦後第一世代ならばいざ知らず、第二世代や
第三世代ではまず無理である。
第四世代では無駄である。
そのような意味では、1991年の大学の大綱化に対応し、大学から教養科目がなくなったことは、たいへん賢明なる処置であったと私には思われる。
教養を教えるには、どこによい本があり、よい人物がいるかを知らなければならない。
そしてそのような本や人は往々、世の実学の役にはまったく立たないものである。
優雅さや品格は、無用の美から生じるものと心得るべきであろう。
そして、それを代を継いで蓄積していくことは、じつはたいへんに難しい。
名門でもだいたい三代が限度であり、そのようなことを尾崎秀美が『愛情はふる星のごとく』のなかで言
っていた。
また教養があっても、それが出せない人もいる。
私が出会った、ある戦後第一世代の教養人は、まったく筆が立たなかった。
ただ彼は、おそろしいほどに、よい本を知っていた。
何かを聞くと、「あっ、それならばころれこれの本を読むといい」と即座に答えた。
しかし彼は、何一つよい書き物を残さなかった。
教養とは不思議なものであり、先祖や親に生きられすぎてしまうと、かえって表現できないのである。
私には息子が一人いるが、彼はまちがいなく教養人の卵である。
ある日、彼が電話で友人に、
「物事には原因と結果なんてなくて、出来事の連鎖があるだけなんだよ」
と、穿(うが)ったことを言っているのを聞いた。
じつはこれは、アングロサクソンの思考様式の産物であり、イギリスの哲学者ヒューム卿の言った言葉である。
彼は子供の時に、私が家族に何気なく語ったヒュームの一言をそのまま覚えていて、それをヒュームとも知らずに語っていたのである。
教養の正体とはこのようあものであり、本質的に教えることはできない。
教えれば知識になってしまう体のものであろう。
そして、その部分は先祖や親に無意識に生きられてしまうから、敢えて知ろうという欲求が本人自身に
湧かない。
うちの息子も勉強は父親がするものあと思っていて、ぜんぜん勉強というものをしない。
というわけで、わが家の教養は二代で終わることが既に運命づけられている。
要するに、教養とは勉学を通じて絶えず更新していかなければならないものであるが、それを与えると
いうのは、今度はその子の表現意欲や向学心を奪うという逆転を生じかねない体のものだと思われる。
いわばそれは、「世代間を超え正体を失った知識が混沌状態になり大量に脳にたまったもの」なので
ある。
ヘーゲル=マルクス風に言えば、「ここがロドスだ。さあ跳んでみろ!(Hic Rhodus, hic salta!)」と
いったところだろうか。
ヘーゲルにとっては馬鹿げているし(『法哲学要綱』)、マルクスにとっては跳んで蝶になるかも知れないが、その蝶は往々見えない蝶なのである(『資本論』東独版原書181頁)。
<第3章 贖罪大国日本の崩壊>
1.戦後日本の「愛国しない心」
2.韓国での俳外体験
に続く。
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(1747) 第2章 (6)教養は教えられるか
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