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(1743) 第1章 (5)偏在する神々の魂 (6)日本の神々の二つの系譜

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GEPE
Drenpe She Chung
(2012)





古田博司著新しい神の国
目次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )


第1章 多神教的世界観の勧め

1.ホッブズ・ワールドのロック・ソサエティー
2.極限の身体
3.無限増殖する偶像なき身体
4.悲しみの島ハワイ
5.偏在する神々の魂
6.日本の神々の二つの系譜



5.偏在する神々の魂


ハワイでの筆者は、結局「洋化」しなかったが、そのかわりに出雲大社檀家の日系人たちとは禰宜さんを通じ、ずいぶんと親しくなったものである。

みな祖父の代からの神道信徒であるが、スサノヲとかオホクニヌシの名は知っていても、その業績を知らない子孫たちがたくさんいる。


「オオクニヌシは二度復活した。イエスなどの及ぶところではない」

と、教えてあげると、「レアリー!」と叫んで、大感動であった。


ちなみに、オホクニヌシの神(天下の大いなる国々を従える主の神)は、
スサノヲ直系のアメノフユキヌの神(天の降るう剣の主の神)と、
サシクニオホの神(佐志の国の大いなる神)の娘サシクニワカヒメの神(佐志の国の若々しい姫神)の
両性生殖によって生まれた神であるが、ハワイの出雲大社の主な祭神になっている。

オホクニヌシは兄弟たちの嫉妬により二度その身を殺されるが、二度復活したと『古事記』にある。


とは言いつつも、日本の神々の身体はなかなかに解釈がむずかしい。

イザナミの神などは、死ぬとその屍体は黄泉の国の殯殿(ひんでん)に安置されるが、蛆湧き、腐り、
とろけてしまう。

かと思えば、スセリビメの神は死んでもいないのに、そのままの身体で黄泉の国と現世を自由に行き来してしまう。

本居宣長は、この神は「サスラヒ姫」の訛(なま)りだと説いている。


どうやら日本の神々はわれわれのような身体に魂を宿すが、魂はさらに自在なのであり、イザナギの神のように魂だけを近江の社に残すこともできる。

高天原に昇ることも、黄泉の国に下ることも自由だが、放浪の神以外は身体をその都度どこかに置いてくるようである。

神社の心の御柱に神のヒモロギを置こうが置くまいが、ご神体があろうがあるまいが、この国には神々の魂が偏在し、満ちあふれていると見ている。


そして単性生殖、両性生殖で無限に増える。

それはときに荒ぶることもあるが、この荒魂(あらみたま)になったものは、穢れを祓えば和魂(にぎみたま)となる。

和魂には幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)の働きがあり、宣長は、


「幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)は、共に和魂(ニギミタマ)の名にて、幸奇(サキクシ)とは、その
徳用(ハタラキ)を云なり。(中略)

さて幸魂とは、(中略)字の如く、其見を守りて、幸あらする故の名なり。

奇魂も、字の如くにて、奇霊(クスシキ)徳を以て、萬ノ事を知識(シリ)辦別(ワキマヘ)て、種々(クサグサ)の事業(コトワザ)を成(ナ)さしむる故の名なり」(『古事記伝』十二巻、神代十之巻、幸魂奇魂の段)


といい、幸魂はその身を守り、幸せにする働きであり、奇魂は徳をもって、よろずのことを知りわきまえ、
くさぐさのことを成し遂げる働きのことだと説いている。


要するに、日本の神々の魂には怒り(荒)・仲好し(和)・幸せ(幸)・巧みさ(奇)の四つの機能があるらしい。

また宣長は、


「善神のみにはあらず、悪(アシ)きも有リて、心も所行(シワザ)も、然ある物なれば、悪きわざする人も福(サカ)え、善事(ヨキワザ)する人も、緺(マガ)ることある、よのつねなり。

されば神は、理(コトワ)リの當(アタリ)不(アタラス)をもて、思ひはかるべきものにあらず。

ただその御怒(ミイカリ)を畏(カシコ)みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。(中略)

そはまづ萬ヅを齋忌(イミ)清(キヨ)まはりて、穢悪(ケガレ)あらせず、堪(タヘ)たる限リ美好物(ウマキモノ)多(サワ)に獻(タテマツ)り、或(アル)は琴(コト)ひき笛(フエ)ふき歌儛(ウタヒマ)ひなど、おもしろきわざをして祭る。(『古事記伝』一之巻 直毘霊)


と言い、いいよそ神には善神のみではなく、悪神もあり、心も仕業もそのようなものであるから、あしき業をする人も栄え、よき業をする人も不幸にあうのは世の常である。

神は人の理の当たらずをもって思いはかるべきではなく、ひたすら斎(いつ)き祭れ(穢れを忌み清浄に
祀り仕えよ)と教えるのであるが、もっともであろう。


『旧約聖書』にも、とにかく不幸な一生を終える善人のヨブさんとか、女房を寝取られる預言者のホセアなど、不幸な人々は枚挙に遑がない。

損な世の中で不幸と闘いながら生きるのは、洋の東西当り前の話である。



小乗(自分の悟りを重視する)のブッダなどは、

「或る者は母胎のなかで死んでしまう。

或る者どもは産婦の家で死んでしまう。

また或る者どもは這いまわっているういちに、或る者どもは駆け廻っているうちに死んでしまう」(ウダーナヴァルガ)

などと言っている。

けだしリアルであり、リアルな宗教でないとポスト近代を乗り切れないような気がしないでもない。



6.日本の神々の二つの系譜


さて日本の神々には、管見ではどうも二つの系譜があるようで、『古事記』神代十五巻でいうと一巻から十巻までの神々と十一巻から十五巻までの神々は、どうも性格が違っている。

文献上はタカミムスビの神を高木の神と言い換える十一巻目が、史料の継ぎ目であることは本居宣長も、
「初メ稗田ノ阿禮が詔命を蒙(カガフリ)し時に、
高御産巢日ノ神と申シ傳へたる本(フミ)と、
高木ノ神と申シ傳へたる本(フミ)と、
二品の本(フミ)に據(ヨリ)けむ」(『古事記伝』一三之巻、神代十一の巻、天若日子の段)
と、指摘している。


その前段の神々は主役が出雲系で、下方の黄泉の国と深い関係を持っていて、その神々の職能は、
主に穢れ祓いである。

後半の神々の方は主に大隅(薩摩)系で、上方の高天の原と連携を保っており、その神々の職能は、
軍事も含めた神事の分業と思われる。


分業というのは、
アメノコヤネの神は神言の伝達係、
アメノイハトワケの神は守衛係、
アメノウズメの神は鎮魂祭の係、
タマノヤの神の玉造り、
ホデリの神は門番と行列の露払い、
アメノオシヒの神とアマツクネの神は戦闘係
といった按排(あんばい)をさしている。


ひょっとしたら、この後者の族(うから)の方は、カースト制度のごときものをもった分業の民が列島に
やってきて、そこで変容したのかもしれぬ。

精神性は前者の方が高いが、後者の方はきわめて実用的である。

この二系統の神々が実に絶妙の筆で融合されている。

それが『古事記』という神の書だと見ている。


そのような無限増殖する偶像なき神々は、人代の十六巻目からは実に無造作に人間と結合されていく。

その間には、契約もなければ報奨による取り立てもない。

ただただ直截的に連結されていくのである。

したがってわれわれ人間の魂は荒神にもなれば、和魂にもなり、幸魂たるときもあれば奇魂たることも
ある、ということであろうか。


職責には順応的であり、実用的ではあるが、その行いに個体としての痕跡を残さない。

個性的であることなど、大して有意味なことではなく、個性的であるということはときとして、多数の無言の非難の眼差しにさらされることがある。


集団的などという概念では括れない。

その意志は無限に広がり、有限の隙間を埋める。

それが集団結束的に見えるだけだろう。

こうして気がついたときには、私たちの作った製品は世界に溢れ、商品はマスキングされて東アジアを
覆い、浪漫(ローマン)は世界中のテレビ画面から溢れ出した。


スクナビコナの神という神がいて、この神は外来魂である。

異形の神であり、オホクニヌシの右腕となる。

岩や草木にいたるまで、荒ぶる神々を鎮め、禍を祓い、獣や虫の害を除き、やるべき仕事をことごとく
やり終えると、また海の彼方へと去っていった。


この神もまた、無限に増殖するわれわれの身体である。

祖先との過ぎし彼方を顧みれば、このような外来魂にいくたび授けられたことだろうか。

われわれの魂は外国に対して閉鎖的であるとか国際的でないという人々がいるが、さにあらず、外来魂は寄り来たって、われわれの身体を豊穣の身体へと作り替えてくれるのである。


そのような魂には歴史上枚挙に遑がない。

近世近代でいえば、シーボルトは長崎に医術と博物学を伝え、クラーク博士は北海道の少年たちを励まし、ベルツ水のベルツ博士からは風土病や温泉の効能を教わったではないか。


われわれは自己の身体を否定的に見る必要はないのであり、そのような言説の反復には、もう実はうんざりしているのだ。

といって、啓蒙するつもりはない。

要するに、一神教の信仰からさまざまな世界観を造りあげてきた西洋の模倣をするばかりでは、ネタ切れワールドはさらに擦り切れ、今度は劣化しきった西洋のネタまで仕入れる有様になってくる。


そういうインテリが今日でもどんなに多いことだろうか。

すでに象牙の塔は崩壊しているのに、西洋帷子(からびら)を凝着せしめた無用の将が、哀れまさりゆく荒蕪の地で乱舞しているというべきか。

これぞ、つわものどもが夢のあと、ではないか。




第2章 マルクスどもが夢のあと 1.歴史的必然を信じた人々>に続く




 


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