産業のみならず生体物質としても有名ではあるが、
MASTERPLAN
Far From The End Of The World (2010)
中国とも毛沢東も、池上さんとも、まったく関係ありませんw
中国の音楽を探し求めて5千年(?!)なんか気が滅入ってきたもので(^^;
池上 彰著
『そうだったのか!中国』
2007年発行より
第4章
「大躍進政策」で国民が餓死した
農民が鉄鋼の
生産も始めた
毛沢東の「大躍進政策」では、農業と並んで、鉄鋼生産の拡大も重要な柱でした。
当時のソ連ではフルシチョフが「アメリカの経済力を15年で追い越す」と宣言していました。
これを意識した毛沢東は、当時、世界で経済力が2位だったイギリスを15年で追い越すという目標を立てました。
具体的には、鉄鋼生産高でイギリスに追いつくことでした。
中国の1957年の鉄鋼生産量は535万トン。
これを翌年には1070万トンと、倍増させる目標を立てました。
この倍増計画が実現したという報告が行われると、翌年には目標が2700万トンにまで引き上げられました。
しかし、鉄鋼の生産のために新たに製鉄所が建設されたわけではありませんでした。
「労働者・農民が主人公」の国としては、人民公社の敷地で建設することになったのです。
これは「裏庭煉鋼炉」(土法高炉)と呼ばれました。
耐火レンガにモルタルを塗っただけの、高さ4~5メートルの手製の鉄鋼炉でした。
毛沢東にしてみれば、鉄は裏庭の高炉で簡単に造れるのに、なぜ巨大な製鉄所を建設しなければならないのか、というわけです。
毛沢東は、欧米諸国がなぜ巨大な製鉄所を建設するのか理解できなかったといいます。
鉄鋼生産拡大のため、全国60万か所に土法高炉が建設され、農民一億人が動員されました。
しかし、「裏庭で簡単に造れる」レベルの鉄は、毛沢東の理解とは異なり、まったく役に立たないものばかりでした。
毛沢東が「裏庭で簡単に造れる」と主張しているので、共産党の幹部たちは、毛沢東が現地を視察する際は、製鉄所で製造された高品質の鉄を運び込んで見せたのです。
これを毛沢東はすっかり信じてしまいました。
<注意>
これは縄文時代などではなく、ほんの50年前のお話です。
土法高炉で鉄を生産する人々
鉄製品も木材も
失われた
製鉄所では、鉄鋼石を原料にして、何十ものプロセスを経て高品質の鉄を製造しますが、「裏庭の高炉」では、そんなことができません。
ただの「鉄の塊」ができるだけでした。
製造した鉄を何かに加工するのではなく、「製鉄」それ自体が目的になってしまいました。
農民たちが、手近にある鉄製品を溶かして鉄にするというものでしかなかったのです。
鉄鋼生産の材料にするため、農民の家庭から、鍋やフライパン、包丁などが供出させられました。
材料がなくなると、農作業用の鋤(すき)や鍬(くわ)、シャベルまでが高炉に投げ入れられたのです。
本来は高炉で鉄鋼を生産し、鋤や鍬を製造しなければならないのに、それを破壊してしまうという、本末転倒の事態となったのです。
しかも、できたものは、何の役にも立たない鉄の塊。
こうして農家から鉄製品が姿を消し、農作業用の道具も失われました。
高炉の火を燃やす材料には木材が使われたため、農民たちは周辺の森林から木材を切り出しました。
中国全土から急激に森林が失われることになったのです。
森林が減少することで、山崩れ・土砂崩れが起こりやすくなり、自然が荒廃。
農業生産は一段と低下したのです。
燃やすものがなくなると、農民たちは家庭のテーブルや椅子などの木製家具まで持ち出して燃やしました。
共産党の方針に逆らうわけにはいかず、熱心に取り組んでいる姿勢を示さなければ、共産党から批判されてしまうからです。
共産党から批判されるということは、生命の危険を伴うものだったからです。
結局のところ、農民たちが取り組んだ製鉄業とは、日常生活に欠かせない鉄製品を溶かして使えなくし、森林を消滅させ、家庭の家具も失わせるというものでした。
しかも問題なのは、農民たちが、この鉄鋼生産に駆り出され、肝心の農作業ができなくなっていたということです。
また灌漑工事も、農民たちの日常の農作業を犠牲にして取り組まれました。
こうして、肝心の農産物の生産が急減しました。
実った農産物は、その多くが収穫されないまま、田や畑で腐っていったのです。
働かなくても
食べられた
当時の人民公社では、共産主義の「必要に応じて働き、必要に応じて得られる」という理想を実現しようと、食糧の無料配給を実施しました。
具体的には、「公共食堂」を設置したのです。
農民たちは、各家庭で食事することが禁じられ、公共食堂で集団で食事をしました。
「食事は公共食堂で無料で食べられる」ということになったため、農民たちは、「タダで食べられるなら食べ放題に食べよう」ということになりました。
個々の農家で食事をしている頃に比べて、中国全土で食糧消費が増大しました。
その一方で、農地が自分のものでなくなったための労働意欲の低下ばかりでなく、働いても働かなくても同じという悪平等で、労働意欲は一層低下しました。
農作業の時間は減り、労働意欲は低下。
しかし食糧消費は増大。
それが何を意味するかは明らかでした。
そして飢えが
始まった
農民っちは、鉄鋼生産や灌漑施設の工事で忙しく、穀物の収穫をする時間がなく、農耕具を溶鉱炉で溶かしてしまったために穀物の刈り取りもできない。
せっかく実った穀物は田畑で腐ってしまう。
それでも何とか収穫された穀物は、すべて人民公の貯蔵庫に収蔵されました。
地方の役人たちは、業績を誇示し、忠誠心を示すために、収穫高はとてつもなく高い数字を報告していました。
このため、国家に納める穀物の量は、実際に収穫できた量を上回る場合もありました。
人民公社の貯蔵庫は空っぽになっていったのです。
1959年には、早くも飢饉が始まりました。
体力のない病人や老人が次々に死亡していくのです。
人々は、あらゆる野草を食べました。
樹木の皮をはぎ、木の葉もむしって食べます。
こんな食べ物は体に合うわけがなく、下痢をして死亡する人が相次ぎました。
「農民が飢えている」という情報が共産党の上部に上がると、
「穀物は豊作だという報告があったのに、飢えている人民がいるということは、穀物を隠している人物がいるに違いない」
ということになってしまい、「反穀物隠し」キャンペーンが行われました。
役人たちが農家を回り、住居から倉庫から、徹底的に調べました。
もし農家が穀物を少しでも保管しているのが見つかると、すべて取り上げられます。
抵抗した農民は、容赦なく暴力を振るわれました。
この暴力で死亡する農民も多かったのです。
★ 毛沢東の腹心は諌(いさ)めたが
★ 全土で餓死者が続出した
★ 毛沢東、一歩後退
★ 「毛沢東の大躍進政策」は輸出された
★ 「空想的社会主義」で多くの犠牲者が
へと続く。
(1705) 「大躍進政策」で国民が餓死した (1) 毛沢東の誇大妄想を追いかける北朝鮮
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-30 )
(1706) 「大躍進政策」で国民が餓死した (2) ほんの50年前の中国
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-31 )
有害物質を含んだ濃霧に包まれる北京の天壇公園
=2013年01月31日(共同)
有害濃霧で高速鉄道停止
中国、「閃光」発生か
2013.01.31
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/130131/chn13013123030008-n1.htm )
北京と広東省広州を結ぶ高速鉄道(中国版新幹線)が通る河南省信陽市の信陽東駅周辺で30日、有害物質を含んだ濃霧が原因の故障が発生し、高速鉄道が上下線とも運行を一時停止するトラブルがあった。国営中央テレビなどが31日伝えた。
乗客は列車の外で「閃光が発生した」などと証言。有害濃霧に含まれる帯電した微粒子が原因で電気系統が故障し、火花などで強い光が発生したもようだ。現場周辺では有害濃霧が原因とみられる光がたびたび目撃されているという。
北京-広州高速鉄道は昨年12月に全線開通したばかりで、列車が停止したトラブルは初めて。上下計14本の列車に最大約1時間の遅れが出た。
鉄道当局は故障について「濃霧の影響」と認め、同様のトラブルを防止するため、設備の点検を強化する方針を示した。(共同)
(参考)
たとえば「イソプレン」
(Wikipedia )より抜粋
構造式CH2=C(CH3)CH=CH2の、二重結合を2つ持つ炭化水素。
ジエンの一種。
IUPAC命名法では 2-メチル-1,3-ブタジエン (2-Methyl-1,3-butadiene) と表される。
分子量 68.12、融点 −145.95 ℃、沸点 34.067 ℃。
室温では揮発性の高い無色の液体で、ゴムもしくは都市ガス様の臭気を持つ。
可燃性・引火性に富み、特に霧状で大気中に存在すると爆発の危険がある。
CAS登録番号は [78-79-5]。
場合によっては環境や人体に多大な影響を及ぼす恐れがある。
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(1707) 「大躍進政策」で国民が餓死した (3)
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