池上 彰著
『そうだったのか!中国』
2007年発行より
第4章
「大躍進政策」で国民が餓死した
豊かな食生活を
楽しむまでになったが
発展する中国では、貧富の差が大きいとはいえ、都市部では多くの人が、豊かな食生活を楽しめるようになってきました。
2006年7月、中国各地を訪れた私(池上さん)は、どこでも貪欲なまでに食生活を楽しむ人々の迫力に圧倒されたものです。
ここには、過去の暗い影はありません。
しかし、この中国で、いまからわずか40年前、大多数の人々が飢餓線上にあったことを、誰が信じられるでしょうか。
中国の若者たちは、そうした自国の負の歴史を一切知らされていないのです。
この悲惨な事態は、毛沢東の誇大妄想を誰も止めることができないまま始まりました。
一気に「大躍進」を考えた
1958年、中国では「大躍進施策が始まりました。
毛沢東は、新生中国が誕生した直後、社会主義社会実現には長い期間がかかると考えていました。
しかし、自らの独裁的な支配が成立すると、今度は、一気に社会主義を実現できると考え始めます。
そこで打ち出した方針が、「大躍進政策」でえした。
遅れた中国を、「大躍進」によって一気に社会主義、共産主義にしてしまおうという発想だったのです。
そのために、農業の集団化と鉄鋼の生産拡大が進められました。
まず農業の集団化に関しては、1956年までに大多数の農家が高級合作社に編成されていましたが、これを「人民公社」に再編成したのです。
社会主義、共産主義は、私有財産を否定します。
この場合の私有財産とは、要するに資本家にとっての土地や工場のことなのですが、農民が持っている土地も私有財産とみなされました。
農地を個々の農民から取り上げ、社会全体の財産とすることが、社会主義への道だと考えられたのです。
人民公社の「公社」とは「コミューン」の中国語訳です。
「コミューン」とは、マルクス主義の考え方で、理想の社会主義社会のことです。
労働者・農民が主人公となって、すべてを自分たちが決めて共同で社会を建設していく仕組みとして考えられていました。
ただ、マルクス主義の思想ではありましたが、理想であって、具体的にどのようなものになるのか、はっきりしませんでした。
中国では、それを一気に実現させようとしたのです。
人民公社は、農業ばかりでなく、工業、商業、文化、教育、軍事を総合する共同体となり、これを来るべき共産主義社会の基盤とすることを毛沢東は考えました。
農民たちは、人民公社で農業をし、工業にも携わり、商売もし、文化を高め、教育も受け、兵士にもなる。
あらゆることを実行する万能な存在になることが目標でした。
それにより、農民と労働者の格差、肉体労働と頭脳労働の格差もなくしていけると考えました。
理想というよりは、夢想に近いものでした。
人民公社が誕生した
共産党は、1958年8月の政治局拡大会議で「人民公社設立についての決議」を採択し、合作社を合併して人民公社に再編成する方針を打ち出しました。
それからの三カ月で、全国74万の合作社は、2万6000の人民公社に改組されたのです。
これほど一気に実現できたのは、実態としてはそれまでの合作社が人民公社と名前を変えただけのものだったからです。
人民公社を建設するということは、農民が持っている農地を取り上げ、共同で農作業をすることを意味しました。
共産党は、国民党(中華民国)と戦って革命をめざしていた当時、土地を農民に分け与えることで農民の支持を得ました。
大地主が持っている土地で小作をさせられていた農民たちは、自分たちの土地を持つことができることを大歓迎。
共産党の支持が拡大しました。
共産党が勝利した大きな理由でした。
しかし、いったん政権を握ると、共産党は、その土地を再び取り上げることになったのです。
今度は国家が大地主となりました。
個々の農家が所有している農耕用の家畜も取り上げられ、人民公社の所有となりました。
自分の家畜が取り上げられることを知った農民たちは、思わぬ行動に出ました。
取り上げられる前に家畜を殺し、その肉を売ったのです。
家畜を取り上げられれば、それまでですが、肉を売れば、その分だけ自分の現金収入になったからです。
こうして農業集団化の過程で家畜は激減しました。
さたに集団農場になると、農民たちは、集団所有となった農耕用の家畜を死ぬほどこき使いました。
農民たちは、こんな歌を歌ったといいます。
「昔は、牛が死んだら泣いた。自分の牛だから。
今は、牛が死んだら喜ぶ。肉が食べられるから」
(ジャスパー・ベッカー著 川勝貴美訳『餓鬼』)
「彼らはもはy、仕事にたいする熱意はなく、田畑を大事にする思いもなう、家畜をかわいがる心もなかった。
なぜなら、自分の労働の成果はすべて、取り上げられてしまうからだ。
そのかわり農民は思うのだった。
共産主義になったのだから、欲しいものはなんでも国が与えてくれると」(同書)
これが日本の場合ですと、戦後のGHQによる土地改革で、戦前の大地主の土地は小作農に分配されました。
自分の土地を持つことができた農民たちの労働意欲は高まり、日本の農業生産は飛躍的に高まったのです。
戦前のような飢饉とは無縁の時代を迎えました。
ところが中国は、この路線をとりませんでした。
中国共産党は、農民に土地を分け与えて農民の支持を獲得し、政権をとってしまうと、今度は土地を取り上げました。
いわば農民を騙す形で政権を掌握したことになります。
毛沢東には個人的な理想(夢想)があったのですが、中国の農民たちにとっては、せっかく自分たちのものになった土地が、再び取り上げられただけだったのです。
農業集団化に反対した農民の中には、土地から逃げ出す者も出始めました。
これは農業の崩壊につながりかねません。
これを避けるため、毛沢東は、「国内旅券制度」を導入しました。
農民たちは、当局から「国内旅券」を発行してもらわなければ、国内旅行もできなくなったのです。
農民には農家としての戸籍が作られ、歳の戸籍を得ることは時事t上不可能になりました。
農民を土地に縛りつける仕組みが整備されたのです。
毛沢東、「地上の楽園」を約束
毛沢東が「百花斉放」と「反右派闘争」を通じて独裁的な地位を確立すると、毛沢東に対する個人崇拝も進むようになります。
「偉大な指導者」と呼ばれるようになるのです。
「偉大な指導者」は間違いを起こさないことになっていますから、毛沢東の指示は、必ず正しく、必ず守らなければならないことになります。
中国共産党は、毛沢東の個人崇拝を進めることで党の権威を高め、党の権力をより強固なものにしようとしたのですが、その個人崇拝によって、誰も毛沢東をたしなめることができなくなり、毛沢東の言うがままになっていくのです。
毛沢東は「大躍進政策」によって、中国国民に対し、「地上の楽園」の実現を約束しました。
共産党は、毛沢東の指示通りのことを実践すれば、食糧は豊富になり、欲しいものは何でも手に入る理想郷がやってくると宣伝しました。
この様子は、最近では中国に隣接する別の国のことを思い出させますね。
毛沢東がやったのと同じ事を、いまも実践し、国民が食糧不足に苦しんでいる国があるのです。
★ 「子どもが座れる稲」?
★ 共産主義理論を「進化論」にあてはめた
★ 荒唐無稽な農業改革が実行された
★ 虚偽の報告が行われた
へと続く。
大量の食べ残し改善指示
中国の習近平総書記
「浪費は恥ずべき思想」
2013.01.29
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/130129/chn13012914080005-n1.htm )
29日付の中国各紙によると、中国共産党の習近平総書記は、飲食店などで食べきれない量の料理を注文する「飲食における浪費」を改めるよう指示した。
国営通信、新華社の配信資料の中で指示した。
中国では接待や宴会で料理に食べ残しが出るのはもてなしと裕福さの象徴との考えが残っており、大量の残飯を出す悪習を改める狙い。
習氏は「中国にはまだ多くの貧困層がおり、人々は各種の浪費に心を痛めている」と強調。
「節約が栄えある行為で、浪費が恥ずべき思想であることを宣伝しなくてはならない」と訴えた。
指示に関連し、中国商務省と国家観光局は既に、レストランなどで顧客の浪費を戒め、健全な消費を促す運動を展開することを決めている。(共同)
飢餓地獄の北朝鮮で人肉食相次ぐ
親が子を釜ゆで
金正恩体制下で大量餓死発生
2013.01.27
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/130127/kor13012718010001-n1.htm )
北朝鮮南西部の穀倉地帯、黄海南北道で昨春来、数万人規模の餓死者が発生していたことが、北朝鮮の内部情勢を独自報道してきたアジアプレスの石丸次郎氏が率いる取材チームの調べで分かった。
金正恩第一書記デビューの舞台となった首都平壌建設や、北朝鮮人民軍の掌握のための食糧調達を、穀倉地帯から強制収奪した結果の飢餓発生だったもようだ。
目撃証言は一家自殺や人肉食など凄惨(せいさん)な内容で、石丸氏は飢餓の実態と背景について報告書にまとめ、今月中にも国連など国際機関に提出する。(久保田るり子)
麗しい首都平壌と
穀倉地帯の飢餓地獄
北朝鮮は昨年4月、金日成生誕100年祝賀行事と「祝砲」のミサイル発射で金正恩氏の新体制を内外に誇示した。
ミサイル発射には世界からの21社170人もの外国メディアを受け入れて指導者デビューを飾ろうとした。
ミサイルは失敗したものの、首都平壌は高層ビルの建設ラッシュ、その夜空は花火で彩られており「平壌は発展している」などと報じた外国メディアも少なくなかった。
しかし、石丸氏らの取材は、その平壌の繁栄が虚構であることを暴き、「人民の生活向上を重視」などと年頭に演説した金正恩体制の“正体”に迫ろうとしている。
石丸氏によると、取材チームが穀倉地帯の異変をキャッチしたのは昨年3月ごろ。
以来、中朝国境に出てきた黄海道の住人取材や、チームのメンバーであり石丸氏が養成してきた北朝鮮人記者による潜入取材などを敢行して証言を集めた。
『私の村がもっともひどかったのは昨年4月と5月でした。
飢えて全滅した一家もあれば絶望して全員が自殺した家もあった。
毎日5世帯、6世帯と死人が出た』(黄海南道、農村幹部)
『目を覆いたくなるような状況でした。
青丹郡というところでは住民の何割が死んだかわからないほど。
空腹でおかしくなった親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件があった』
(黄海道の農村に党の方針を伝達するため域内を回った党中堅幹部)
石丸氏が衝撃を受けたのは、取材した黄海道住民の全員から人肉食の証言が出たという凄惨な事態だという。
親子殺人や人肉の密売流通などで、多くは保安部(警察に相当)に通報され処罰されているため住民の間で公然化していたという。
権力による計画的な
食糧収奪と強奪
「国中が疲弊するなかで平壌と軍の安定だけは金正恩体制の至上課題だった。
黄海道から収奪されたのは、首都再開発事業に全国から動員された学生や青年同盟(金日成社会主義青年同盟)などを養う食糧と、平壌市民への配給用の『首都米』、軍部隊を維持するための軍糧米だ。
地方幹部や警察など権力側がチームを組んで農村から強奪していた。
一方、軍用は軍糧米の名目で、収奪は収穫前に田畑に入るケースや収穫後に持ち去るケース、さらになけなしの食糧を隠している住民も、家宅捜索までされて強奪された」(石丸氏)
約20年間、国境取材などで北朝鮮をウオッチし、約10年前から北朝鮮内部に記者を育成、潜入報道を行ってきた石丸氏は、黄海道が5、6年前から軍による収奪が行われていたことに注目していたという。
「しかし、昨年から始まった飢餓は明らかに金正恩氏デビューに伴う莫大(ばくだい)な浪費によるものだ。
新しい指導者が出たのに『軍に配給もない』では体制は保てないため穀倉地帯に負担を強制したのだ。
われわれが取材した証言には、銃を持った軍人が脱穀所から食糧をすべて奪取した目撃談や、上部からの命令でノルマを課され暴力的に奪取する以外に方法がなかったと語る地方の党幹部などの話が少なくない」(同)
取材チームは、入手した複数証言の分析から餓死者は数万人と推定した。
黄海南北道は中国国境に遠いこともあり、中国への脱出者が全土で最も少なく情報が外部に出にくいという。
北朝鮮の食糧事情は
好転している?
欧州連合(EU)は2012年秋に北朝鮮に調査団を派遣、食糧事情を調査した結果は「緊急支援は必要なし」とされ、今年のEUによる対北食糧支援は打ち切られている。
また国連の世界食糧計画(WFP)と食糧農業機関(FAO)が昨年11月に発表した報告書も2012-2013年の穀物生産予測は前年対比コメ11%増、トウモロコシ10%増で食糧事情は好転したとしている。
しかし、北朝鮮は政治的な理由から調査を捏造(ねつぞう)データでごまかすことが多い。
このため慎重なクロスチェックが求められる。
「作柄が好転すれば幸いだが、農村への収奪については国際機関が本格的に調査する必要がある」(石丸氏)
調査を続ける同取材チームのもとに現地からは、国際機関の報告とは全く逆の「今年の不作」の予測と生活の不安を訴える声がいまも相次いでいるという。
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(1705) 「大躍進政策」で国民が餓死した (1) 毛沢東の誇大妄想を追いかける北朝鮮
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