中森明菜
Desire (1986)
大好きな(笑)明菜ちゃんの“デザイアー”ですが、単なるBGMで入れてあるワケじゃありません。
(参考ニュース)
アイヌと琉球は縄文型
日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け
2012.11.01
(http://sankei.jp.msn.com/science/news/121101/scn12110108070000-n1.htm )
日本人の遺伝的な系統は、アイヌ(北海道)と琉球(沖縄県)が縄文人タイプで、本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられることが、東京大などのゲノム(全遺伝情報)解析で分かった。
約100年前に提唱された「アイヌ沖縄同系説」を裏付ける成果で、1日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。
日本人の成り立ちについてドイツ人医師のベルツは明治44年、身体的特徴の共通性からアイヌと琉球は同系統と指摘。
人類学者の埴原(はにはら)氏は平成3年に「二重構造説」を提唱し、本州などでは弥生時代以降に、中国や朝鮮半島からの渡来人と、先住民の縄文人が混血したが、アイヌや琉球は遠いため混血が少なく、縄文型の系統が残ったとした。
今回の結果はこれらの仮説を高い精度で裏付けるもので、日本人の起源を探る上で貴重な成果という。
仮説はこれまでもミトコンドリアDNAの分析結果などで支持されてきたが、はっきりしていなかった。
研究チームはアイヌ系36人、琉球系35人のゲノムを解析し、DNAの個人差を示す60万個の一塩基多型(SNP)を調べ、本州・四国・九州の計243人や韓国人などと比較した。
その結果、アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁で、本州などは韓国と琉球の中間と判明。
アイヌは個人差が大きく、北海道以北の別の民族との混血が起きたとみられることも分かった。
研究チームの斎藤成也総合研究大学院大教授(遺伝学)らは、縄文人の骨からDNAを採取して解析中で、斎藤教授は「分岐や混血の年代を推定して日本人の変遷を明らかにしたい」と話している。
GEPE
Regug (Tibetan Song) (2013.01.07)
うおっ!!と思ってくれたかなあ(^^;
まるっきり、明菜ちゃんの“デザイアー”の衣装と同じですけど
チベットの民族衣装です。
しかし、それよりも、余りにも日本的な曲とリズム・・・
ハプログループ
(Wikipedia )
単一の「一塩基多型」(SNP)変異を持った共通の祖先を持つような、よく似たハプロタイプの集団。
ある種(たとえばヒト)の一部(たとえば日本人)について、ハプログループを調べることで、その一部(たとえば日本人)の由来を調べることができる。
通常は、ミトコンドリア(女系)や、Y染色体(男系)を用いる。
この研究が発展して、人類がアフリカから各地へ移動していく経路も推定できるようになった。
Y染色体ハプログループを人類全体について調べることで、世界各地の民族の由来を調べることもできる。
Y染色体ハプログループ
(Wikipedia )
父系で遺伝するY染色体のハプログループ(=ハプロタイプの集団)のこと。
言語学上の「区分」に近いが、外見上の人種区分とは違うパターンが少なからずある。
Y染色体の系図
(http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_3adam_no_tabi_syouhonn.html )
A アフリカで多い
BT
B アフリカで多い
CT
D アンダマン諸島 チベット 日本で多い。
DE
E アフリカで多く、中東、ヨーロッパでも見られる。
C オーストラリアのアボリジニ、サモア、クック諸島、モンゴル、ツングースに多い。
CF
F
G カフカスで多く、ヨーロッパでも見られる。
H インド、特にドラヴィダ人に多い。
I 北欧、バルカン半島で多い。
IJ
J 中東、地中海沿岸、特にアラビア半島で多い。
K
L インド・パキスタンで見られる。
LT
T インド、中東、東アフリカ、ヨーロッパで低頻度ながら見られる。
MNOPS
M パプアニューギニアに多い。
N フィン人、サーミ人、ヤクート人などに多い。
NO
O 中国 朝鮮 日本 東南アジアで多い。
P
Q シベリア、ネイティブアメリカンに多い。
R インドおよびヨーロッパで多い。
S パプアニューギニアに多い。
(http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_3adam_no_tabi_syouhonn.html )
ハプログループD
(Wikipedia )
遺伝学で用いられる、人類のY染色体のハプログループ(型集団)の分類で、『YAP』と呼ばれる珍しい変異の型を持つもののうちの「M174」に定義されるもの。
『ハプログループD』は、東アジアに住むために、アラビアから南アジアの沿海岸を通って東南アジアへ、さらに東南アジアから北方への経路を進んで移住していったと想定されるが、現在のインド・中国(漢民族)や、その他の地域では、全くその痕跡が見当らない。
地球上で、『ハプログループD』が人口比に対して高頻度で見つかるのは、アンダマン諸島 チベット 日本 だけで、世界では、ほぼこの3か所でしか見つかっていない。
しかし、この3か所は、同じ『ハプログループD』に属していても、「サブグループ」が異なるため、分岐してから数万年を経ていることを示している。
また『ハプログループD』は、中国、朝鮮、東南アジアにおいて一般的な『ハプログループO』とは、さらに遠く隔たっている。
ピンのある所が『チベット』。
そこから右下に降りて、
ミャンマーの下に「ニコバル諸島」というのがあるのですが分かりますか。
そこが、『アンダマン諸島』。
出アフリカの“サイの角”というのは、左下のタンザニアの右上の「ソマリア」の右上。
起 源
『ハプログループD』は、今より約6万年前、アフリカにおいて『ハプログループDE』から分岐し、沿海ルートを通ってアジアへ向かったと考えられている。
今日、この『ハプログループD』は、アジアの極めて限られた地域でしか見つかっていない。
一方、同じく『ハプログループDE』から分かれた『ハプログループE』は、アフリカや中東、ヨーロッパなどで見つかっている。
特 徴
アンダマン諸島
アンダマン諸島のジャラワ族やオンゲ族において、『D』は56%と高頻度で見られる。
彼等は『D』のサブグループである『D1』『D2』『D3』に属さない、『D*』である。
外見的な特徴は、褐色の肌に、彫りの深い顔、くっきりとした二重瞼、厚い唇をしている。
日 本
日本列島で見られる『ハプログループD2』は、『ハプログループD』の中でも、『M55』など、少なくとも5つの一塩基多型の変異によって、チベットやアンダマン諸島等のグループと明確に区別される。
アイヌにおいては『D2』が88%と高頻度で見られる。
外見的には、白い肌に、彫りの深い顔、くっきりとした二重瞼、厚い唇、濃い髭、肩幅が比較的広く、胸板が厚く、比較的高身長で手足が長いのが特徴である。
日本(本土)の40.6%、すなわち約2人に1人は、ハプログループが『D2」』であり、これは古代の縄文人の末裔である。
アイヌほど彫りの深い顔、二重瞼、厚い唇、濃い髭などの特徴は顕著でないが、中国大陸や朝鮮半島の人に比べて、「二重瞼」の割合は多い。
沖縄本島では、56%がハプログループが『D2』に属している。
外見的な特徴は、黄白色の肌に、彫りの深い顔、くっきりとした二重瞼、腕などにも濃い体毛を有し、身長は低めである。
チベット人
チベットでは、『D1』が16%、『D3』が33%、とD系統だけで約半数の49%を占めている。
彫りの深い顔、二重瞼、厚い唇、濃い髭などの特徴は顕著でないが、中国大陸の人に比べて黄白色の肌で、「二重瞼」の割合は多い。
他の民族
タジキスタンや中央アジア南部の他の何ヶ所かで、『ハプログループD3』が総計1%ほどいる。
中央アジアのチュルク語派と、モンゴル語族の中に少数だけ見られる。
また、中国の少数民族であるミャオ・ヤオ語族と同様に、チベットビルマ語系の言語を話し、チベット人のすぐ近くに存在する、四川および雲南省のいくつかの少数民族の中に、低頻度で見られる。
朝鮮半島に、ほんの僅かに『ハプログループD2』が見られるが、日本から入った可能性が高い。
また、近年の研究では、タイ人の間で見つかったハプログループのうち、『D*』(恐らくハプログループDの別の単一系の分枝)が10%ほどはいると思われる。
『ハプログループC』と異なり、『ハプログループD』は、南北アメリカ大陸(ネイティブ・アメリカン)の中では全く見つけることが出来ない。
ハプログループD2
(Wikipedia )
遺伝学で用いられる、人類のY染色体ハプログループ(型集団)の分類のうち、『ハプログループD』の「サブグループ」の一つで、『M55』の子孫の系統である。
3万年ほど前に日本列島で誕生したと考えられ、現在日本人の3割ないし4割が、このハプログループに属している。
『ハプログループD2』は、日本列島でのみ見られ、日本で誕生してから少なくとも3万年は経過していると考えられる。
他の『ハプログループD』の「サブグループ」(ベンガル湾に面したアンダマン諸島のジャラワ族やオンゲ族に見られる『D*』、チベットの『D1』、『D3』とは、数万年の隔絶がある。
『ハプログループD』と近い『ハプログループE』は、アフリカにおいてよく見られる。
紀 源
アフリカ大陸のビクトリア湖の北東部を縦断する、アフリカ大地溝で、現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生した後、『Y染色体アダム』が生まれる。
やがて、サハラ砂漠以南へ移動したハプログループ『A』や『B』の系統と、他の系統、つまりサハラ砂漠以南へ移動しなかった、いわゆる『ユーラシアン・アダム』の子孫たちを含むグループとに、人類は分化していった。
後者の中から、一塩基多型の変異(いわゆるYAPと言われる痕跡)が、約6万年前頃にアフリカ大陸の北東部(現在のスーダンからエチオピア高原の辺り)において生じた。
これが『ハプログループD』と『ハプログループE』の親グループである、『ハプログループDE』である。
出アフリカ以降
やがて、『ハプログループDE』から、『ハプログループD』が別れ、アフリカの角と呼ばれる地域(ソマリア)から、ホモ・サピエンスとしては初めて紅海を渡ってアフリカを脱出する。
そして、アラビア半島の南端から海岸沿いに東北に進み、さらにインドの沿海部を通って、現在のベンガル州あたりに滞留。
そこから北部に向かった集団が、のちにチベット人となった『ハプログループD1』、および『ハプログループD3』である。
別の集団は、海洋をスンダランド(マレー半島、ボルネオ島などが陸続きとなった一塊)へ南下した。
この時、アンダマン諸島に取り残されたのが、のちのジャラワ族、オンゲ族(とも『「D*』すなわち『ハプログループD1~D3』に属さない)の祖であると思われる。
スンダランドを南下した集団は、東南アジアを海岸沿いに東北に進み、長江沿岸辺りから、台湾、沖縄を島づたいに北上するルートか、もしくは長江沿岸辺りから海流に乗って日本列島の九州西岸に上陸するルートを通って、約3万年前に、無人の日本列島に到達した。
日本到達以降
当時、無人の日本列島に到達した『ハプログループD系統』は、海洋資源に恵まれ、また地勢的に孤立した島であったため外敵に侵入されることなく繁殖して、日本列島の北部まで達した。
また一部は、当時無人であった朝鮮半島南部にも進出している。
今より2700~3000年頃前に、弥生人(ハプログループO、特にO2bとO3)が、東南アジアから長江下流域を通って日本列島にやってくるまでの、約2万7000年間の間に、日本列島において『ハプログループD』の中から、『ハプログループD2』が誕生したと考えられる。
彼らは縄文人として、褐色の肌、彫りの深い顔、濃い髭、二重まぶた、厚い唇、小柄な体格の特徴を持ち、主に浅瀬で漁をして生活をしていたと考えられる。
(1691) 日本は東アジアの一員じゃない (1) 世界の文明は8つ
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16-1 )
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(1692) 日本は東アジアの一員じゃない(2) Y染色体ハプログループD
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