(1577) 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-04-1 )
(抜粋)
「日本」は家族をもたない文明である。
『文明の衝突と世界秩序の再編』(邦訳『文明の衝突』)の著者サミュエル・ハンチントンは、1999年に発表した『21世紀における日本の選択』-世界政治の再編成-と題する論文(サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突と21世紀の日本』 鈴木主税訳、集英社新書、2000年、所収)において、文化と文明の観点から見た日本の特徴をこのように述べている。
ハンチントンが日本を「家族をもたない文明」と位置づけるのはこういうことである。
周知のようにハンチントンは、世界を8つの主要文明
① 西欧文明
② 東方正教会文明
③ 中華文明
④ 日本文明
⑤ イスラム文明
⑥ ヒンドゥー文明
⑦ ラテンアメリカ文明
⑧ アフリカ文明
からなると指摘する。
(以下略)
サミュエル・ハンチントン著
鈴木主税 訳
『文明の衝突と21世紀の日本』
2000.01.23 集英社新書
この本の中から、ところどころを抜粋させて頂きます。
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文明を定義する主要な文化的要素とは何か?
スパルタ人に向かって、彼らをペルシアに売りはしないと保証したとき、アテナイ人は次のように伝統的なやり方でそれを述べた。
たとえわれわれがそうしたいと思っても、大いに考えるべきことがたくさんあって、許されないからだ。
第一に、最も重要なのは、神々の像と、焼き払われて廃墟と化した神殿である。
そのような罪を犯した男と仲直りするなどもってのほかで、われわれは力のかぎり復讐しなければならない。
第二に、ギリシア人種は血も同じなら言語も同じである。
そして神々の神殿もいけにえの儀式も共通しており、生活習慣も似ている。
アテナイ人にとって、こうした人々を裏切るのはよくないことだろう。
血統、言語、生活様式はギリシア人種のあいだで共通しており、ペルシア人をはじめとする非ギリシア人種とはこれらの点で違っていた。
歴史的には少なくとも主要な文明が「12」存在し、そのうち「7つ」はもはや存在せず(メソポタミア、エジプト、クレタ、古代ギリシア・ローマ、ビザンティン、中央アメリカ、アンデス)、「5つ」が現存する(中国、日本、インド、イスラム、西欧)と述べた。
この5つの文明に、東方正教会文明と、ラテンアメリカ文明、それにあるいはアフリカ文明を加えると、いまの世界を考えるわれわれの目的にかなっている。
現代の主要な文明
そういうわけで、現代の主要文明は次のようになる。
中華文明
すべての学者が認めていることだが、さかのぼること少なくとも紀元前1500年に、そしておそらくはその1000年前から一つの明確な中国文明が存在していたか、あるいは二つの文明があって、西暦の最初の数世紀のあいだに片方がもう一方を継承したと考えられている。
『フォーリン・アフェアーズ』誌の論文で、私(サミュエル・ハンチントン)はこの文明を儒教文明と名付けた。
しかし、中華文明という言葉を使うほうがもっと正確ではある。
儒教は中国文明の重要な要素ではあるが、中国文明の要素は儒教だけにとどまらないし、政治的なまとまりとしての中国を超越している。
中華文明という言葉は大勢の学者によって使われてきたが、これは中国はもちろん、東南アジアなど中国以外の土地の中国人社会と共通の文化、されにはヴェトナムや朝鮮の関連する文化を適切に表現している。
日本文明
一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しでひとくくりにしている。
だが、ほとんどの学者はそうせずに、日本のそれを固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし400年の時期にあらわれたと見ている。
孤立国、日本
孤立国とは、他の社会と文化を共有しない国である。
(中略)
最も重要な孤立国は、日本である。
日本の独特な文化を共有する国はなく、他国に移民した日本人はその国で重要な意味をもつほどの人口に達することもなく、また移民先の国の文化にも同化してしまう(たとえば日系アメリカ人がそうだ)。
日本の孤立の度合いがさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教(キリスト教やイスラム教)やイデオロギー(自由主義や共産主義)をともなわないという事実からであり、そのような宗教やイデオロギーをもたないために、他の社会にそれを伝えて、その社会のひとびとと文化的な関係をきずくことができないのである。
文化および文明的観点から見た
孤立国家・日本の特徴
孤立する国家・日本
それでは、この新しい世界――多文明で現在のところ一極・多極だが、おそらく真の多極システムへと向かっている世界――において、日本はどのような役割を演じているのだろうか。
第一に、文化と文明の観点からすると、日本は孤立した国家である。
他のすべての主要な文明には、複数の国が含まれる。
日本が特異なのは、日本文明が日本という国と一致していることである。
日本には、他の国には存在する国外離散者(ディアスポラ)さえ存在しない。
ディアスポラとは、祖国を離れて移住しているが、もとの共同体の感覚をもちつづけ、祖国と文化的な接触を維持している人びとのことである。
世界各国にある中華街。中国では出国する人たちに、「中国の役に立つ活動をするように」という使命を与えるそうです。
あるいはまた、昨今のアメリカの各地で繰り広げられている韓国系アメリカ人による慰安婦の建造などなど。
韓国が現在、独立国家として存続しているのはアメリカのお陰なのですが、そのアメリカに、日本軍がやったと捏造する慰安婦の強制を訴える銅像を建てる。
しかも、アメリカの戦没者慰霊施設であるアーリントン墓地に、隣接している場所に建てたと、テキサス親父が怒ってましたね。
あるいはヨーロッパ各地で問題となっている移民や難民。その国に馴染むのではなく、そこに自分たちの区域を形成して、しかも自分たちの価値観を、その国に要求する。
それらは、あたかも“雑草”のようです。風に乗ってホウレン草畑に入り込んだ雑草のタネが、芽を出し、ホウレン草の肥料を食ってはびこり、やがてホウレン草を枯らしてしまう。自然界の法則ではありますが・・・
たとえば、多くの日本人がアメリカに移住してアメリカ社会に同化しているが、ハワイを除いて、日本を離れた移民はたいてい日本の文化的共同体の一員ではない。
国と文明の独自性の結果として、日本は他のどんな国とも文明的に密接な関係をもっていない。
たとえば、アメリカとイギリス、カナダ、オーストラリアの間にあるような、またスカンジナヴィアン諸国にあるような、あるいは欧州連合の中核諸国にあるような、そして東方正教会系の国々、ラテンアメリカ、アラブ諸国にさえ次第に強まりつつあるような文化的に密接なつながりが、ないのだ。
共通の文化を分けあっている国々は、高いレベルで信頼し合い、親交を深め、よりたやすく協力し合い、必要な場合には互いに支援を与え合う。
西欧化しない日本
第二に、日本が特徴的なのは、最初に近代化に成功した最も重要な非西欧の国家でありながら、西欧化しなかったという点である。
西欧化せずに近代化を成し遂げることは、1870年代以来の日本の発展の中心的なテーマだった。
その結果できあがった社会は、近代化の頂点に達しながら、基本的な価値観、生活様式、人間関係、行動規範において、まさに非西欧的なものを維持し、おそらくこれからも維持し続けると考えられる社会である。
アメリカと日本は、議論の余地はあるが、世界の主要な社会のうちでもっとも近代的である。
アメリカはまた日本にとって最良の友であり、唯一の同盟国である。
しかし、この二国の文化は、どちらも近代的だとはいえ、まったく異なっている。
二国の相違点は、個人主義と集団主義、平等主義と階級制、自由と権威、契約と血族関係、罪と恥、権利と義務、普遍主義と排他主義、競争と協調、異質性と同質性といったものの間の差異として数えあげられてきた。
こうした相違点は、いまは小さくなりつつあるかも知れないし、文化的な収斂のようなものが起こっているかもしれない。
しかし、差異はいまでも実際に存在する。
結果として、私(サミュエル・ハンチントン)の思うに、アメリカ人は、日本人の考え方と行動を理解するのにまだ困難を感じ、他のどの国の国民よりも日本人とのコミュニケーションをとるのが難しいと思っている。
そのために、アメリカと日本との関係は、アメリカがヨーロッパの同盟国との間で築いているような、打ち解けた、思いやりのある親しいものであったことはないし、これからもそういう関係が築けるとは考えにくい。
革命のない日本
第三に、日本の近代化にはもう一つ特徴的な点がある。
日本の近代化が革命的な大激動を経験せずに成し遂げられたことだ。
イギリス、アメリカ、フランス、ロシア、そして中国には革命があったし、ドイツでさえナチズムというかたちで、一種の革命があった。
しかし、日本には革命がなかった。
日本の近代化は、上から課された二つの主要な改革の時代――明治維新と、米軍による占領――の中で進められたのである。
社会を引き裂くような苦しみと、流血をともなう革命がなかったことで、日本は伝統的な文化の統一性を維持しながら、高度に近代的な社会を築いたのである。
第四に、他の国とのあいだに文化的なつながりがないことから、日本にとっては難題が生じ、また機会がもたらされている。
日本は、なんらかの危機に見舞われた場合、日本に文化的なアイデンティティを感じるという理由で、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない。
一方で、他の社会と文化的なつながりがないために、他のいかなる国に対しても文化的な共通性にもとづいて支援をする責任がなく、したがって、自国の独自の権益を思うがままに追及できる。
ほとんどの文明は、私(サミュエル・ハンチントン)が、『文明の衝突』で論じたように、家族のようなものだ。
それを構成する国々は、その中では互いに争っても、部外者に対しては団結する。
日本は、家族をもたない文明である。
つまり、日本は他の社会に家族的な義理をもっていないし、他の社会は、アメリカを含めて、日本に対して家族的な義務を負っていないのである。
ほら、大東亜戦争(日本国の正式名。「日中戦争」というのは後に誰かが勝手につけた名前ですw)の時、中国では「蒋介石の国民党の中華民国」で、「毛沢東の中国共産党」が革命を起こそうと、反政府暴動を起こしていました。
それがいざとなったら、そのいがみ合ってた政府と反政府が、共同して日本に向かって来たことでも、上記のハンチントン氏の言葉が理解できますね。
東アジアの命運
100年足らずの間に起こった三つの大きな戦争で戦ったあと、ドイツとフランスは協力的な関係を築き上げ、それによって西欧にリーダーシップと安定と豊かさがもたらされた。
中国と日本の間でこれと匹敵する関係を実現することは、ずっと難しいだろう。
文化の違いと相互不信は、ドイツとフランスのそれよりもはるかに大きい。
1930年代と1940年代におかした行為に対して、日本がどこまで、どのような謝罪をすべきかをめぐって、なおも論争が続いている事実が、そのことを端的に示している。
二国が完全に和解するには、中国側には寛容を、日本側には歩み寄りが、さらにはアメリカによる後押しが必要だろう。
東アジアの将来の平和と幸福は、日本と中国がともに生き、ともに進む道を見つけることにかかっているのである。
となると、東アジアの平和と幸福は、永久に来ないような気がしてくる・・・
(1692) 日本は東アジアの一員じゃない(2) Y染色体ハプログループD
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16-2 )
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(1691) 日本は東アジアの一員じゃない (1) 世界の文明は8つ
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