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(1533) 大東亜戦争の原因なんてモンゴル帝国なんてものまで遡らないと見えて来ない

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『正論』2012年7月号より
国想う者へ
「マッカーサー証言」と
戦後アカデミズムの退廃





上智大学名誉教授 渡辺 昇一
東京大学名誉教授 伊藤 隆
東京大学名誉教授 小堀桂一郎




日本人はアメリカが好きだった



渡辺  東條元首相は宣誓口述書で日本は常に受け身であったと言っています。


伊藤  そうですね。昭和16年10月末から11月1日(2日未明)にかけての大本営政府連絡会議で、実質的な開戦を決定したときの議事録、いわゆる「杉山メモ」を読むと、どうにも元気の出ない話し合いです。


「アメリカは東京を占領することができる。日本はワシントンを占領することはできない」などと軍指導部の連中が言ってるわけです。


それを分かっていて戦争をするわけですから、だんだん追いつめられて、最後には決断せざるを得なかったといことがよく分かりますよ。


渡辺  アメリカは日米交渉で妥協する気がなく、このまま交渉し続けても、連合国(イギリス・アメリカ・フランス・中国・ソ連)に経済封鎖されていた日本の石油は枯渇するだけだということが分かっていました。


日露戦争時のように、エネルギー原料が石油でなくて石炭だったら、いくらでも交渉していて良かったのです。ところが石油は日本では採掘できませんから、このままでは飛行機も飛ばない、軍艦も動かない、戦車も走らなくなる事態に陥るということが目に見えていたわけです。


伊藤  日露戦争後の日本とアメリカでは、日米両国が戦争するという架空戦記、戦争物語が大量に刊行されました。


渡辺  平田晋策の『日米もし戦はば』とか、『新戦艦高千穂』とか。


伊藤  懐かしい名前です。それらを紹介した猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』を読むと、日本でもアメリカでも、太平洋を挟んだ新興海洋国家同士、いつかは戦うことになるのではないかという予感を多くの人が抱いていたことが分かります。


小堀  その一方で、戦っても勝てないから、アメリカとは事を構えたくないという本音もあった。


日露戦争終結から3年後の1908年(明治41年。わお!!私の父が生まれた年ですw)、世界一周中のアメリカ海軍の艦隊が日本に寄港します。グレート・ホワイト・フリートです。


あぁらさまな砲艦外交であり、脅迫でした。spれでも日本側は、そんなことはおくびにも出さずに大歓迎の姿勢を通しました。


日本人は明治天皇のグラント将軍御引見の記憶もあり、元来が親米なのです。


ペリーはアメリカの太平洋侵略の尖兵だったにもかかわらず、明治34年には「開国の恩人」と称賛して浦賀に記念碑を建立しました。


アメリカ映画もジャズも好きで、アメリカを真に憎いと思っていた日本人はいなかったのです。


本当にアメリカが日本にとって脅威になり出したのは、1933年(昭和8年)にフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任してからでしょう。


日本人もしばらくは、極めて反日的だったルーズベルトの真の野心を見抜けませんでした。


渡辺  昭和8年の『少年倶楽部』のグラビアには、ルーズベルトが登場して、「なんと明るい顔でしょう」「これからの日米は仲良くなりますよ」というような文章が添えられていました。


満州事変(1931年)で国際的に孤立感を深めていた日本の期待の表れだったのでしょう。


伊藤  最近、山県有明と日米関係に関心を持っているんですが、山県はたいへんな米国重視論者でした。大正7年(1918年)に政党嫌いの山県が政党政治家の原敬を首相に指名したのも、その点で意見が一致していたことが主要な理由の一つでした。


それまで日本が外交の基軸にしていた日英同盟や日露協商がなうなっていくという流れのなかで、山県や原は、孤立主義だから同盟はできないだろうけれどもアメリカとは親善関係を深めていかなければならないと考えていたのです。


アメリカ人記者にも、日米親善は国是であり、日米間で解決できない関係はないと語っています。


小堀  その代わり満州の権益をアメリカに認めて欲しかったのでしょう。


山県は馬関戦争(=下関戦争=Wikipedia)で大変な白人恐怖症になり、ヨーロッパの白人国家同士の戦いである第一次世界大戦が収まったのち、彼らが結束して黄色人種へと向かってくることを恐れていました。


森鴎外から教えられた黄禍論Wikipedia)についての知識の影響もあります。


意外に思う人もいるかもしれませんが、対華21カ条要求(1915年)にも激しく反対しています。中華民国と日本の関係を分断して支配するのがヨーロッパの「Divide and Rule」戦略だから絶対に乗ってはいけない、シナとは事を構えず、恐らく白人国家では唯一頼れるアメリカと仲良くやっていかなくてはならないと考えていたのです。


伊藤  1922年(大正11年)には九カ国条約が結ばれてワシントン体制ができると、極東は一応安定したと言われました。


しかし、条約の目的は中国の保全であり、その中国を除くと、日本以外の締結国はすべて白人国家でした。


しかもロシア、ソ連は条約に参加しておらず、北伐を達成した中華民国は日本に対して「南満州の権益を返せ」とやってくる。


日本は条約に縛られていて何もできない。


日本はアメリカの圧迫に強い不安を抱きながら昭和の激動期に入っていくという流れでしょう。


ですから、第二次世界大戦にいたった国際関係は、だいたい日露戦争以降にまで遡ってみればよいと思います


   ( 私は16世紀のヨーロッパ・ルネッサンスまで遡りましたけど、
    モンゴル(13世紀初頭)やオスマントルコ・・・匈奴まで行くと紀元前まで遡っちゃうなあ・・・。

   いずれにしても、現代人誕生から20万年くらいの歴史の中の、
   ある一点だけをピックアップして、一粒の出来事なり人間なりを非難攻撃するなんざあ、
   そこらへんを飛んでるゴミを吹き飛ばしてるみたいなもんですな(^^;

   しかし、そのゴミを吹き飛ばしてる“ヤツ”を突きとめないと
   永遠にゴミを飛ばし続けますから、地球環境汚染になりますし(-_-)/~~~ピシー!ピシー!)








〖「占領利権者」を暴け〗
につづく








  
   
  


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