『正論』2012年7月号より
国想う者へ
「マッカーサー証言」と
戦後アカデミズムの退廃
上智大学名誉教授 渡辺 昇一
東京大学名誉教授 伊藤 隆
東京大学名誉教授 小堀桂一郎
いまだに東京裁判をやっている昭和史家
小堀 先ほど渡辺さんも触れられた、東京裁判史観を日本に固定させているんは、いったい何かという問題です。
結論から言えば、私はアカデミズムだと思います。
つまり、東京裁判史観が日本のアカデミズムを支配している。
私の身の回りにも私と同様の歴史観を身につけている若い研究者が何人かいますが、東京裁判史観を批判するような考えを述べると、先輩が
「君の言うことはよく分かる。自分も同感だ。しかし、それを学会で言ったりするなよ。そうしたら就職できなくなるぞ」
と注意するそうです。
これが非常に分かりやすいアカデミズムの支配ということなのです。
そういえば、世界的な問題でもありましたね、「地球温暖化」。国連の気象なんたらに数字を提供したイギリスの学者が、あれは数字を誇張していたと白状すると同時に、国連のその責任者が突然の辞任をした。
あれは一昨年だったかな。あの時、折から、ヨーロッパでは記録的な大雪でwww
その後から出てきましたね。アメリカの学会でも、地球温暖化を否定すると爪はじきにされて、研究費も削られてしまったりするから、否定できなかった、といった話が続々と。
しかし、温暖化というのは人々の頭の中にガッツリと刷り込まれてしまっていて、今夏も日本では記録的な暑さで、アメリカ大陸では異常な干ばつなど、温暖化だ、温暖化だと騒がれていますが、それが南半球に行くと、南アフリカでは、非常に珍しい雪が降った、といったニュースがあるのに、それはちっとも騒がれません。
異常気象ではあるけれども、地球全体からしたら、ちっとも「温暖化」ではなく、平均気温も取り立てて騒ぐほどではないみたいなんですけどね。
世の中、常に四方八方にアンテナを張り巡らして、1つのことだけを信じたりしないように気をつけましょうwww
渡辺 そのアカデミズムの支配はどうして起こったのか。
東京裁判の翻訳官だった横田喜三郎が東京大学法学部で国際法の教授になり、彼の説が権威となってしまいました。
憲法学の権威は、当初の押し付け憲法説から宗旨替えした宮澤俊義でした。
横田や宮澤の説を受け入れない限り、いかに優秀であっても大学の教師にも外交官にもなれない。
小堀 そうですね。私も横田喜三郎が東京裁判史観を権現化させた元凶であると考え、そのように書いておりました。
ある時、外務省の官僚から
「あなたの意見は本当にそのとおりだと思う。実は、自分も横田喜三郎教授の国際法の講義を受け、そしていま外務省の官吏として勤めている。その頃からおかしい、おかしいと思っていたけれど、今になってつくづく自分の受けた害毒を痛感しているが、どうにもならない」
という電話がかかってきました。
渡辺 小堀さんが真っ当なことを言い続けてこられたのは、独文科だからですよ。法学部で先生が横田喜三郎や宮澤俊義だったら、とても東京大学には残れなかったでしょう。
伊藤 私は彼らとも非常に関係があるのですが、弟子たちは自由ですよ(笑い)。
私に言わせれば、裁判の判決が歴史解釈となるような学問があること自体、おかしな話です。
東京裁判は戦争の勝者による一方的な裁きであり、ハンケルはいわば敗者への復讐のための理屈に過ぎません。
それを歴史解釈の「正解」としてしまうのは、学問的良心に照らしてあり得ないでしょう。
あの戦争が起きた理由を学問として追究するのであれば、
「なぜ日本は戦争をしたのか」
ということと同時に
「なぜアメリカは戦争をしたのか」
も考えなければならないはずです。
日本に戦犯がいるのであれば、アメリカにも戦犯がいるはずなのです。
小堀 長谷川三千子さんの論壇デビュー作は、昭和58年(1983年)の『中央公論』に掲載された「戦後世代にとっての大東亜戦争」です。
当時としては非常に新鮮で、かつ峻烈な内容でした。
「戦争から“敵”という事実を完全に無視して、片側の行為だけを描写すれば、これはただ気違いの行為としか見えない。あるいはただ残虐の一語に尽きる」
今、昭和史の研究の大家と言われている人が三人ほどおられますが、もっぱら日本の国内事情を研究して、戦争の原因を国内だけに求めています。
「アメリカこそ日本を戦争に駆り立てた張本人である」などと言おうものなら、「陰謀史観だ」の一言でもって排除しようとする。
こうした態度こそ、長谷川さんが断罪した行為そのものでしょう。
渡辺 いわゆる東京裁判史観というものの歪みの本質は、勝者が敗者を裁いた裁判の図式に則っていることにあります。
ご三方は、言ってみれば、いまだに東京裁判をやっているようなものです。
本当の史観は「東條・マッカーサー史観」なのです。
(145) 諸葛孔明に何を学びますか?
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2010-01-07-1)
東アジア共同体と大東亜新秩序
小堀 大東亜戦争の原因を研究しようとすれば、国際関係からみていく必要があります。
その点、東条元首相は非常に明快でした。要するに
「ペリー来航の事情から調べなければ、大東亜戦争の本当の原因は分からない」
ということを自信をもって断言した。
ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』は、日本がいかに国際社会の中で模範的に国際法を遵守して「約束を守る」ことに徹した外交をしてきたか、それに対してシナ人は、有り体に言ってしまえば「約束というものは破るためにあるものだ」という外交姿勢で日本に対していたと指摘しています。
それにもかかわらず、アメリカは親中反日の姿勢をとり続け、これが日本を追い詰めたのだと彼女は考えた。アメリカにも中国にも責任があるということです。
渡辺 彼女のいうアメリカの親中反日姿勢への反省が、マッカーサーの「アメリカ外交百年で最大の過ち」につながったのだと思います。
満州や朝鮮半島とあわせて東アジアの防共の砦となっていた日本を叩きつぶしたことで、共産主義の脅威を増大させてしまったわけですから。
小堀 満州事変(1931年)、さらにはシナ事変(1937年)を通じ、アメリカの左翼知識人は親中反日となり、影響力を持ち出した。
マッカーサーの指摘するアメリカの過ちというのは、主にこのあたりをさしているのでしょう。
伊藤 アメリカはある時期から蒋介石と対立をして中国共産党の援助に重点を置いてしまいます。
その辺の政策決定は、ロークリン・カリー大統領補佐官や国務省のアルジャー・ヒスらソ連のスパイや「、スティルウエルやジョージ・マーシャルら蒋介石政権の軍事担当でありながら中共シンパだった軍人らが影響しているのでしょう。
小堀 今回の明成社『最新日本史』では、1941年(昭和16年)11月にアメリカが日本に通告した“、最後通牒”、いわゆる「ハル・ノート」の作成に、アメリカの財務省に潜り込んでいたソ連のスパイ、ハリ―・ホワイトが関与していたことも脚注で紹介しました。
しかし、この注も
「誤解を与えるおそれがある」との理由で
白表紙本の段階で削除されました。
ソ連は1941年夏、侵攻してきたドイツ軍の攻勢に多大の危機感を覚えていました。
そのうえ満州の日本軍に攻め込まれたら国家が崩壊するという危機にあり、どうしても日本軍を南に向かわせてアメリカと戦わせる必要に迫られていました。
ホワイトの「ハル・ノート」作成への関与には、そうしたソ連の思わくが強く働いていたのです。
一方、日本国内にも、日本とアメリカを戦わせて社会主義の祖国ソ連を防衛しようとした赤色スパイがいました。
下朝日新聞記者で昭和16年10月に摘発され、死刑となった尾崎秀美がそうです。
ソ連の世界規模の戦略工作を考慮に入れないと、戦争の本当の原因は見えないのです。
伊藤 共産主義には、社会は封建制から資本主義、そして社会主義革命を経て共産主義へと移行するという発展段階説、史的唯物論のテーゼがあります。
昭和10年代前半の日本も、新体制や新秩序と称して社会主義国家を目指した。
さらに国家社会主義のドイツやイタリア、社会主義ないし共産主義のソ連と「日独伊ソ」の四カ国同盟でアメリカと対抗しようとします。
それで「日独伊」で三国同盟を結び、日ソ中立条約も結びます。
ところがヒットラーが日本を裏切り、独ソ不可侵条約を破って独ソ戦を始め、この構想は駄目となりました。
そうなると、アメリカはドイツに侵攻されたソ連に膨大な援助をしてソ連を助けました。
ソ連は大勢の工作員を使い、自らの利益になるようアメリカを操縦して「いました。
やはり、共産主義というものが第二次世界大戦に決して小さくない影響を与えていたことは疑いない。
そうした世界的な動きを見ていかなくてはならないと思います。
昭和20年春以降、近衛文麿をソ連に派遣し、対米和平の仲介を依頼するという計画が浮上していました。終戦で幻に終わりましたが、4月5日にソ連が日ソ中立条約の不延長を通知してきた中でも準備が進められました。
この計画に合わせて参謀本部幹部や関東軍参謀、海軍若手らが、いわゆる「革新官僚」らの協力でつくった国家再建策草案には、スターリンの仲介でアメリカと講和をした後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。
その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました。
ソ連、中国共産党のエージェント、シンパが軍指導部に潜り込み、日本の赤化を企画していたとしか思えません。
( ここでふと、
この工作は今現在も引き続いて行われているのではないのか?
という気分になってくる)
彼らは戦後に進歩的、革新と言われるようになりますが、戦前は新体制派で、「東亜新秩序」を叫んでいました。後にそれが大東亜共栄圏になるわけですが、アジアからアメリカを排除するという核心は現在の東アジア共同体構想にも通じます。非常に危険なことだと思いますね。
小堀 危険ですよ。
むしろ太平洋を隔てたアメリカこそ日本の真の隣人です。むろん、アメリカとは、その正体をよく知ったうえで付き合わなければなりませんが。
伊藤 当時、アメリカで活動したソ連の工作員と、モスクワとの間の暗号電文を傍受・解読した『ヴェノナ』文書が1995年に公開され、ソ連の工作がいかに当時のアメリカに浸透していたかが改名されつつあります。
日本もその研究をもっと進めるべきだと思います。
〖日本人はアメリカが好きだった〗
につづく
理想的だと思えた「EU連合」が、あちこちでホコロビ始めたこともあってか、あるいは鳩山“ルーピー”幸夫が尋常な人じゃないことが白日のもとに晒されたからなのか、「東アジア共同体」という言葉がすっかり聞こえなくなりました。
しかし、世の中にはまだまだその“絵に描いたユートピア”を信じ切っている人たちがいます。
この特集『国想う者へ』をここまで読んでいる間に、いくつもWikipeiaなどで検索したのですが、まあ、出て来ること出て来ること、時節柄、カラカラに干からびてピラ~としてる幽霊がw
河野一郎という人。相模の豪農の家のお坊ちゃんで、何不自由なく育ったはずなのに、なんで左向きだったのか。そしてその息子の河野洋平になると、それに輪をかけた左巻きで、いえ、左向きで、「ウソも百回言えば本当になる国」の人と、それを後押しする一種の工作員である『朝日新聞』の捏造を真に受けて、「慰安婦」なんてものを日本政府発表しちゃった。
その、政府官房長官発表の先駆けだった宮澤喜一発表。
私はずっと、あの中国の金魚を出す手品師みたいな顔立ちの所為なのか、宮澤喜一という人物を斜めに見ていたのですが、検索してみると、意外にも(!)マトモで、けっこう男気があった感じがするのです。
それじゃあ、その上の中曽根康弘・・・これは私がまだ右も左も分からなかった頃なのに、なぜかこの人が総理大臣になった時、「ああ、日本も終わったな」と、ふと、そう思った人物なので、こいつが悪いのか!!と思ったのですが、“風見鶏”というニックネームだっただけあって、なんだかサッパリ分からない人物。
今、あっちを向いていたかと思うと、もう、こっちを向いてるみたいで、アメリカに主ねって、現在問題になっている原子力発電所を日本に導入した張本人なのですが、次の瞬間は、もう中国に媚びていたりする。
まあ、良く言えば、世界中の国々と、とにかく仲良くやりたかったのかな?と。
中曽根さんあたりの後は、現在と同じく総理大臣がコロコロ変わるようになったので、ほとんど記憶に無い海部俊樹という人物。三木武夫の秘蔵っ子で、三木夫人が「俊樹ちゃん俊樹ちゃん」と、目に入れても痛くないほど可愛がっていたそうな。気色悪ぃ~www
その、この7月31日に95歳で亡くなっていた三木睦子。鳩山家のような超財閥ではないものの、森コンツェルンという一流財閥のお嬢様。それがなぜか左にハマって、特に北朝鮮が「俊樹ちゃん」くらい気に入っていて、日本も北朝鮮のようになれば薔薇色のパラダイスと信じ切っていたらしい。
三木武夫首相、睦子夫妻のお嬢様も、中村敦夫の緑の党だかなんだか、いかがわしい活動団体の一員だし、金持ちのやることは、ホントに分かりません(>_<)
鳩山家は分かるんです。おそらく曾祖父が北海道開拓に派遣された時点で、当時のロシアと手を組んでアイヌから搾取して財を成したのが始まりじゃないかと思えるんですよね。でなきゃ、岡山だかどっかの藩主の、江戸留守居役という役職だっただけで、日本でも指折りの財閥にはならないでしょう。特に事業家だった風もないし。
従って、鳩山一郎もソ連寄りだったし、その女房も共産主義タイプだし、財閥だから息子の威一郎はブリジストンの娘と結婚したりしているけれども、ゆきおちゃんはロシア巻きだし、その一人息子もロシアで働いてる。
しかし、そういった利害関係ではなく、大金持ちの息子や娘が、なぜか共産思想にかぶれるってのは、意外なほど多い。それも、三菱財閥のお嬢様だった澤田美喜さんのように、戦争孤児に生涯を捧げたような偉業を成し遂げるのではなく、ひたすら日本を貶しめたり、日本すら亡くそうと活動したりする人たちが、意外なほど多い。
なんでだろうね?苦労を知らないから、苦労してる人を見ると助けてあげたくなって、自分の財を投げ打って助けてあげるんじゃなく、苦労している人がいるなんて、国が悪い。この国をなんとかしなくちゃ!!というので、北朝鮮のようになれば、みんな幸せになれる・・・っていう発想というか、世間知らずというか、アホというか、私みたいな貧乏人には、到底理解できません。
前にもどこかに書きましたが、デッカイとちっこい違いはあっても、案外、アメリカと日本は“島国”という共通点があるような気がします。隣りの家とくっついていない分、の~んびりしているというか、自分本位というか。
地続きで、いつ、隣りの国(民族)が責めて来るか分からない、実際、何千年もそんな歴史の中で遺伝子が鍛え抜かれて生き残って来た民族なんてものは、平和ボケの島の人間には想像もつかない“タフさ”(腕力・知力・工作力)を持っているのだと思います。
その“タフさ”が、夢見がちの人たちにとっては神話のような魅力的な輝きに見えるのかも・・・
そう言えば、しばしば誤解されるアメリカの“おせっかい”。
あれは、1620年にイギリスから“神の約束の地”アメリカに渡った41名の、「メイフラワー契約」の署名が原点なのです。
「我々は丘の上の町とならなければならない。
あらゆる人の目が我々に注がれているのだから。
もし我々が神から与えられた特別な任務を遂行できなければ、
主は決して我々をお許しにはならないであろう」
メイフラワーから10年後の1630年に、マサチューセッツのボストンに上陸した1000人あまりのピューリタンを前に説教した、指導者ジョン・ウィンスロップの演説です。
自分たちが懸命に努力して豊かに幸せになったら、それをみんなに分けてあげなくてはいけない。困っている人がいたら助けてあげなくてはいけない。間違っている人たちがいたら教えてあげなくてはいけない。余計なおせっかい、大きなお世話w
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(1532) 64年も前に止まったまま動かない人たち
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