1982年(昭和57年)8月26日に、
『正論』2012年7月号より
国想う者へ
「マッカーサー証言」と
戦後アカデミズムの退廃
上智大学名誉教授 渡辺 昇一
東京大学名誉教授 伊藤 隆
東京大学名誉教授 小堀桂一郎
教科書調査官に「重し」をかけるのは誰だ
渡辺 非常に面白いお話ですね。
日本人の立場からマッカーサー証言の価値について考えてみたいと思います。
現在も世界中が「日本は侵略国であった」と思わされていますが、公然と日本が侵略国だと決めたのは東京裁判以外にはありません。
これは非常に重要な点です。個々の歴史家の言葉ではなく、「国際裁判で決めた」ということが大きいのです。
その国際裁判は、いま小堀さんがおっしゃったように、連合国(イギリス・アメリカ・フランス・中国・ソ連)から全権を委任されてマッカーサーがやらせたものです。
マッカーサーはそのさいに国際法に基づかないチャーター(極東国際軍事裁判条例)を使いました。
それゆえ東京裁判はマッカーサーそのものなのです。
そのマッカーサーが上院に呼び出された。
上院とはアメリカの各州から2人づつ選出された議員で構成されています。カリフォルニア州のような広大な州からも2人、ニューヨーク州のように重要な州からも2人、ノースダコタ州のような片田舎の州からも2人が選出され、どこの州にも属さないコロンビア特別区に集まって軍事や外交など全米のことを論ずるのが上院なのです。
そこで開かれる軍事外交合同委員会というのは最高の権威を持っています。
そのような場所でマッカーサーは、
「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security」
と証言した。
「therefore」が受けている内容は東條口述書の内容と同じであり、
「日本は侵略国ではなかった」
と断言したことになります。
これは決定的に重い。
だからこの証言をもってすれば、世界中に立ち向かえるのです。
なんとなれば、
東京裁判はマッカーサーそのものであり、
マッカーサーが取り消せば、
東京裁判そのものも取り消せるのです。
それを
取り消させないようにしている
日本国内の勢力とは何か、というのがこれからの問題です。
固有名詞を挙げるなら、外務省だと私は思います。
伊藤 私が編集責任者として携わった育鵬社の中学校の歴史教科書にも、実はこのマッカーサー証言をコラムとして取り入れていました。
結果的には教科書検定で削除されてしまいましたが。
実際に検定で文科省の教科書調査官とやり合った人間に聞いたのですが、なぜ掲載できないのか、その理由がはっきりと分かりません。
調査官は明らかなことは言わず、
「とにかくこれはダメ」
というばかりだったということですね。
渡辺 小堀さんたち「日本を守る国民会議」が、昭和61年(1986年)に高校用歴史教科書『新編日本史』(原書房)をお作りになったとき、検定に合格しているにもかかわらず中国の抗議を受けて修正させられるという事件がありました。
修正を命じた中心人物は外務省の人だったということを聞いています。
小堀 そうです。
渡辺 要するに、外務省にとって都合が悪い記述は削除される、と推定してもいと思います。
今回の場合も、明らかに宮澤喜一官房長官の「近隣諸国条項」が枷になっているでしょう。教科書調査官なんて下っ端ですから、これを持ち出されたら従う以外にない。調査官と議論してもなんの意味もありません。
小堀 『新編日本史』を受け継ぐ『最新日本史』(明成社)の最新版(平成24年春に検定合格)でも、当初はマッカーサー証言を脚注で掲載していました。
「連合国軍の最高司令官マッカーサーは戦後、米国の上院において、
『日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分は安全保障の必要に迫られてのことだった』
と証言した」
という文章です。
渡辺先生がおっしゃった証言の英語原文も記載しました。
編者側のコメントは一切つけずにただその事実だけを書いたのです。
ところが、やはり検定意見が付けられ、削除となりました。
「マッカーサーの証言について、誤解する恐れのある表現である」
という理由です。
昭和61年の『新編日本史』事件のとき、私も調査官と一対一の問答をやりました。検定意見をうかがって、それに対する反論をしました。
そのときの調査官は非常に真面目ないい学者なのです。
ところが、当時の文部大臣は海部俊樹さんで、その上に中曽根康弘首相がいて、中曽根さんは中国から圧力を受けていた。海部さんは中曽根さんの言うがままです。
その重しが調査官にものしかかっているかんじでしたね。背後に居るものの存在を「分かってくださいよ」という言い方で「この部分は削ってください」とされた箇所が多くあったのです。
伊藤 そう。「分かってください」なんです。
渡辺 『最新日本史』では、マッカーサーが証言したという事実とその文言を淡々と記しただけなのに、何をどう「誤解する恐れがある」のか理解できません。
これが、教科書執筆者の「意見」であれば、まだ話は分かります。しかし、これは「事実」の記述です。事実は否定できません。
学問的な客観性も正統性もない「重し」が今回も調査官にかかったに違いありません。
近隣諸国条項
(Wikipedia)
文部省(現在の文部科学省)による1981年度(昭和56年度)の教科用図書検定で、
「高等学校用の日本史教科書における〔中国・華北への“侵略”〕という表記が、
文部省の検定によって、〔中国・華北への“進出”〕という表記に書き直させられた
という、日本テレビ記者の取材をもとにした記者クラブ加盟各社の“誤報”が発端となり、
中華人民共和国・大韓民国などの国が抗議して、外交問題となった。
日本政府は、
『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図ったが、
その談話では、
その後の教科書検定(教科用図書検定)に際して、
文部省におかれている教科用図書検定調査審議会の会議を経て
検定基準(教科用図書検定基準)を改めるとされていた。
文部省内においては、
1982年(昭和57年)11月16日に教科用図書検定調査審議会から答申が出され、
1982年(昭和57年)11月24日に
文部大臣(現在の文部科学大臣)が、
規定を新しく追加する教科用図書検定基準の改正を行った。
「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話
昭和57年8月26日
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/miyazawa.html)
胸くそが悪くなったのでコピペしません。
気が向いた方はURLを広げて読んでみて下さい。
〖いまだに東京裁判をやっている昭和史家〗
につづく
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(1531) “重し”がのしかかっていて動けない(>_<)
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