『正論』2012年5月号より
一筆啓誅 NHK殿
皇學館大学非常勤講師
本間一誠
本間一誠
昭和二十年生。東京都出身。
皇學館大学文学部国文科卒。
国語教師として鹿児島県、千葉県、三重県の高校に勤務。
著書に『國語の真實』(春秋詩社)
感動した三月十一日放送の歌劇『古事記』
NHKは勿論多くの良い内容の番組も放送する。
さる知人はNHKに対して、偏向捏造番組の放送には断固抗議するが、良い番組、好きな番組もある、半額なら受信料をつてもいいがそれでは駄目かと茶目つ気も手伝つて試しに問い合わせ由。
それは困りますとの返事だつたので、以来不払ひに踏み切つて今に至るといふ。
話が逸れたが、今回は最初に、偶々見たその良い内容の番組についてどうしても触れておきたい。
東日本大震災一周年にあたる三月十一日の午前二時四十五分から、BSプレミアムにおいて、昨年十一月二十三日に東京文化会館開設五十年を記念して上演された黛 敏郎氏晩年の大作、歌劇「古事記」の公演録画を放送した。
これは素晴らしかつた。
一言で言へば、豊饒な日本神話の世界が皇統を通じてそのまま現代に繋がつてゐることの、めでたさを歌ひあげた、日本賛歌である。
NHKは近現代史を扱ふ時に特に偏向の弊が著しいが、とかく日本の歴史の影の部分のみを殊更、しかも不正確に強調したがる。
目下裁判中の事案(「JAPANデビュー第一回、アジアの“一等国”」をめぐる訴訟)が示す通り、果ては捏造までして自国を貶めたいNHKが、黛 敏郎氏の、このやうな作品を放送すること自体、私には極めて珍しいことのやうに思はれる。
これはNHKオンデマンドで他の番組を探してゐる時に偶然見つけ、それで見ることを得た。
さうでなければ、このやうな歌劇があることさへ知らなかつただらう。
BSでしかも放送時間は真夜中から未明にかけてだから、どの程度の人が視聴もしくは録画したのかは知らない。
普段オペラとはとんと縁のない私だが、この舞台からは非常に強い感銘を受けた。
過去と現在は同時に存在し、命は無窮に連続するといふこの歌劇の深いメッセージは、極めて根源的な部分において、東日本大震災の犠牲者への深甚なる追悼の鎮魂譜となつたのではないか。
舞台終了後、観客の拍手がいつまでも鳴り止まなかつたのが実に印象的だつた。
NHKはこの日を選んでこの作品を放送したのだらうか。
それとも、今年は「古事記」成立から千三百年といふので、たまたま番組編成上この日に当たつたといふだけのことなのだらうか。
また何故これ程の作品なのに、殆ど人が見ないやうなこんな真夜中の時間帯に放送したのだらう。
日本オペラ界の総力を結集したといふこの作品こそ、本来なら二月十一日の「建国記念の日」に総合かEテレで誰でも視聴できる形で放送すべきだつたのにと思ふ。
尤も、それが普通に出来るやうな健全なNHKであれば誰も文句は言はない訳だが。
解説によれば、この作品は黛氏がオーストリアのリンツ州立劇場から神話を素材にした歌劇の創作を委嘱され、ドイツ語の台本に基づいて作曲したとのことである。
舞台はエピローグ、観世銕之丞の鍛へ抜かれた荘重で力強い、音吐朗々たる語りによつて始まり、観客は現代から神話の世界に誘はれる。
かうして第一幕の天地初発の時とイザナギ、イザナミの二神による国土創成、イザナミの死とアマテラスの誕生から始まり、第四幕のニニギが稲穂を携へ、三種の神器とともに中つ国に下りる天孫降臨まで、歌手、コーラス、演奏、照明が渾然一体となり、平明にしてしかも重厚、日本神話の世界を現代に繋がるものとして演出し、緊張は途切れることなく一気に最後まで見せる。
『若い世代のために再放送すべし』に続く
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(1457) 一筆啓誅 NHK殿(1)感動した三月十一日放送の歌劇『古事記』
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