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(1429) 言葉と歴史を失った若者たち

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内容はもとより、この鼎談(ていだん:鼎の字の象形から、3人で話し合うこと)のメンツの肩書きからも、ある方面からの石原慎太郎に対する異常・異様な攻撃、東京都の条例に対する異常・異様な反対運動、産経新聞やフジテレビ、はてはスポンサーの花王にまで飛んだ異常・異様攻撃、などなどの構図が、透けて見えてきて面白いですw







『正論』 2012年5月号より
歴史捏造への反撃
「日本は自衛のために戦った」
マッカーサー証言を取り上げた
都立高校教材の衝撃




朝鮮戦争で、共産主義の脅威に直面したマッカーサーが、
米議会で述べた「日本自衛戦争論」が、
ついに、公教育の場に登場する。自虐史観一掃への、大きな一歩だ。



猪瀬直樹
・昭和21年(1946年)長野県生まれ
・作家
・『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞
・『日本国の研究』で文藝春秋読者賞受賞
・近著に『言葉の力』『決断する力』
・東京工業大学特任教授
・平成19年(2007年)から東京都副知事

八木秀次
・昭和37年(1962年)広島県生まれ
・専攻は憲法学、思想史
・著書に『明治憲法の思想』『日本国憲法とは何か』『国民の思想』など多数
・第2回正論新風賞受賞
・『日本教育再生機構』理事長

野田 数(かずさ)
・昭和48年(1973年)東京都出身
・早稲田大学教育学部卒業後、東京書籍に入社するが
歴史教科書のあり方に疑問を持ち、政治の道へ
・東村山市議会議員2期を経て、平成21年(2009年)から現職
・『北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会』会長代行
・『東京都防衛協会』青年部長
・『教育再生機構』運営委員





言葉と歴史を失った若者たち





八木秀次

今日は教育をテーマにした鼎談(ていだん)です。

副知事(猪瀬直樹)が最近、教育に関わる発言を度々なさっていて、話をうかがいたいと思っていました。





猪瀬直樹

いま、若い人たち言語力の低下非常に心配なんだ。

まずは「活字離れ」。

都庁の職員にアンケートをすると、二十代の職員は二人に一人は新聞を取っていないし、一か月に一冊の本も読んでいなかった。

三十代、四十代と年齢が上がるにつれて、新聞購読者も読書量も増えるけれど、今の二十代が歳をとっても活字を読むようになるとは思えない。

インターネットが普及して、さらに便利なスマートフォンも急速に広まっているから、新聞や本を読まなくてもニュースやある程度の情報はただで簡単に手に入る。

だけど、活字を読みながら物を考え、情報を取捨選択しながら判断するという習慣が身についていないから
、膨大な情報に溺れてしまって、デマ情報にもだまされる。

それから、コミュニケーション能力

これもネットやメールが影響しているんだろうけれど、今の若者の会話は、「サッカー好き?」「ん? ビミョー」なんて単語を並べるだけ。

来日したばかりの中国人のようなんだな。

都庁でも、プレゼンテーションやレクチャーで何を言っているのかわからない若い職員が増えてきた。

人間関係もメールを使うヨコのつながりに偏って、上司や先輩といったタテのつながりを築けない。

だから、どこかひ弱なんだよ。



経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査「PISA」の読解力テストで、日本の若者どんどん順位を下げていて、しかも白紙回答率が高い

論拠を示しながら考えを述べるという、グローバル化する世界で仕事をしていくうえで欠かせない能力を調べるテストなのに、どんどん悪化している



そこで、2010年(平成22年)、東京都では朴がプロジェクトリーダーになって、「『言葉の力』再生プロジェクト」を始めた。

職員向けに言語能力を高める研修をしたり、全国の大学生に参加を呼びかけて、「ビブリオバトル」という「書評合戦」の大会を開催したり。

ビブリオバトルは立命館大学理工学部の谷口忠大准教授の考案したゲームで、発表者がおすすめだと思った本の、あらすじと感想を5分間でプレゼンテーションをして、その本を読みたくなった観客が多い人が勝ち。

僕の若いころは、とにかく本を読み、仲間と議論したものだった。

そういう雰囲気をつくっていこうという狙いなんだ。



もう一つ、若者心配なのは歴史を知らないこと

『小倉百人一首』に、
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」
という歌がある。

清少納言の父、清原元輔(908~990)が詠んだ歌で、
「大津波でさえ越えることはない『末の松山』のように、
愛を誓った二人の心も変わらないはずなのに」
という意味。

「末の松山」は現在の宮城県多賀城市付近の地名で、記念碑も残っている。

つまり、貞観(じょうがん)11年(869年)に東北沖で起きた大地震の津波を、男女の恋心に織り込んだ歌で、地震の記憶が京都に伝わって、百年のうちに平安王朝文化にも刻まれたことを示している。





八木秀次

東日本大震災が起きるまで、貞観地震のことを知っている人は殆どいませんでした。





猪瀬直樹

何十年か前までは日本人の多くが知っていた『百人一首』も、今はほとんどやらない。

子供は家庭用ゲーム機に夢中だし、そもそも親が嗜まないから子供もしない。

地震のような災害から、四季折々の美しさまで、日本列島の記憶は、『百人一首』のような文化として千年以上伝え継がれてきたのに、それが絶滅しかけている。



明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏が、ホテルに『古事記』の現代語訳を配布して客室に置いてもらおうというプロジェクトを進めている。

今年(2012年)が『古事記』が成立して1300年という節目でもあるし、日本の神話を身近なものにするうえで非常によい試みだと思う。

『古事記』には、日本人の原型がいかなるものであったかが、物語として表現されているからね。



たとえば、「国産み」の二人には、死んだイザナミ追って黄泉の国に行ったイザナギが、腐乱死体となったイザナミの姿を見て恐怖にかられて逃げ出し、イザナミが追いかけるという、恐ろしい話がある。

しかし、それは腐乱死体から新しい作物が生まれ、やがては収穫の恵みをもたらしてくれるという、摂理を説いた物語なんだよね。

日本人は太古から、こうやって死と生の循環を感じることで、心の安定を得てきたことを教えてくれている。





野田 数

戦後、日本の伝統文化がすべて否定される風潮の中で、その『古事記』もタブー視された時期がありました。





猪瀬直樹

それで『古事記』もいつの間にか縁遠くなってしまった。

欧米にはキリスト教があって、イエス・キリストの生誕から何年、という数え方をして歴史を伝えている。

日本も昭和15年に、紀元2600年のお祝いをしたけれど、いまの若い人は、零戦は知っていても、「零」が、紀元2600年のゼロだということは知らないし、そもそも紀元すら知らない。

昔は何々の元号のとき、つまり誰々の御代にこんな事があったという歴史の覚え方をしたけれども、元号すら使われなくなった。

だから今の若い日本人には歴史も無い。





八木秀次

いまの高校では日本史を選択する生徒が少ないですから、本当に歴史を知りません。





猪瀬直樹

歴史が蒸発している

そして母国語を知らない

そんな若者しかいない国は滅ぶよ。

だから歴史にも、東京都は率先して取り組んでいこうと考えて、昨年、『江戸から東京へ』という、都独自の教材を作り、都立高校の全生徒、約14万人に配ったの。

東京の風景はどのように形成されてきたのか、その歴史くらいは知っておいてもらいたいから、江戸時代の1603年から約400年間の歴史を盛り込んだ。





八木秀次

どうのように使ったのでしょうか。






猪瀬直樹

なんの授業でもいい、この教材をとにかく使うようにと指示した。

歴史の授業に使った学校もあったし、都内での社会見学の資料に使った学校もあった。

とにかく一度は生徒が読むようにしたわけで、必修だよ。



さらに今春からは、すべての都立高校で、日本史を必修にした。

従来の日本史(A・B)と、『江戸から東京へ』の3教科の、いずれかの授業を、3年間で全生徒に必ず受けてもらう。







「歴史」と「真実」につづく









猪瀬直樹氏と私は同じ歳です(^^;

さあこれで、世に言われる、“GHQの占領政策による戦後教育で”、なんちゃって常識は、真っ赤なウソだと、私があちこちに書き散らしていることは事実だと、証明されましたwww

私が教育を受けた戦後の時代は、日本バリバリだったのです\(^o^)/

それが、かなり、おかしくなって来たのは、つまり、一般に浸透している“GHQうんぬん教育”なんてシロモノっぽくなってきたのは、ここ20年くらいの間であって、しかも、どんどん異常になって来ているのです。





私が学生の時代は、校庭の周りにあるデカイ木の下あたりに数人が円座を組んで、あの先生はどうだ、あの男の子はどうだ、誰とかさんはどうだなんていう、ごく普通のたわいないお喋りの中から、世の中というものを、なんとなく感じて行きました。


1980年代あたりから、そこいらじゅうの公園が整備され出しました。まるで写真にあるイギリスの庭園のように芝生が整えられたりした、ステキな公園です。


でもそこに、人影はほとんど見られませんでした。


それどころか、田舎に行っても子供の姿が見られなくなりました。ピアノだのなんだの、塾に通うのが普通になってきていたのです。


それでもまだ、手紙は、現役でした。


1990年代半ばに、若者の間ではポケベルが普及しました。数字のゴロ合わせで短文のメッセージが送れるので、神業としか思えないほど、数字ボタンを高速で押せる人たちが続出しましたw


でもまだコミュニケーションの主流は、お喋りや手紙でしたけれど、それでも公園に人影は見えないままでした。


1990年代半ば頃になると、ポケベルはPHSに変わり始めました。おーい!と呼べば聞こえる駅のホームの、あっちとこっちで、わざわざPHSを使って喋っているという、不思議で、どこか不気味な光景が、普通に見られるようになりました。


公園は、落ちてケガをするというので高い木は全て伐採され、ボール遊びなども危ないからと禁止され、変質者を避けるために周りから見え見えにしたために、陽射しがカンカン照りで、なおさら、誰も遊ばないようになりました。


Windows98が騒がれ出した頃になると、PHSはケータイに変わり始めました。高校生のカップルがデートしていても、お互いがお互いのケータイを、そっぽを向きながら操作している、なんて光景が普通になりました。


すでに若者には言葉が無く、従ってコミュニケーションもなく、手紙を書いたとしても、ちっこい便せんの1枚が埋まりません。


やがて、21世紀のコミュニケーションが始まりました。mixiに代表されるSNSです。


趣味:音楽鑑賞 R&Bとか 好きなアーティスト 〇〇


私は覚えが悪いので覚える気はない、アーティスト?!!の名前が並んでいます。私の時代、そんなものは“鑑賞”とは言わなかったwww


趣味:読書 流行りの小説家などが並ぶ。私の時代、そんなものは“趣味”とは言わなかった・・・


私の時代、音楽鑑賞が趣味といったら、モーツァルトだとかベートーヴェンだとかのクラシックに決まっていた。ポピュラー・ミュージックは鑑賞するものではなく、楽しむ音楽なのだが・・・


私の時代、読書が趣味とったら、世界文学全集とか、日本文学全集とか、100年後でも名作とされる文学を読むとか、あるいは伝統の、デカンショ、デカンショで半年暮らし、後の半年ゃ、寝て暮らす(デカルト・カント・ショーペンハウエル)とかwww。1年もしないうちに、次の人と交代する、回転ドアみたいな流行作家ねぇ・・・


漢字が忘れられているということで、一生のうちに1度だって使うことはないだろうという、4文字熟語などを覚えるのが大流行した。そんなものを覚えているヒマがあるなら、隣りの人と「こんちわ」くらい言えば?と思った(^^;


TVをつけると、もう10年くらい、バカを通り越して、ここまで来ると究極のグルメ番組。出演者だけが楽しんでいるドタバタ番組。ドラマといえば、日本には有り得ないピストルなんかが普通に出て来たりする、殺人ものばっかり。


大体、タレントなんていう意味不明のシロモノに、私の電気代を使いたくはない。それとか、はるか昔に何かがヒットした、らしい(私は全く知らない)一部の人たちだけに知名度がある過去俳優・過去女優・過去歌手なんてものも、見たくはないwww


しかし、今どきの若者たちには、それが普通であり、別になんとも思わずに生きているのですよね。


どこで、何が、狂ったのだろう。


そうしてしまったのは、誰だろう。


エレベーターが来るのを待ちながら、ベビーカーに片手はかけているものの自分の赤ちゃんには目もくれず、片手でケータイを操作しまくっている、折れそうなほど細くて高いハイヒールをはいた、普通の主婦を見ながら、絶望を感じるしかない私なのです。


そういえば先日、このド田舎には珍しいお洒落な女の子がバスに乗って来ました。「おっ!」と思ったものの、その女の子は座るが早く、ステキなスカートが椅子の肘に引っ掛かってめくれてパンツが見えそうなのも直さずに、スマホの画面を滑らせ始めたのには、おっ!の口がふさがらないままだった私ですwww






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