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(862) 【失ったものの大きさ】明治の進路定める選択肢

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【失ったものの大きさ】







麻生太郎 2009年5月28日 「印象に残ったことは?」












【正論】
年頭にあたり
宗教学者・山折哲雄
内省の時代、歴史に目を凝らせ
2011年1月3日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110106/plc11010614330062-n1.htm.



◆明治の進路定める選択肢



何ごとによらず、内向きの風潮だと嘆くのは、もうやめにした方がいい。

これからは内省の時代、と受けとればよいのである。

どこもかしこもウツの症候というのであれば、落ち着きなく散乱する視線を収めて、まずは歴史に目を凝らしてみることだ。



さしあたり、一世紀ほど以前の明治維新が抱えていた明暗、についてである。

私はかねて「維新」の段階では、国の進路を定める三つの選択肢があったはずだと思ってきた。

福沢諭吉内村鑑三柳田国男の思想を軸にする三つの進路である。

国の将来を占う三つの可能性、といってもいい。



結果は周知の通り、福沢諭吉に発する富国強兵殖産興業の路線で勝負がついた。

一万円札を手にするたびにお目にかかる肖像が、もうわれわれの脳裏に焼きついている。

その選択がベターだったのだろう。

日清、日露の戦いを危うくしのぐことができたのも、おそらくそのためだった。



しかし、今日の目から眺めれば、福沢の路線にも修復しがたいほころびが目立ちはじめていることも否定しがたい。

それに対して、内村鑑三と柳田国男の方に、意外と重要な可能性の種子がまかれていたことにハタと気づく。



◆複眼思考と強靱な二枚腰



当時、内村鑑三は、富国強兵と殖産興業にもとづく文明開化路線をまっこうから批判する論陣をはっていた。

西欧文明の受容を説くのは結構だが、その土台をなすキリスト教を無視するならば、そんなものは要らない。

精神原理を欠く軽薄な文明摂取につき進むだけで、本物の独立自尊を築きあげることなどできるものか、といったのである。



もう一つ、付け加えておきたいことがある。

かれは、日本のキリスト教は武士道の理想を実現するものでなければならないといっている。

キリスト教は「聖化された武士道」である、とまでいっているのである。

その複眼思考と強靱な精神的二枚腰の構えには、本当に驚かされる。



もっとも当時、このような内村の声に耳を傾ける人間はごく少数にかぎられていた。

が、そのときから数えて百年、今日の日本の現状をみるとき、かれの言葉が不思議なリアリティーをもって、われわれの胸元に迫ってくるではないか。

かつての可能性の一つが、いままばゆい後光を放って浮上しているのである。



柳田国男の場合はどうか。

かれは明治の末年、自立農民の育成を志して新進官僚の道を歩きはじめた。

地主と小作の旧弊を脱して、日本社会の改造をめざしたのだった。

だが、まもなく挫折。

以後は野に下って民間伝承の探索にすすみ、日本民俗学の新分野を開拓した。

伝統社会が蓄積した民衆の知恵に学ばずして、いったい何の社会改造ぞ、という意気込みだったと思う。

その柳田の考えも、明治百年のタイムスパンの中では大勢を占めるにはいたらなかった。

わずかに敗戦後の農地解放によって、その志の半ばが達せられたということではないだろうか。

そう考えるとき、戦後の柳田を中心とする民俗学の活動がじつに意気盛んであったことが納得される。



◆和魂漢才と和魂洋才



だが、その民俗学が今日、溶鉱炉の火が消えたように元気がない。

かれが生きていたころの、民俗社会の活気も勢いもみられない。

いろいろ原因は挙げられるだろうが、要は、農地解放が実現したとたん、日本列島が都市化の波に洗われ、民俗社会そのものが全面崩壊の淵に沈んでしまったということだ。

その上、減反政策に端を発する農業の衰退、荒廃が、さらにその勢いを加速させてしまった。

そして、もしもそうであるならば、食糧生産を確保する自立農業の立ち上げが問われはじめている今日、柳田国男によって構想された国づくりの路線があらためて見直される時代にきているともいえるのである。



もう一つ、かれが主張してやまなかった「固有信仰」の問題がある。

その分野の記念碑的な作品、『先祖の話』は、日本人の精神基盤に鋭い光をあてた貴重な仕事だった。

今日の「靖国」問題が行方の定まらぬ漂流をつづけている状況をかえりみるとき、そのようなかれの発想からも学ぶべきことはけっして少なくないのである。



昨年は、その柳田の手になる『遠野物語』が刊行されてから百年を迎える節目の年だった。

それを祝う数々の行事が各地で開催されたが、もう一つ忘れてならないのは、かれの『時代ト農政』が刊行されて百年という年でもあったことだ。

その中でかれは、二宮尊徳による報徳社の運動をとりあげ、中国において朱子が説いた「社倉」および西欧社会において発展した信用(産業)組合とを比較して論じていたのである。

そこにもまた、「和魂漢才」の複眼思考、「和魂洋才」の精神的二枚腰のバネが働いていたことを思わないわけにはいかないのである。(やまおり てつお)











 
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