SHINEDOWN ~ The Human Radio (2018.04.06 公開)
【三井美奈の国際情報ファイル】
中国への幻想崩れ…
フランスでやっと台頭した習政権警戒論
2018.04.06
(www.sankei.com/premium/news/180406/prm1804060006-n1.html )
今年1月9日、北京で訪中したマクロン仏大統領と
握手する習近平国家主席(AP)
フランスの新聞でアジア政治が取り上げられることはまれだが、今回は違った。
中国の習近平政権が憲法改正で国家主席の任期制限を撤廃し、「独裁」に歩み出したことに各メディアは強く反応した。
「改革開放は民主化につながる」という「幻想」が打ち砕かれた衝撃は大きかった。
米より早く国交樹立
フランスは長く米国に対抗する「独自外交」を志向したせいか、中国には好意的だった。
国交樹立は1964年で、米国より15年も早い。
周恩来、鄧小平ら共産党指導者が若いころ、フランスに留学した縁もあるだろう。
2年前、中国企業がドイツのロボット大手クーカを買収し、技術移転への警戒が広がった時も反応は比較的鈍かった。
だが、今回の憲法改正で、空気は変わった。
2月末、中国共産党が憲法改正案を発表すると、仏紙ルモンドはただちに「習皇帝の即位」という表題の社説を掲載。
習氏は「あくなき個人権力の追求者」に成り下がったとこきおろした。
月刊誌キャピタル(電子版)も「習氏は政治自由化への期待を完全に裏切った」と断じ、権力の一極集中を進め、民主主義に逆行する習政権を批判した。
ことさら厳しい批判は、習政権への失望の大きさを物語る。
欧州がトランプ米政権発足に戦々恐々としていた昨年1月、習氏が世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で行った演説は強い希望を抱かせた。
習氏は「反グローバル化」や保護主義を批判し、「米国第一」を牽制した。
この時、ルモンド紙は習氏を「自由貿易の旗手」と手放しでたたえた。
「ロシアとは違う」?
欧州は歴史的経験から、中国は「いつか手を組める相手になる」と期待していた。
米欧への対抗心を向きだしにするロシアとは違うと見ていた。
「誤算」は、東西冷戦崩壊後の経験に由来する。
欧州連合(EU)は旧ソ連圏の中・東欧を加盟国として迎え入れ、自由経済圏に組み込むことで安定化と民主化に成功した。
ロシアではソ連消滅後の経済混乱でオリガルヒ(新興寡占資本家)が台頭し、プーチン大統領が「大国復活」を掲げて強権を握ったが、中国は天安門事件後、改革開放を突っ走り、集団指導体制を敷いた。
外交でも、米欧に対抗意識をあらわにするロシアとは異なり、台湾やチベットなど特定問題以外は融和路線をとった。
中国は世界貿易機関(WTO)に加盟し、世界第2の経済大国になった。
欧州は、中産階級が増えれば必然的に民主化圧力に抗えなくなると期待した。
英仏独は人権問題に踏み込まず、「北京詣で」を競った。
苦い経験を踏まえ、20日付け仏紙フィガロは中国への強い警戒感を打ち出した。
「中国は最初、西欧の援助が必要な途上国だという顔をした。
次に、WTOルールを守る友好的な貿易大国の顔を見せた。
西欧がそれを信じている間、ものすごい勢いで先端技術を横領した。
習政権が示す次の顔。
それは欧州に『一帯一路』で貿易覇権を広げ、徐々に植民地化することだ」。
独裁に進む中露両国が連携を強めないよう、欧州はロシアとの関係改善を急ぐべきだと踏み込んだ。
ナポレオンより絶対君主
フランス戦略研究財団で東アジアを専門とするアントワーヌ・ボンダズ研究員は
「フランスの中国への姿勢は変わった。
今は強い警戒感がある。
独裁体質は内部に不満分子を生むから、中国の安定がこのまま続く保証もない」
と話す。
中仏関係で思い出すのは4年前、国交50年の記念行事が盛り上がった時だ。
フランスのルーブル美術館やベルサイユ宮殿所蔵の絵画が北京で展示された。
企画に際して中国が「ぜひこれを」と選んだ一枚は、ルイ14世の肖像画だった。
革命の風雲児ナポレオンではなく、絶対君主を選んだことに
「共産党政権なのに王様好きなのか」
と取材先の関係者と談笑した。
肖像画に描かれていたのは、63歳の太陽王。
現在64歳の習氏は、北京でこの絵を見ながら将来の自分を重ねたのか。
フランスはこの時、彼の野心に気づくべきだったのかもしれない。(パリ支局長)
中国共産党政権とフランス
フランスのドゴール政権は独自外交を掲げて1964年、対中国交を樹立した。
しかし、ミッテラン政権は天安門事件への対応を批判し、台湾に武器供与を決め、対中関係が悪化。
2008年にはサルコジ仏大統領がチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世と会談するなど曲折をたどったが、近年は原発建設などで両国関係は深まった。
中国の最高指導者となった鄧小平氏は1920年、16歳で勤労学生としてフランスに滞在し、中国共産党の欧州支部結成に参加。
第一副首相だった75年にフランスを訪問し、共産党指導者として初めて西側を訪問した。
中国への幻想崩れ…
フランスでやっと台頭した習政権警戒論
2018.04.06
(www.sankei.com/premium/news/180406/prm1804060006-n1.html )
今年1月9日、北京で訪中したマクロン仏大統領と
握手する習近平国家主席(AP)
フランスの新聞でアジア政治が取り上げられることはまれだが、今回は違った。
中国の習近平政権が憲法改正で国家主席の任期制限を撤廃し、「独裁」に歩み出したことに各メディアは強く反応した。
「改革開放は民主化につながる」という「幻想」が打ち砕かれた衝撃は大きかった。
米より早く国交樹立
フランスは長く米国に対抗する「独自外交」を志向したせいか、中国には好意的だった。
国交樹立は1964年で、米国より15年も早い。
周恩来、鄧小平ら共産党指導者が若いころ、フランスに留学した縁もあるだろう。
2年前、中国企業がドイツのロボット大手クーカを買収し、技術移転への警戒が広がった時も反応は比較的鈍かった。
だが、今回の憲法改正で、空気は変わった。
2月末、中国共産党が憲法改正案を発表すると、仏紙ルモンドはただちに「習皇帝の即位」という表題の社説を掲載。
習氏は「あくなき個人権力の追求者」に成り下がったとこきおろした。
月刊誌キャピタル(電子版)も「習氏は政治自由化への期待を完全に裏切った」と断じ、権力の一極集中を進め、民主主義に逆行する習政権を批判した。
ことさら厳しい批判は、習政権への失望の大きさを物語る。
欧州がトランプ米政権発足に戦々恐々としていた昨年1月、習氏が世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で行った演説は強い希望を抱かせた。
習氏は「反グローバル化」や保護主義を批判し、「米国第一」を牽制した。
この時、ルモンド紙は習氏を「自由貿易の旗手」と手放しでたたえた。
「ロシアとは違う」?
欧州は歴史的経験から、中国は「いつか手を組める相手になる」と期待していた。
米欧への対抗心を向きだしにするロシアとは違うと見ていた。
「誤算」は、東西冷戦崩壊後の経験に由来する。
欧州連合(EU)は旧ソ連圏の中・東欧を加盟国として迎え入れ、自由経済圏に組み込むことで安定化と民主化に成功した。
ロシアではソ連消滅後の経済混乱でオリガルヒ(新興寡占資本家)が台頭し、プーチン大統領が「大国復活」を掲げて強権を握ったが、中国は天安門事件後、改革開放を突っ走り、集団指導体制を敷いた。
外交でも、米欧に対抗意識をあらわにするロシアとは異なり、台湾やチベットなど特定問題以外は融和路線をとった。
中国は世界貿易機関(WTO)に加盟し、世界第2の経済大国になった。
欧州は、中産階級が増えれば必然的に民主化圧力に抗えなくなると期待した。
英仏独は人権問題に踏み込まず、「北京詣で」を競った。
苦い経験を踏まえ、20日付け仏紙フィガロは中国への強い警戒感を打ち出した。
「中国は最初、西欧の援助が必要な途上国だという顔をした。
次に、WTOルールを守る友好的な貿易大国の顔を見せた。
西欧がそれを信じている間、ものすごい勢いで先端技術を横領した。
習政権が示す次の顔。
それは欧州に『一帯一路』で貿易覇権を広げ、徐々に植民地化することだ」。
独裁に進む中露両国が連携を強めないよう、欧州はロシアとの関係改善を急ぐべきだと踏み込んだ。
ナポレオンより絶対君主
フランス戦略研究財団で東アジアを専門とするアントワーヌ・ボンダズ研究員は
「フランスの中国への姿勢は変わった。
今は強い警戒感がある。
独裁体質は内部に不満分子を生むから、中国の安定がこのまま続く保証もない」
と話す。
中仏関係で思い出すのは4年前、国交50年の記念行事が盛り上がった時だ。
フランスのルーブル美術館やベルサイユ宮殿所蔵の絵画が北京で展示された。
企画に際して中国が「ぜひこれを」と選んだ一枚は、ルイ14世の肖像画だった。
革命の風雲児ナポレオンではなく、絶対君主を選んだことに
「共産党政権なのに王様好きなのか」
と取材先の関係者と談笑した。
肖像画に描かれていたのは、63歳の太陽王。
現在64歳の習氏は、北京でこの絵を見ながら将来の自分を重ねたのか。
フランスはこの時、彼の野心に気づくべきだったのかもしれない。(パリ支局長)
中国共産党政権とフランス
フランスのドゴール政権は独自外交を掲げて1964年、対中国交を樹立した。
しかし、ミッテラン政権は天安門事件への対応を批判し、台湾に武器供与を決め、対中関係が悪化。
2008年にはサルコジ仏大統領がチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世と会談するなど曲折をたどったが、近年は原発建設などで両国関係は深まった。
中国の最高指導者となった鄧小平氏は1920年、16歳で勤労学生としてフランスに滞在し、中国共産党の欧州支部結成に参加。
第一副首相だった75年にフランスを訪問し、共産党指導者として初めて西側を訪問した。
なにを今さら感、280%!!(数字に意味はないw)
ですが、中国や朝鮮半島とは海をはさんで直ぐ隣りの日本でさえ、中国や朝鮮半島をお花畑の夢の国と捉えていた人たちが昔から数多、いたわけでして、遠く離れたヨーロッパが、自分勝手に想像してたって不思議じゃない。
私が中国を想像していたのは、日本にTVが普及しはじめた60年ちょっと前に、何度も放映された中国人の手品師。「中国人、だますあるよ」とか言って金魚を次々と出す。
小学校4、5年生くらいの時ですからね、マトモに信じて、「中国人ってだますんだあ・・・」www
朝鮮半島からは「ボロ買い」が、しょっちゅう回って来てました。当時のボロは本当にボロで、ツギのあたった服を着てるのも普通でしたから、そのまたボロですw
私が時々、「人権だの絹だのナイロンだの」と揶揄している「人権(人絹)」という、レーヨンの初期の化学繊維ですから、ペラペラでヨレヨレで直ぐに皺くしゃになるけど、安いから飛ぶように売れた着物の、ボロとかね。
あとは鉄くずのクズとか、そんなのを買って行く。朝鮮半島ってのは、よくよく貧しいところなんだなあ・・・と、子供心に思いました。本国が豊かなら、わざわざ戦後の貧しかった日本に来て、ボロやクズを買わなくたっていいでしょ?
なので、それからまもない時代に、北朝鮮は花咲く楽園というプロパガンダに乗せられて海を渡った人たちだとか、中国やロシアの共産主義に憧れた人たちがいたというのが、どーしても理解できない。
よっぽどの情報弱者、あるいは、深層のお育ちで世間を知らないとかね、そんな人たちでしょうか、大江健三郎とかwww
と、笑っていられない、『新しい 神の国』の著者である筑波大大学院の古田博司教授も、ロシア語を取得し、中国語を習得し、朝鮮語を習得して、憧れのソ連に行ったら、夢の楽園であるはずの国の八百屋には、瓜しかなくて、街角のあちこちに「ベビーシッター求む」だのなんだの張り紙があるのが、全部、読めてしまう。
外国語を習得するということは、そういうことなのだと、悲しいほどの絶望だったそうです。
しかし、外国から書物を取り寄せて読むだけで、自分で勝手に想像・妄想をたくましくしたままだった人たちもいたわけで、日本では新幹線が登場した時代に、田んぼのスズメを追い払うのに、毛沢東の命令で、国中をあげてカネやタイコを叩き続けた(そうすればスズメが降りてこれなくて死ぬw)なんて中国を、手放しで絶賛していた。
ちなみにスズメの害は減ったものの、害虫が繁殖したそうです。(^_-)-☆
そんな中国から、まだ50年くらいしか経ってないですからね、追って知るべしレベルです。
ましてや、世界有数の多民族国家というのでも分かように、太古の昔から、様々な民族が入り乱れて覇権を争っていましたから、今日の王様は、昨日の王様とは民族が違うなんてのがザラで、いきおい、庶民は王様なんて信じない。一族身内だけが頼りの「宗族」という独特の中華文明が生まれて、いまなお続いている。
そして、同じ中華文明圏の朝鮮半島。朴槿恵・前大統領が懲役24年の判決というのでも分かるように、新たに覇権を獲った者は、仕返しをされないように、邪魔者は一族郎党まで抹殺し、先祖の墓までダイナマイトで吹き飛ばし、子孫にも墓をつくらせないとかね、凄まじいです。
「中華文明」とか「独裁」って、そういうことなのよw
で、中国が豊かになったなんて寝言が聞こえたりしますけど、今現在は「中国共産党の幹部一味・だけ」が潤ってるだけです。企業なんかも、すべて「国営=中国共産党・経営」ですからね。
なので、中国13億人、一説に17億人とも20億人とも言われますが、その中の、いわゆる「富裕層」というのは「0.025%」くらいの30万人程度。しかも世界長者番付に入るくらいの金持ちです。
そして、あとの「99・075%」は、極端に貧しいままです。
ちなみに日本ではそのくらいの富裕層が「1118万人」くらいですが、上限も下限もさほどではないので、世界的にみたら、「格差」がほとんどない国です。