STONE SOUR ~ St. Marie (2018.04.06 公開)
【阿比留瑠比の極言御免】
リベラルが作る息苦しい社会
2018.04.05
(www.sankei.com/premium/news/180405/prm1804050008-n1.html )
3月27日付当欄で「臆測でお白州に引き出すのか」と題し、臆測や推測レベルの話で執拗(しつよう)に安倍晋三首相の昭恵夫人の証人喚問を求める野党のやり口は、もはや「人権侵害の域」ではないかと書いた。
すると、産経新聞読者サービス室に、千葉市の男性から次のようなメールが届いた。
「昭恵さんの証人喚問が実現すれば日本の社会に大混乱をもたらすだろう。
知らぬ間に隣人や知人に犯罪容疑者にされる恐怖が社会全体に疑心暗鬼を生むからです」
また、千葉県浦安市の男性からは、同室にこんな電話があった。
「臆測で『裁判』にかけられるようになったら自由に意見も言えなくなる。
何とかまっとうな世の中になってほしい」
日本社会の現状に深い閉塞(へいそく)感を覚え、今後の日本のあり方についても憂慮しているのが伝わってくる。
現代の魔女狩りに、おぞけをふるう人は少なくない。
一方、立憲民主党など野党6党は4日、国対委員長会談を開き、引き続き昭恵夫人らの証人喚問を求めていくことを確認した。
野党も多くのメディアも、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則「推定無罪」などそっちのけで、「推定有罪」を決め込んでいるかのようにみえる。
野党も多数派メディアもこれまで、安倍首相の政治手法を「強権的」だの「独裁的」だの「立憲主義に反する」などと批判してきた。
彼らはまた、日頃は人権重視をうたい、弱者や被害者を尊重する姿勢を強調し、売りにしてきた。
ところが、自分たちが攻撃する側に回ると一変し、相手の人権も立場も諸事情もおかまいなしに、大罪人であるかのように石を投げつけるのである。
実際、安倍首相が慰めているものの、昭恵夫人はかなり落ち込んでいると聞く。
首相官邸の目の前には、もうずっと首相の似顔絵とともに「売国奴」と書かれた横断幕が掲げられているが、こんな嫌がらせをして何がうれしいのか。
安倍首相は周囲に「左翼は人権侵害が平気だから」と漏らす。
ここでいう「左翼」が、日本では「リベラル」を自称していることについては2月22日付当欄「左派のどこが『リベラル』か」で指摘した。
和式「リベラル」のご都合主義と二重基準は度し難いと考えていたところ、米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバート氏の新著『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』に興味深い記述があった。
それによると、米国の保守的な州では「リベラル」について次のような認識を持つ人が多いそうである。
「腹黒くて、胡散(うさん)臭い」
「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」
「自分たちだけが絶対的正義と考えていて傲慢」
「口だけ達者な連中で自分の非を認めない」
「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」
「現実を無視してキレイごとばかりいう」
これらは常々、筆者が和式「リベラル」に対して痛感してきたことだったが、米国でもそうなのかと目からうろこが落ちた。
ギルバート氏はこうも記す。
「リベラルが『自由』とは真逆の、『全体主義的で息苦しい社会』を作り出してしまったことについては、残念ながらアメリカは日本よりずっと先に行っています」
このまま日本も息苦しい社会になっていくのは、断固拒否したい。(論説委員兼政治部編集委員)
リベラルが作る息苦しい社会
2018.04.05
(www.sankei.com/premium/news/180405/prm1804050008-n1.html )
3月27日付当欄で「臆測でお白州に引き出すのか」と題し、臆測や推測レベルの話で執拗(しつよう)に安倍晋三首相の昭恵夫人の証人喚問を求める野党のやり口は、もはや「人権侵害の域」ではないかと書いた。
すると、産経新聞読者サービス室に、千葉市の男性から次のようなメールが届いた。
「昭恵さんの証人喚問が実現すれば日本の社会に大混乱をもたらすだろう。
知らぬ間に隣人や知人に犯罪容疑者にされる恐怖が社会全体に疑心暗鬼を生むからです」
また、千葉県浦安市の男性からは、同室にこんな電話があった。
「臆測で『裁判』にかけられるようになったら自由に意見も言えなくなる。
何とかまっとうな世の中になってほしい」
日本社会の現状に深い閉塞(へいそく)感を覚え、今後の日本のあり方についても憂慮しているのが伝わってくる。
現代の魔女狩りに、おぞけをふるう人は少なくない。
一方、立憲民主党など野党6党は4日、国対委員長会談を開き、引き続き昭恵夫人らの証人喚問を求めていくことを確認した。
野党も多くのメディアも、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という近代法の基本原則「推定無罪」などそっちのけで、「推定有罪」を決め込んでいるかのようにみえる。
野党も多数派メディアもこれまで、安倍首相の政治手法を「強権的」だの「独裁的」だの「立憲主義に反する」などと批判してきた。
彼らはまた、日頃は人権重視をうたい、弱者や被害者を尊重する姿勢を強調し、売りにしてきた。
ところが、自分たちが攻撃する側に回ると一変し、相手の人権も立場も諸事情もおかまいなしに、大罪人であるかのように石を投げつけるのである。
実際、安倍首相が慰めているものの、昭恵夫人はかなり落ち込んでいると聞く。
首相官邸の目の前には、もうずっと首相の似顔絵とともに「売国奴」と書かれた横断幕が掲げられているが、こんな嫌がらせをして何がうれしいのか。
安倍首相は周囲に「左翼は人権侵害が平気だから」と漏らす。
ここでいう「左翼」が、日本では「リベラル」を自称していることについては2月22日付当欄「左派のどこが『リベラル』か」で指摘した。
和式「リベラル」のご都合主義と二重基準は度し難いと考えていたところ、米カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバート氏の新著『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』に興味深い記述があった。
それによると、米国の保守的な州では「リベラル」について次のような認識を持つ人が多いそうである。
「腹黒くて、胡散(うさん)臭い」
「抑圧的で、批判ばかりで、うっとうしい」
「自分たちだけが絶対的正義と考えていて傲慢」
「口だけ達者な連中で自分の非を認めない」
「身勝手で利己的だから、自分の自由のためなら他人の自由を平気で侵害する」
「現実を無視してキレイごとばかりいう」
これらは常々、筆者が和式「リベラル」に対して痛感してきたことだったが、米国でもそうなのかと目からうろこが落ちた。
ギルバート氏はこうも記す。
「リベラルが『自由』とは真逆の、『全体主義的で息苦しい社会』を作り出してしまったことについては、残念ながらアメリカは日本よりずっと先に行っています」
このまま日本も息苦しい社会になっていくのは、断固拒否したい。(論説委員兼政治部編集委員)
パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
(1) フランクフルト学派、アメリカ上陸
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-11-1 )
1923年、フランクフルト大学において、ルカーチとドイツ共産党員がモスクワの『マルクス・エンゲルス研究所』に倣(なら)い、『マルクス思想研究所』を旗揚げした。
やがて語感を和らげ、『社会研究所』と改名した。
これがいわゆる「フランクフルト学派」の前身である。
1930年、
背教的マルキストにしてマルキ・ド・サドの崇拝者、
マックス・ホルクハイマーが同学派の中心的存在となる。
ホルクハイマーもまた、マルクスの読みは外れていたと結論づけた。
労働者階級は革命の先方には適さない、と。
すでに西洋の労働者たちは中産階級に移行しつつあった。
憎むべきブルジョワに、である。
1970年5月、ウォール街でニクソンのカンボジア侵攻に抗議するデモ隊が建設作業員の一団に撃退される事件が起こったが、とうの昔に労働者階級に失望していたマルキストらは別段、驚きもしなかった。
件の作業員らの属する土建組合を束ねるピート・ブレナンはその後、ニクソンの労働問題担当秘書官に就任する。
ホルクハイマーの指示により、
フランクフルト学派は
マルクス思想を文化用語に翻訳しはじめた。
古臭い闘争マニュアルを捨て、新しいマニュアルが執筆された。
旧マルキストにとって敵は資本主義。
新生マルキストにとっては敵は西洋文化。
旧マルキストにとって権力掌握の手段は暴力による政権転覆 ― 1789年のパリや、1917年のペトログラードのように。
新生マルキストにとって権力掌握に暴力は不要、
ただし長期に渡る忍耐強い作業が必要。
勝利の大前提は西洋人がキリスト教精神を捨て去ること。
それは文化教育制度が改革派の手中に握られてはじめて実現する。
まずは文化 ―「堅牢堅固な要砦」― を支配せよ、
さすれば国家 ―「外堀」― は労せずして崩壊する。
ただし新旧両派にとって道徳の定義は変わらなかった― 改革を促進するものが道徳、妨害するものが不道徳。
ハドソン研究所のジョン・フォントによると、
グラムシが信じていたのは――
その昔ロナルド・レーガンはついうっかりソ連を「悪の帝国」呼ばわりしてはじめて、真のマルクス主義者なら激しい抗議はしないと気がついた。
むろん、その発言は国務省内では大きな波紋を巻き起こしたが。
ホルクハイマーと同時期に音楽批評家テオドール・アドルノ、精神分析学者エーリッヒ・フロム、社会学者ウィルヘルム・ライヒも学派に入会した。
ところが1933年、突如邪魔者が現われる。
アドルフ・ヒトラーが日の出の勢いでベルリンを掌握。
フランクフルト学派の中心層はユダヤ人のマルクス主義者である、ヒトラーの第三帝国にはそぐわないに違いない。
というわけで彼らはイデオロギーごとアメリカへ移住した。
そのなかには大学を卒業したてのヘルベルト・マルクーゼもいた。
コロンビア大学の援助を受け、彼らは
ニューヨークに新フランクフルト学派を設立、
再び総力を結集して
自分たちに避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった。
彼らの編み出した数ある文化闘争新兵器のなかに「批判理論」がある。
いかにも善意あふれる名前に聞こえるが、その実体ときたら善意とはほど遠い。
ある研究者は批判理論の定義をこう述べる。
批判理論の下では同じことが繰り返し主張される。
例えば、西洋はこれまで出会ったすべての文明・文化を抹殺してきた。
西洋社会は人種差別、性差別、移民排斥、外国人嫌い、同性愛嫌い、反ユダヤ、ファシズム、ナチズムが一堂に会した歴史のショールームである。
西洋の犯した数々の悪行はキリスト教に形成された西洋社会の特質による。
いい例が現代の「攻撃政治」で、「後見人」や「選挙運動コンサルタント」はひたすら対立候補を攻撃するだけで、決して自陣候補を擁護してはくれない、と。
さらに批判理論はホロコーストの共謀者としてビウス十二世を容赦なく非難する。
たとえ告発が嘘だとの証拠がどっさりあっても。
結局、批判理論は「文化的ペシミズム(厭世感・悲観論)」を惹起(じゃっき)した。
人々は豊かさと自由を享受しながらも疎外感、絶望感のようなものを覚え、社会や国家は差別的で忠誠を誓うに値しないと思いはじめた。
新生マルキストたちは、
この文化的ペシミズムを
革命の必須条件と考えていた。
批判理論の衝撃を受け、史上最高に恵まれていたはずの60年世代の多くが、自分たちは耐えがたき地獄に生きていると確信した。
マクガバン上院議員やダグラス最高裁判事、『ワシントン・ポスト』まで魅了した『緑色革命』のなかで、チャールズ・ライクは全米の高校に充満する「殺気立った雰囲気」に言及する。
コロンバイン高校(銃乱射)事件の30年も前の話だ。
銃やナイフを指しているわけではない ――
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』も、ウィルヘルム・ライヒの『ファシズムの大衆心理』『セクシャル・レボリューション』も批判理論を反映している。
が、最も多大な影響を与えたのが 『権威主義的パーソナリティ』である。
フランクフルト学派の集大成とも言うべきこの本で、
マルクスの経済決定論は
文化決定論に置き換えられた。
裕福で一家そろってクリスチャン、父親が権威主義的という家庭に育った子供は独裁的な人種差別主義者に育つという。
ウィスコンシン政策研究所の上席研究員チャールズ・サイクスは『権威主義的パーソナリティ』を「ブルジョワ社会に対する断固たる告発だ。ちょっと前まで単なる時代遅れとみなされていた事象を、ふいにファシスト的かつ歪んだ形態とこじつけた」と評する。
マルクスが資本家階級を目の敵にしたのに対し、
フランクフルト学派は中産階級を目の敵にした。
民主主義を生んだのが中産階級だという事実も、モスクワ在住の同志をモスクワ時代のヒトラーから守ってくれたのが英国中産階級だという事実も関係ない。
ナチスから逃れたアドルノ率いる一行に安息の場を提供したのがアメリカ中産階級だという事実も。
真実はどうでもいい。
というより、
彼らのイデオロギーだけが
真理を定義づける。
ファシズムの営巣地を家父長制家族に見出したアドルノは、今度はその生息環境 ― 伝統文化 ― をこう鑑定した。
かつてエドマンド・バークは「大勢の人々を一枚の起訴状で告発することはできない」と書いた。
しかしアドルノとフランクフルト学派はまさにそれをやってのけた。
愛国主義で昔気質の父親が実権を握る家庭に育った子はみな潜在的ファシスト、ナチである、と事もなげに断じたのだ。
保守的キリスト教文化がファシズムを生むわけだから、その文化にどっぷり浸かって育った連中はファシスト性向が強いと警戒せねばならない、と。
こうした思想が左翼に採り入れられた。
60年代前半のうちに大学紛争を糾弾する保守派や識者は「ファシスト」の烙印を押されはじめた。
ベビーブーマーたちは知らず知らずのうちに
1943年、
ソ連共産党中央委員会の発した党是通りに動くこととなる ――
60年代以降、こうして
敵に悪党あるいは精神病者のレッテルを張るのが
左翼最大の武器となった。
精神科医でダッカのトーマス・サスはこれを「秘密の定理」と呼ぶ。
「貶(おとし)めたいと思う人間を『精神病』呼ばわりする」と。
むろん、裏にあるのは政治的思惑。
われわれの社会は生来の偏見をなくすために治療が必要だと言いたいわけだ。
フランクフルト学派による『偏見の研究』を
クリストファー・ラッシュはこう評価する――
これが「セラピー大国」の根源だ ― 罪や過ちは病気または反社会行動と再定義され、精神科医が僧侶に取って代わる。
アドルノの言うようにファシズムが「文化に内在する」というなら、4、50年代の「神の国」文化のなかで育ったわれわれ世代こそ、産声を上げた瞬間から偏見に浸かっていましたと告解し、治療を受けねばなるまい。
もう一点、
ホルクハイマーとアドルノが洞察力を発揮したのは、
文化の主導権は
哲学的論拠ではなく
心理学的条件づけによって掌握されると気づいた点にある。
アメリカの子供たちは学校で、差別的な親の教えに従ってはいけません、新しい道徳観を大事にしましょう、と条件づけられた。
ほとんどの国民はフランクフルト学派など知らないが、その思想は4、50年代の教員養成大学ではすでに有名だった。
知識や技能の習得より正しい態度を表明できる子にしつけることが肝要だ、と学派は公言していた。
アラン・ブルームは著書『アメリカン・マインドの終焉』で
「アメリカの高校生の教養レベルは世界でも最低ランク」、
いくつかの試験科目では参加国中最低点、
ただし環境問題に関してだけは最高点を記録したと述べ、
フランクフルト学派の成功を立証している。
今日、親は子供を公立学校にやるのは金の無駄遣いだと感じているのではなかろうか。
勉強などしないのだから。
しかし学派にとっては大成功だ ― 公立学校の卒業生はみな正しい態度を身につけている。
そして今度は大学のオリエンテーションでキャンパスじゅうに浸透した新しい価値観を教えられる ― 映画『暴力脱獄』の看守が言ったように「しっかりな」と。
改革派は
いかにして古臭い価値観を捨てさせ
新しい価値観を吹き込むのに成功したのか。
真珠湾直後は陸海空軍とも入隊志願者が殺到し、農家の少年ばかりか大学生までもが列を成して並んだものだ。
それが世界貿易センター(WTC)での大殺戮の後は、まだ報復攻撃も始まらないうちに全米のキャンパスで反戦集会が開かれた。
もっとも、
学校教育以上に若者世代に大きな影響を与えたのは
ニュー・メディア ― テレビ、映画 ― である。
自由議会財団・文化保護局長のウィリアム・リンドによると――
改革が人々の思考をどう変化させたか判断するため、『波止場』、『真昼の決闘』、『シェーン』 等、50年代の映画に反映された価値観と、最近の主な映画のそれとを照らし合わせてみよう。
2000年のアカデミー賞授与式で最も多くの部門にノミネートされたのは『アメリカン・ビューティー』と『サイダー・ハウス・ルール』の二作だった。
『アメリカン・ビューティー』はケヴィン・スペイシーを主役に据え、アメリカの中流家庭をモラルの荒廃地として描いている。
悪役は同性愛志向を押し殺し、ナチの記事を収集し殺人に走る元海兵隊員。
『サイダー・ハウス・ルール』ではマイケル・ケインが世の中の偏見に立ち向かう物柔らかな堕胎医を演じている。
アメリカの娯楽産業は文化闘争における大砲であると同時に、若者を条件づけるスキナ―箱の役割も果たしている。
50年代、フランクフルト学派の思想はホルクハイマーとアドルノの退屈でくどい筆致のせいで大衆受けしなかった。
そこへ入会してきたのが元戦略事務局(OSS)諜報員にしてブランダイス大学教授、革命を有言実行する野心を抱いたヘルベルト・マルクーゼである。
マルクーゼはホルクハイマーの問い―
来るべき文化革命で
プロレタリアートの役を演じるのは誰か ―
に答えを与えた。
マルクーゼが候補に挙げたのが―
若い過激派、フェミニスト、黒人運動家、ゲイ、社会的孤立者、第三世界の革命家、
その他西洋に迫害されたと憤るあらゆる「被害者」たち。
プロレタリアートに代わって西洋文化を破壊するのは彼らだと。
革命の新兵補充に関してはグラムシも「歴史的に反主流派とされる層・・・経済的に虐げられた人々はおろか、女性から少数民族『犯罪者』まで」すべて含むと考えていた。
チャールズ・ライクの主張はマルクーゼとグラムシの請け売りである。
「新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ、黒人や貧しい人々、ボニーとクライド、世の中の敗者に共鳴する」と。
奇遇なことに、二人の異常殺人者をロマンたっぷりに描いた映画『俺たちに明日はない』がアカデミー賞にノミネートされた1968年、ライクのいう二人の「敗者」、サーハン・サーハンとジェイムズ・アール・レイがロバート・ケネディ、キング牧師暗殺によって不朽の名声を勝ち得た。
かつて社会の崩壊は書物や言論を足がかりになされたが、
マルクーゼはセックスとドラッグがより強力な武器と考えた。
著書『エロス的文明』のなかで彼は「快楽原理」を全面的に認めよと提唱した。
文化的規範はすべて拒絶(本人曰く「偉大なる拒絶」)せよ、そうすれば「多種多様な邪悪」の存在する世界が創出できると。
溢れんばかりのベビーブーマーがキャンパスに押し寄せ、彼の時代が到来した。
マルクーゼの本は売れに売れ、彼は教祖様となった。
1968年、パリで学生紛争が起こったとき、横断幕には「マルクス、マオ(毛沢東)、マルクーゼ」と書かれていた。
「戦争よりセックスを」はマルクーゼ自身の生んだスローガンである。
著書『一次元的人間』で彼は「教育的専制」を提唱。
また「抑圧的寛容」に対し「開放的寛容」、すなわち「右翼に対する不寛容と左翼に対する寛容」を要求している。
すっかりマルクーゼにはまった60年代の学生たちはヴェトナム戦争擁護派を黙らせ、ヴェトコンの旗を振る過激派を歓迎した。
現在に至ってもいくつかの大学では、保守派の人間より仮出獄中の殺戮者の講演のほうがより盛況だ。
右翼が猛威を振るっていると決めつけ、左翼なら大目に見る罪でも右翼なら晒し首、という二重基準(ダブル・スタンダード)こそ「抑圧的寛容」ではないか。
マルクーゼは著書『弱肉強食社会』で本音を暴露している――
この「社会制度の広汎に渡る解体」の意味するところは
アメリカ撲滅にほかならない。
グラムシ同様、マルクーゼもマルクスを超越した。
打倒資本家階級を目指し労働者が決起する、という思考は過去のこと。
今やマルクーゼとその仲間が西洋文明に引導を渡そうとしていた。
文化制度を支配し、革命、教化の手先とすることによって。
作家で『ニュー・クライテリオン』誌編集者のロジャー・キンボールはこう述べる――
文化マルキストにとって何はさておき最大の目標は、
独裁制の根源、
性差別・社会不正の温床たる家族制度の崩壊だった。
伝統的家族に対する嫌悪はマルキストにとって新しいものではない。
マルクス自身、著書『ドイツ・イデオロギー』で、家父長制家族の長はまずは妻子を財産と考えると述べている。
これ、西洋に限らなかったんですけどねw
イスラム圏なんかでは、いまだにそうだし。
エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』のなかで女性差別の根源は家父長制にあると論じ、フェミニストの信念を普及させた。
エーリッヒ・フロムは性差は固有のものではなく西洋文化によって創出されると主張し、フェミニズムの始祖となった。
鼻で笑っちゃうしかないです、フン!w
ウィルヘルム・ライヒにとって「権威主義的家庭は権威主義的国家の縮小版・・・帝政家族は帝政国家で繁殖する」。
アドルノにとって家父長制家庭はファシズムのゆりかごである。
家族から父親を追放するため、フランクフルト学派は別な選択肢 ― 母親が一を支配する家母長制、さらに家庭のなかで男女がときに役割を交換、あるいは完全に逆転させる「両性具有」制 ― を推奨した。
女性ボクサー、女性戦士、女性のラビや司教、女性の神、デミ・ムーアの『G.I.ジェーン』、『エイリアン』で怯える男性兵士を励ますランボー顔負けのシガニー・ウィーヴァー。
その他、タフで攻撃的な女と戦災で傷つけやすい男を描くすべての映画、演劇がフランクフルト学派と彼らが手を貸したフェミニスト革命の成功を証明している。
ルカーチ同様、ウィルヘルム・ライヒも、家族の破壊は革命的性政策と早期の性教育を通じて達成されると考えていた。
アメリカで小学校から性教育を行うようになったのは彼らのおかげである。
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
(1) フランクフルト学派、アメリカ上陸
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-11-1 )
1923年、フランクフルト大学において、ルカーチとドイツ共産党員がモスクワの『マルクス・エンゲルス研究所』に倣(なら)い、『マルクス思想研究所』を旗揚げした。
やがて語感を和らげ、『社会研究所』と改名した。
これがいわゆる「フランクフルト学派」の前身である。
1930年、
背教的マルキストにしてマルキ・ド・サドの崇拝者、
マックス・ホルクハイマーが同学派の中心的存在となる。
ホルクハイマーもまた、マルクスの読みは外れていたと結論づけた。
労働者階級は革命の先方には適さない、と。
すでに西洋の労働者たちは中産階級に移行しつつあった。
憎むべきブルジョワに、である。
1970年5月、ウォール街でニクソンのカンボジア侵攻に抗議するデモ隊が建設作業員の一団に撃退される事件が起こったが、とうの昔に労働者階級に失望していたマルキストらは別段、驚きもしなかった。
件の作業員らの属する土建組合を束ねるピート・ブレナンはその後、ニクソンの労働問題担当秘書官に就任する。
ホルクハイマーの指示により、
フランクフルト学派は
マルクス思想を文化用語に翻訳しはじめた。
古臭い闘争マニュアルを捨て、新しいマニュアルが執筆された。
旧マルキストにとって敵は資本主義。
新生マルキストにとっては敵は西洋文化。
旧マルキストにとって権力掌握の手段は暴力による政権転覆 ― 1789年のパリや、1917年のペトログラードのように。
新生マルキストにとって権力掌握に暴力は不要、
ただし長期に渡る忍耐強い作業が必要。
勝利の大前提は西洋人がキリスト教精神を捨て去ること。
それは文化教育制度が改革派の手中に握られてはじめて実現する。
まずは文化 ―「堅牢堅固な要砦」― を支配せよ、
さすれば国家 ―「外堀」― は労せずして崩壊する。
ただし新旧両派にとって道徳の定義は変わらなかった― 改革を促進するものが道徳、妨害するものが不道徳。
ハドソン研究所のジョン・フォントによると、
グラムシが信じていたのは――
「全面的歴史主義」。
つまり、道徳、価値観、真実、規範、人間の在り方はみな歴史的に異なる時代の産物であるということ。
歴史を飛び越え、人類普遍の真実とされるような絶対的規範は存在しない。
道徳観は「社会によって構築される」
つまり、道徳、価値観、真実、規範、人間の在り方はみな歴史的に異なる時代の産物であるということ。
歴史を飛び越え、人類普遍の真実とされるような絶対的規範は存在しない。
道徳観は「社会によって構築される」
その昔ロナルド・レーガンはついうっかりソ連を「悪の帝国」呼ばわりしてはじめて、真のマルクス主義者なら激しい抗議はしないと気がついた。
むろん、その発言は国務省内では大きな波紋を巻き起こしたが。
ホルクハイマーと同時期に音楽批評家テオドール・アドルノ、精神分析学者エーリッヒ・フロム、社会学者ウィルヘルム・ライヒも学派に入会した。
ところが1933年、突如邪魔者が現われる。
アドルフ・ヒトラーが日の出の勢いでベルリンを掌握。
フランクフルト学派の中心層はユダヤ人のマルクス主義者である、ヒトラーの第三帝国にはそぐわないに違いない。
というわけで彼らはイデオロギーごとアメリカへ移住した。
そのなかには大学を卒業したてのヘルベルト・マルクーゼもいた。
コロンビア大学の援助を受け、彼らは
ニューヨークに新フランクフルト学派を設立、
再び総力を結集して
自分たちに避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった。
彼らの編み出した数ある文化闘争新兵器のなかに「批判理論」がある。
いかにも善意あふれる名前に聞こえるが、その実体ときたら善意とはほど遠い。
ある研究者は批判理論の定義をこう述べる。
「西洋文化の主な要素を完全否定する批評。
キリスト教、資本主義、権威、家族、家父長制、階級性、道徳、伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、相続、自民族中心主義、因習、保守主義、何から何まですべて」
キリスト教、資本主義、権威、家族、家父長制、階級性、道徳、伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、相続、自民族中心主義、因習、保守主義、何から何まですべて」
批判理論の下では同じことが繰り返し主張される。
例えば、西洋はこれまで出会ったすべての文明・文化を抹殺してきた。
西洋社会は人種差別、性差別、移民排斥、外国人嫌い、同性愛嫌い、反ユダヤ、ファシズム、ナチズムが一堂に会した歴史のショールームである。
西洋の犯した数々の悪行はキリスト教に形成された西洋社会の特質による。
いい例が現代の「攻撃政治」で、「後見人」や「選挙運動コンサルタント」はひたすら対立候補を攻撃するだけで、決して自陣候補を擁護してはくれない、と。
さらに批判理論はホロコーストの共謀者としてビウス十二世を容赦なく非難する。
たとえ告発が嘘だとの証拠がどっさりあっても。
結局、批判理論は「文化的ペシミズム(厭世感・悲観論)」を惹起(じゃっき)した。
人々は豊かさと自由を享受しながらも疎外感、絶望感のようなものを覚え、社会や国家は差別的で忠誠を誓うに値しないと思いはじめた。
新生マルキストたちは、
この文化的ペシミズムを
革命の必須条件と考えていた。
批判理論の衝撃を受け、史上最高に恵まれていたはずの60年世代の多くが、自分たちは耐えがたき地獄に生きていると確信した。
マクガバン上院議員やダグラス最高裁判事、『ワシントン・ポスト』まで魅了した『緑色革命』のなかで、チャールズ・ライクは全米の高校に充満する「殺気立った雰囲気」に言及する。
コロンバイン高校(銃乱射)事件の30年も前の話だ。
銃やナイフを指しているわけではない ――
試験やテストは暴力の一種。
体育の強制も苦手な者や不安な者にとっては暴力と同じ。
生徒は許可なく廊下に出てはいけないという規則も暴力なら、無理やり授業を聞かされるのも、自習室での勉強を強制されるのも暴力だ。
体育の強制も苦手な者や不安な者にとっては暴力と同じ。
生徒は許可なく廊下に出てはいけないという規則も暴力なら、無理やり授業を聞かされるのも、自習室での勉強を強制されるのも暴力だ。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』も、ウィルヘルム・ライヒの『ファシズムの大衆心理』『セクシャル・レボリューション』も批判理論を反映している。
が、最も多大な影響を与えたのが 『権威主義的パーソナリティ』である。
フランクフルト学派の集大成とも言うべきこの本で、
マルクスの経済決定論は
文化決定論に置き換えられた。
裕福で一家そろってクリスチャン、父親が権威主義的という家庭に育った子供は独裁的な人種差別主義者に育つという。
ウィスコンシン政策研究所の上席研究員チャールズ・サイクスは『権威主義的パーソナリティ』を「ブルジョワ社会に対する断固たる告発だ。ちょっと前まで単なる時代遅れとみなされていた事象を、ふいにファシスト的かつ歪んだ形態とこじつけた」と評する。
マルクスが資本家階級を目の敵にしたのに対し、
フランクフルト学派は中産階級を目の敵にした。
民主主義を生んだのが中産階級だという事実も、モスクワ在住の同志をモスクワ時代のヒトラーから守ってくれたのが英国中産階級だという事実も関係ない。
ナチスから逃れたアドルノ率いる一行に安息の場を提供したのがアメリカ中産階級だという事実も。
真実はどうでもいい。
というより、
彼らのイデオロギーだけが
真理を定義づける。
ファシズムの営巣地を家父長制家族に見出したアドルノは、今度はその生息環境 ― 伝統文化 ― をこう鑑定した。
「ファシズムへの感染は中産階級に典型的な現象で、『文化に内在する』とも言える。
よって、そのような文化にすっかり順応した中産階級こそ、最も偏見に満ちた層と考えられる」
よって、そのような文化にすっかり順応した中産階級こそ、最も偏見に満ちた層と考えられる」
かつてエドマンド・バークは「大勢の人々を一枚の起訴状で告発することはできない」と書いた。
しかしアドルノとフランクフルト学派はまさにそれをやってのけた。
愛国主義で昔気質の父親が実権を握る家庭に育った子はみな潜在的ファシスト、ナチである、と事もなげに断じたのだ。
保守的キリスト教文化がファシズムを生むわけだから、その文化にどっぷり浸かって育った連中はファシスト性向が強いと警戒せねばならない、と。
こうした思想が左翼に採り入れられた。
60年代前半のうちに大学紛争を糾弾する保守派や識者は「ファシスト」の烙印を押されはじめた。
ベビーブーマーたちは知らず知らずのうちに
1943年、
ソ連共産党中央委員会の発した党是通りに動くこととなる ――
党員および党指導部は引き続き
党批判者の活動妨害、信用失墜に励むこと。
手に負えぬような場合は
ファシスト、ナチ、ユダヤ人排斥者の
レッテルを張ること・・・
繰り返し反復することにより、われらの指示するものが大衆にとっての「真実」となる。
党批判者の活動妨害、信用失墜に励むこと。
手に負えぬような場合は
ファシスト、ナチ、ユダヤ人排斥者の
レッテルを張ること・・・
繰り返し反復することにより、われらの指示するものが大衆にとっての「真実」となる。
60年代以降、こうして
敵に悪党あるいは精神病者のレッテルを張るのが
左翼最大の武器となった。
精神科医でダッカのトーマス・サスはこれを「秘密の定理」と呼ぶ。
「貶(おとし)めたいと思う人間を『精神病』呼ばわりする」と。
むろん、裏にあるのは政治的思惑。
われわれの社会は生来の偏見をなくすために治療が必要だと言いたいわけだ。
フランクフルト学派による『偏見の研究』を
クリストファー・ラッシュはこう評価する――
偏見とは「権威主義的」性格に由来する精神疾患だ
と唱える同書の主張は、
アメリカ人を― まるで全員が精神病院収容者だと言わんばかりに ―
無理やり集団サイコセラピーにかけたという点だけをとっても、
唾棄すべき思想である。
と唱える同書の主張は、
アメリカ人を― まるで全員が精神病院収容者だと言わんばかりに ―
無理やり集団サイコセラピーにかけたという点だけをとっても、
唾棄すべき思想である。
これが「セラピー大国」の根源だ ― 罪や過ちは病気または反社会行動と再定義され、精神科医が僧侶に取って代わる。
アドルノの言うようにファシズムが「文化に内在する」というなら、4、50年代の「神の国」文化のなかで育ったわれわれ世代こそ、産声を上げた瞬間から偏見に浸かっていましたと告解し、治療を受けねばなるまい。
もう一点、
ホルクハイマーとアドルノが洞察力を発揮したのは、
文化の主導権は
哲学的論拠ではなく
心理学的条件づけによって掌握されると気づいた点にある。
アメリカの子供たちは学校で、差別的な親の教えに従ってはいけません、新しい道徳観を大事にしましょう、と条件づけられた。
ほとんどの国民はフランクフルト学派など知らないが、その思想は4、50年代の教員養成大学ではすでに有名だった。
知識や技能の習得より正しい態度を表明できる子にしつけることが肝要だ、と学派は公言していた。
アラン・ブルームは著書『アメリカン・マインドの終焉』で
「アメリカの高校生の教養レベルは世界でも最低ランク」、
いくつかの試験科目では参加国中最低点、
ただし環境問題に関してだけは最高点を記録したと述べ、
フランクフルト学派の成功を立証している。
今日、親は子供を公立学校にやるのは金の無駄遣いだと感じているのではなかろうか。
勉強などしないのだから。
しかし学派にとっては大成功だ ― 公立学校の卒業生はみな正しい態度を身につけている。
そして今度は大学のオリエンテーションでキャンパスじゅうに浸透した新しい価値観を教えられる ― 映画『暴力脱獄』の看守が言ったように「しっかりな」と。
改革派は
いかにして古臭い価値観を捨てさせ
新しい価値観を吹き込むのに成功したのか。
真珠湾直後は陸海空軍とも入隊志願者が殺到し、農家の少年ばかりか大学生までもが列を成して並んだものだ。
それが世界貿易センター(WTC)での大殺戮の後は、まだ報復攻撃も始まらないうちに全米のキャンパスで反戦集会が開かれた。
もっとも、
学校教育以上に若者世代に大きな影響を与えたのは
ニュー・メディア ― テレビ、映画 ― である。
自由議会財団・文化保護局長のウィリアム・リンドによると――
娯楽産業は・・・マルクス主義の文化思想に完全に同化し、単に説法を説くだけではなく寓話までこしらえ広めている―
・ 弱い男を叩きのめす強い女、
・ 親より賢い子供、
・ 流れ者に諭される堕落した聖職者、
・ 白人の下級生からいじめを受ける黒人上級生、
・ 堂々と普通の生活を送る同性愛カップル。
どれもこれも愚にもつかぬ作り話だが、
彼らの手にかかると
現実の世界よりはるかに真実らしく見えてしまう。
・ 弱い男を叩きのめす強い女、
・ 親より賢い子供、
・ 流れ者に諭される堕落した聖職者、
・ 白人の下級生からいじめを受ける黒人上級生、
・ 堂々と普通の生活を送る同性愛カップル。
どれもこれも愚にもつかぬ作り話だが、
彼らの手にかかると
現実の世界よりはるかに真実らしく見えてしまう。
改革が人々の思考をどう変化させたか判断するため、『波止場』、『真昼の決闘』、『シェーン』 等、50年代の映画に反映された価値観と、最近の主な映画のそれとを照らし合わせてみよう。
2000年のアカデミー賞授与式で最も多くの部門にノミネートされたのは『アメリカン・ビューティー』と『サイダー・ハウス・ルール』の二作だった。
『アメリカン・ビューティー』はケヴィン・スペイシーを主役に据え、アメリカの中流家庭をモラルの荒廃地として描いている。
悪役は同性愛志向を押し殺し、ナチの記事を収集し殺人に走る元海兵隊員。
『サイダー・ハウス・ルール』ではマイケル・ケインが世の中の偏見に立ち向かう物柔らかな堕胎医を演じている。
アメリカの娯楽産業は文化闘争における大砲であると同時に、若者を条件づけるスキナ―箱の役割も果たしている。
50年代、フランクフルト学派の思想はホルクハイマーとアドルノの退屈でくどい筆致のせいで大衆受けしなかった。
そこへ入会してきたのが元戦略事務局(OSS)諜報員にしてブランダイス大学教授、革命を有言実行する野心を抱いたヘルベルト・マルクーゼである。
マルクーゼはホルクハイマーの問い―
来るべき文化革命で
プロレタリアートの役を演じるのは誰か ―
に答えを与えた。
マルクーゼが候補に挙げたのが―
若い過激派、フェミニスト、黒人運動家、ゲイ、社会的孤立者、第三世界の革命家、
その他西洋に迫害されたと憤るあらゆる「被害者」たち。
プロレタリアートに代わって西洋文化を破壊するのは彼らだと。
革命の新兵補充に関してはグラムシも「歴史的に反主流派とされる層・・・経済的に虐げられた人々はおろか、女性から少数民族『犯罪者』まで」すべて含むと考えていた。
チャールズ・ライクの主張はマルクーゼとグラムシの請け売りである。
「新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ、黒人や貧しい人々、ボニーとクライド、世の中の敗者に共鳴する」と。
奇遇なことに、二人の異常殺人者をロマンたっぷりに描いた映画『俺たちに明日はない』がアカデミー賞にノミネートされた1968年、ライクのいう二人の「敗者」、サーハン・サーハンとジェイムズ・アール・レイがロバート・ケネディ、キング牧師暗殺によって不朽の名声を勝ち得た。
かつて社会の崩壊は書物や言論を足がかりになされたが、
マルクーゼはセックスとドラッグがより強力な武器と考えた。
著書『エロス的文明』のなかで彼は「快楽原理」を全面的に認めよと提唱した。
文化的規範はすべて拒絶(本人曰く「偉大なる拒絶」)せよ、そうすれば「多種多様な邪悪」の存在する世界が創出できると。
溢れんばかりのベビーブーマーがキャンパスに押し寄せ、彼の時代が到来した。
マルクーゼの本は売れに売れ、彼は教祖様となった。
1968年、パリで学生紛争が起こったとき、横断幕には「マルクス、マオ(毛沢東)、マルクーゼ」と書かれていた。
「戦争よりセックスを」はマルクーゼ自身の生んだスローガンである。
著書『一次元的人間』で彼は「教育的専制」を提唱。
また「抑圧的寛容」に対し「開放的寛容」、すなわち「右翼に対する不寛容と左翼に対する寛容」を要求している。
すっかりマルクーゼにはまった60年代の学生たちはヴェトナム戦争擁護派を黙らせ、ヴェトコンの旗を振る過激派を歓迎した。
現在に至ってもいくつかの大学では、保守派の人間より仮出獄中の殺戮者の講演のほうがより盛況だ。
右翼が猛威を振るっていると決めつけ、左翼なら大目に見る罪でも右翼なら晒し首、という二重基準(ダブル・スタンダード)こそ「抑圧的寛容」ではないか。
マルクーゼは著書『弱肉強食社会』で本音を暴露している――
文化革命を正しく論じることは誰にでもできる。
なぜならあらゆる文化制度に向けられた抗議だから・・・
一つだけ確実に言えることがある。
伝統的革命思想、伝統的革命戦略はもはや通用しないということだ。
そうしたやり方は時代遅れ・・・
われわれが着手すべき革命は、
社会制度を
広汎に渡って解体するような革命である。
なぜならあらゆる文化制度に向けられた抗議だから・・・
一つだけ確実に言えることがある。
伝統的革命思想、伝統的革命戦略はもはや通用しないということだ。
そうしたやり方は時代遅れ・・・
われわれが着手すべき革命は、
社会制度を
広汎に渡って解体するような革命である。
この「社会制度の広汎に渡る解体」の意味するところは
アメリカ撲滅にほかならない。
グラムシ同様、マルクーゼもマルクスを超越した。
打倒資本家階級を目指し労働者が決起する、という思考は過去のこと。
今やマルクーゼとその仲間が西洋文明に引導を渡そうとしていた。
文化制度を支配し、革命、教化の手先とすることによって。
作家で『ニュー・クライテリオン』誌編集者のロジャー・キンボールはこう述べる――
西洋社会というコンテクトにおいて
「長期的制度改革」とは
― マルクーゼ琉に言うと ―
「すでに確立した制度内に身を置いての働きかけ」
を意味した。
主としてそうした手法 ―
対決というよりむしろ徐々に侵入、潜入する ― によって、
マルクーゼら急進派の目指すカウンターカルチャーの夢が実現した。
「長期的制度改革」とは
― マルクーゼ琉に言うと ―
「すでに確立した制度内に身を置いての働きかけ」
を意味した。
主としてそうした手法 ―
対決というよりむしろ徐々に侵入、潜入する ― によって、
マルクーゼら急進派の目指すカウンターカルチャーの夢が実現した。
文化マルキストにとって何はさておき最大の目標は、
独裁制の根源、
性差別・社会不正の温床たる家族制度の崩壊だった。
伝統的家族に対する嫌悪はマルキストにとって新しいものではない。
マルクス自身、著書『ドイツ・イデオロギー』で、家父長制家族の長はまずは妻子を財産と考えると述べている。
これ、西洋に限らなかったんですけどねw
イスラム圏なんかでは、いまだにそうだし。
エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』のなかで女性差別の根源は家父長制にあると論じ、フェミニストの信念を普及させた。
エーリッヒ・フロムは性差は固有のものではなく西洋文化によって創出されると主張し、フェミニズムの始祖となった。
鼻で笑っちゃうしかないです、フン!w
ウィルヘルム・ライヒにとって「権威主義的家庭は権威主義的国家の縮小版・・・帝政家族は帝政国家で繁殖する」。
アドルノにとって家父長制家庭はファシズムのゆりかごである。
家族から父親を追放するため、フランクフルト学派は別な選択肢 ― 母親が一を支配する家母長制、さらに家庭のなかで男女がときに役割を交換、あるいは完全に逆転させる「両性具有」制 ― を推奨した。
女性ボクサー、女性戦士、女性のラビや司教、女性の神、デミ・ムーアの『G.I.ジェーン』、『エイリアン』で怯える男性兵士を励ますランボー顔負けのシガニー・ウィーヴァー。
その他、タフで攻撃的な女と戦災で傷つけやすい男を描くすべての映画、演劇がフランクフルト学派と彼らが手を貸したフェミニスト革命の成功を証明している。
ルカーチ同様、ウィルヘルム・ライヒも、家族の破壊は革命的性政策と早期の性教育を通じて達成されると考えていた。
アメリカで小学校から性教育を行うようになったのは彼らのおかげである。