DEL SHANNON ~ Runaway (1961)
「憲法9条」ばっかり騒がれますが、そもそも『日本国憲法』は「Made in U.S.A.」だってことは、ちっとも騒がれませんね。
日本は「第二次世界大戦・太平洋戦線」において、「枢軸国」として「連合国」と戦い、建国以来、初めて、負けました。
1940年(昭和20年)8月15日に天皇陛下が玉音放送で、「ポツダム宣言受諾」を告げましたが、それで「終戦」ではありません。
翌月9月の2日に全権大使が「降伏文書」に署名して、「停戦」となりました。
そして日本は「連合国軍」の「占領統治下」に置かれました。早い話が植民地みたいなものです。
その「連合国軍」の最高司令官がダグラス・マッカーサー。
10月2日、日本には『ポツダム宣言』執行のため、『連合国最高司令官総司令部』(GHQ)が設置されました。
「GHQ」とひと口に言っても、
「参謀部」に4部局、「幕僚部」に9部局(最終的に14部局)があり、
イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦
そしてカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦諸国など、
連合国各国の軍隊から派遣された
最大43万人の軍人が日本全国に派遣されて活動していたのです。
当然(?)、その43万人の中には、共産主義者、ソ連のコミンテルン(世界征服計画)に傾倒する者、あるいはヨーロッパからアメリカに逃れたフランクフルト学派の息のかかった者などもいたでしょう。
なにしろ、ルーズベルト政権のホワイトハウスの中にさえ、200人を超える共産主義者が紛れ込んでいたという混沌とした時代です。
で、『日本国憲法』は、そんな混迷の時代の連合国の占領下で作成されました。
『連合国最高司令官総司令部』(GHQ)の「幕僚部」の中の「民政局」という部局で草案され、携わった軍人は25人。
それなりに人類学や政治学の博士号を取得していたり、ハーバード大ロースクール修了者などトップレベルの経歴をもつ人たちが大半でしたが、残念なことに、「憲法」の専門家は一人もいませんでした。
そして早くも1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
そんなバカな!!
日本はその時、占領統治下に置かれていて、独立国家ではなかったのです。
日本と同盟国で同じ敗戦国のドイツの場合はどうでしょうか。
東西に分断され、44年後の1989年に再び統一されたことなどもありますが、戦後、「51回の憲法改正」をしています。
時々の国家や世界の情勢に合わせて加筆されているのですね。
『日本国憲法』の「前文」の一節に
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
というものがあります。
要するに日本の命は、諸国民に預けられたってわけですが、国連加盟国193カ国の中で、192カ国は軍隊を持っていることをお忘れなく。
ましてや、中国とか朝鮮とか、およそ「公正と信義」とは無関係の国が、お隣さんなんですけど・・・
で、7年の占領統治下の間の『極東軍事裁判』(東京裁判)などを経て、1952年(昭和27年)9月8日、(連合国と)『日本との平和条約』(通称: サンフランシスコ講和条約)に署名。
ここでようやっと、「中華民国」がいつの間にか「中華人民共和国」に入れ替わっちゃってた国と、「ソ連」を除いた、「連合国」とは「終戦」となり、日本は、晴れて再び主権を持った独立国家となったのです。
フツーは、ここで、日本国民の手で、自主憲法を作成するのが道理なんですけどね。
白洲次郎が後に、「吉田茂の最大の失敗は、あの時、Made in USA の日本国憲法を、破棄しなかったことだ」と、とても悔しがっていたそうですが、それも今は昔・・・
これからの日本の未来を築いていく若い人たちに期待・・・できるかなあ・・・
日本は「第二次世界大戦・太平洋戦線」において、「枢軸国」として「連合国」と戦い、建国以来、初めて、負けました。
1940年(昭和20年)8月15日に天皇陛下が玉音放送で、「ポツダム宣言受諾」を告げましたが、それで「終戦」ではありません。
翌月9月の2日に全権大使が「降伏文書」に署名して、「停戦」となりました。
そして日本は「連合国軍」の「占領統治下」に置かれました。早い話が植民地みたいなものです。
その「連合国軍」の最高司令官がダグラス・マッカーサー。
10月2日、日本には『ポツダム宣言』執行のため、『連合国最高司令官総司令部』(GHQ)が設置されました。
「GHQ」とひと口に言っても、
「参謀部」に4部局、「幕僚部」に9部局(最終的に14部局)があり、
イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦
そしてカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦諸国など、
連合国各国の軍隊から派遣された
最大43万人の軍人が日本全国に派遣されて活動していたのです。
当然(?)、その43万人の中には、共産主義者、ソ連のコミンテルン(世界征服計画)に傾倒する者、あるいはヨーロッパからアメリカに逃れたフランクフルト学派の息のかかった者などもいたでしょう。
なにしろ、ルーズベルト政権のホワイトハウスの中にさえ、200人を超える共産主義者が紛れ込んでいたという混沌とした時代です。
で、『日本国憲法』は、そんな混迷の時代の連合国の占領下で作成されました。
『連合国最高司令官総司令部』(GHQ)の「幕僚部」の中の「民政局」という部局で草案され、携わった軍人は25人。
それなりに人類学や政治学の博士号を取得していたり、ハーバード大ロースクール修了者などトップレベルの経歴をもつ人たちが大半でしたが、残念なことに、「憲法」の専門家は一人もいませんでした。
そして早くも1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
そんなバカな!!
日本はその時、占領統治下に置かれていて、独立国家ではなかったのです。
日本と同盟国で同じ敗戦国のドイツの場合はどうでしょうか。
東西に分断され、44年後の1989年に再び統一されたことなどもありますが、戦後、「51回の憲法改正」をしています。
時々の国家や世界の情勢に合わせて加筆されているのですね。
『日本国憲法』の「前文」の一節に
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
というものがあります。
要するに日本の命は、諸国民に預けられたってわけですが、国連加盟国193カ国の中で、192カ国は軍隊を持っていることをお忘れなく。
ましてや、中国とか朝鮮とか、およそ「公正と信義」とは無関係の国が、お隣さんなんですけど・・・
で、7年の占領統治下の間の『極東軍事裁判』(東京裁判)などを経て、1952年(昭和27年)9月8日、(連合国と)『日本との平和条約』(通称: サンフランシスコ講和条約)に署名。
ここでようやっと、「中華民国」がいつの間にか「中華人民共和国」に入れ替わっちゃってた国と、「ソ連」を除いた、「連合国」とは「終戦」となり、日本は、晴れて再び主権を持った独立国家となったのです。
フツーは、ここで、日本国民の手で、自主憲法を作成するのが道理なんですけどね。
白洲次郎が後に、「吉田茂の最大の失敗は、あの時、Made in USA の日本国憲法を、破棄しなかったことだ」と、とても悔しがっていたそうですが、それも今は昔・・・
これからの日本の未来を築いていく若い人たちに期待・・・できるかなあ・・・
AVENGED SEVENFOLD ~ Runaway feat. WARREN FITZGERALD (2017)
― DEL SHANNON ~ Runaway (1961)
いやあ、どっかで聞いた曲だなあ・・・で曲名で検索して、直ぐに分かりましたね!
私が中学生か高校生の時のヒット曲です。
個人的には別に好きじゃなかったけど、それでも耳が覚えてたってことは、
かなり、ヒットしてラジオなどから流れていたのでしょうね。