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◆ (54) 第九章 怯える多数派

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パトリック・J・ブキャナン著
宮崎哲弥監訳
病むアメリカ、滅びゆく西洋
2002年12月5日 成甲書房



第九章 怯える多数派



公民権法は白人の権利保護法ではないので、白人には適用されない。
            ―― メアリー・ペリー (米連邦公民権委員会委員長



キリスト教徒が文明という神殿から彼らの神と信仰をみすみす放逐させたのはなぜなのか。
抵抗らしき抵抗も見せずに。
「神は常に大軍の味方だ」 とナポレオンは言った。
しかし、アメリカ合衆国における大軍はキリスト教徒だったのではないか。
なのに騎兵、歩兵ともに全滅した。
『ニュー・クライテリオン』 誌のロジャー・キンボールは著書 『長行軍』 において、
文化闘争における乾杯は保守派の不首尾のせいだと指摘する。



   アメリカ文化革命の長行軍は、
   すこぶるつきの夢想家を除き、あらゆる層を支配下に収めた。
   最大の皮肉は、改革派の勝利により、
   選挙政治においては一気に保守中道派に支持が流れたことだ。
   そのため世論調査の結果を真に受け勝利を確信した保守派は
   解放論をふりかざす文化左派に対し、挑戦状を叩きつけさえしなかった。
   とんでもない。
   いわゆる 「文化闘争」 において、保守派はどこからどう見ても敗残者だというのに。



われわれは文化闘争に 「勝利した」 とうそぶく保守派もいるが、
率直に言ってキンボールの指摘は正しい。
しかし、なぜに伝統派は退却を始めたのか?
キリスト信者も保守派も
まだマイクと説教壇 ―― ラジオにケーブルテレビ、インターネット、雑誌 ―― を
失ってはいなかったのに。
1968年以降も共和党は勝ち数が負け数を上回り、政治力を維持していた。
世論調査の結果も
国民は文化闘争ではバリケード側であることを示していた
―― 女性戦士、中絶常時受け付け、人種えこひいきは反対、
学校での祈りと十戒掲示は賛成、
移民を削減し国内の言語は英語に統一してほしい、と。
なのに倫理・社会・文化最前線では
共和党、保守派、クリスチャンともに退却を続け、今や隅っこで怖気を震っている。



ジョン・アシュクロフトが
テディ・ケネディと司法委員会の民主党委員にこてんぱんにやられても
ホワイトハウスは介入を拒否。
ブッシュ氏は腹心ともども 2000年のキリスト教連合大会を欠席し、テープだけ送った。
大統領選の真っ只中でも共和党支持のゲイ団体に会う時間はねん出していたのに。
南軍旗論争が巻き起こった当時、ブッシュ知事はサウスカロライナが決めることだと言った。
が、予備選が終わるなりテキサス州最高裁の南軍記念プレート撤去を命じた。



フィラデルフィアの共和党大会では、
生命倫理問題に関して党の方針を主張する演説は禁じられた。
にもかかわらず
コリン・パウエルはニュース番組 『プライムライム』 に呼ばれて党の消極姿勢を諭し、
党員はみな公の場での叱責に神妙に耳を傾けた。
かつてレーガン主義と定義された社会・倫理問題の戦場から
共和党はとっくに退散していた。



「生まれ変わった共和党」 を示す党大会。
そう、世間の空気に迎合して。
悪意たっぷりのウィットで人気のビル・マーアーは
「共和党があれほどたくさんの黒人をステージに上げるのは奴隷売買以来」
と嘲笑 (あざわら) った。
ブッシュ氏は
NAACP (全国黒人地位向上委員会) の大会で演説し 「歩み寄り」 を試みたのに、
それに対する NAACP の返礼はジェイムズ・バードの娘を広告に使い、
ヘイト・クライム法に反対するブッシュはリンチ殺害されたこの娘の父親などどうでもいいのだ
と示唆することだった。
批評家の要請のままに共和党は反発派に歩み寄りの姿勢を示し、
そのたびにがぶりと手を噛まれた ―― あちら様に尽きせぬ快感を与えて。
『ナショナル・リヴュー』 は融和政策成功を次のように要約した。



   ブッシュほど人種問題に関し
   リベラルの神経を逆撫 (さかな) でしないよう気遣った共和党候補は
   かつていない。
   移民を擁護し、バイリンガル教育を支持し、人種感情をぼかし、
   NAACP の肩を持ち、ヘイトクライム論争に妥協し、
   共和党の因襲に関しコリン・パウエルに謝罪行脚させた。
   その報酬が ――
   ヒスパニック票の 35% と、
   前回のボブ・ドールにも及ばぬ雀の涙ほどの黒人票獲得だった。



保守派は、
若かりし頃、闘志あふれる宗教に属していた頃に持っていた、モラルの確信を、
失ってしまった。
今の彼らは大衆に、
この人たちも偏屈じゃない、思いやりある心優しい人たちなのね、
と認めさせようと躍起になっているかに見える。
ブッシュ氏の組閣人事が決定するや、NAACP のジュリアン・ボンドは
「閣僚に任命された大半がわが国におけるタリバン派だ。
極右の浅ましい欲望を満たし、無批判に南部連合を信奉する連中ばかり」
と述べた。



共和党下院院内総務リチャード・アーミーは NAACP 総裁クワシ・ムヒューム宛てに、
そうした物言いは 「人種的マッカーシズム」、「逆人種差別」 だと書面で抗議した。
「故意かどうかはともかく、このまま左派の方言を黙認していては国が分裂してしまう」
とアーミーは語った。
話し合いの場を持とうという彼の提案を、
ボンドは 「正義と公正の反対派によくありがちな愚痴」 として却下した。



なんとも教訓的エピソードだ。
共和党屈指の実力者が、
党及び次期大統領をあしざまに罵る NAACP に話し合いを要請したのに、
あっさりとこけにされた。
モラルに自信のあった昔の共和党なら、
ボンドを完膚なきまでに叩きのめし、
内国歳入庁に NAACP に裏帳簿がないかどうか査察を命じ、
ボンドの首を飛ばさぬ限り政府援助は停止すると通告し、
NAACP の協賛企業に大統領に対する煽動攻撃を支持するのかと尋ね、
さらに NAACP への寄付を罰するよう税法まで改正しただろう。
保守派は NAACP にどう対処すべきなのか。
民主党の宗教右派への対処法をまねればよい。(← ウマイ!!)



ところがアーミー氏は対話を求めた。
むき出しの闘争心はいつのまにか共和党のイメージにそぐわぬものになっていた。
ロナルド・レーガン辞任以来、メディアは絶えず共和党に囁きかけてきた。
「倫理・社会問題に関しては負け犬だ。あきらめろ、さもないと芯まで叩き潰すぞ」 と。
共和党員はメッセージを理解し、文化闘争に関しては良心的兵役拒否を貫いている。



もとより、アメリカ自体がモラルの核を失ってしまったかに見える。
1950年代、アイゼンハワー大統領は
大量不法移民 「ウェットバック」 を突き放し、国境警備の手抜かりを詫びた。
が、国教破りが毎年 150万人という現況でも、
国境封鎖を叫ぶ共和党議員は現われそうにない。
(ここでようやっとトランプ氏が現われましたが、世間の目は冷たいですねw)
移民排斥者と呼ばれるのが嫌だから。
保守派の週刊誌 『ヒューマン・イヴェンツ』が
上下両院の 17議員に不法移民は強制退去させるべきかと尋ねたところ、
イエスと即答したのはわずか 2だった。
ヒスパニックの仕返しを恐れ、連邦議会は移民法強化も実行できないだろう。
その臆病さで国を失うはめになっても。
かけがえのないこの国を守るために為すべきことを為す、という意志が
恐ろしいほどまでに欠けている。



例のポートランド州立大でのクリントン氏の演説
―― 50年後、「アメリカにはマジョリティの民族はなくなっている」 ――
に学生たちは拍手喝采を送った。
珍しい話もあるものだ。
国家の多数派として
祖先が残してくれた遺産をこの先没収されると聞いて、
大喜びする国があるとは。



モラルの腐敗はヨーロッパではさらに深刻だ。
20世紀、あれだけの軍勢を誇った国々が
今や自国の防衛軍さえ満足に育てようとしない。
それはアメリカにお任せ。
人口が減り国家が分裂しかけても、別に誰も気にしない。
罪悪感まみれのドイツ人は
統一ヨーロッパの暖かい繭の中に閉じこもっていたい様子。
他の国々もみな、自由と独立のための闘争には飽き飽きしたので、
統一全体国家の専制を受け入れようと考えている。
「国家は人類の財産であり、それぞれが普遍的性質を持つ。
どんなに小さな国家も独自の色を持ち、神のデザインした億時の切子面を見せる」
とソルジェニーツィンは言った。
国家の消失は全人類が同じ人格、同じ顔を持つようなものである と。
にもかかわらず、
欧州諸国はそろそろ終末が近いとの現実を甘んじて受け入れるつもりのようだ。

   (← 先頃、イギリスが国民投票で EU 離脱を決めましたが、
       はてさて、この波、どうなるでしょう・・・)



かけがえのない母国のアイデンティティを守ろうとする指導者は、
人種差別主義か外国人嫌いのレッテルと張られる

デンマークのカレン・イェスバーセン内務大臣 ―― 60年代過激派 ―― の、
犯罪歴のある難民は 「島流し」 にすべき
との発言は怒りの嵐を巻き起こした。
同大臣は
「どの文化も平等」 だという多文化主義国家で 「暮らしたいとは思わない」
と語った。



デンマークは政治難民の避難所となっており、
それにつけこんだ犯罪者集団が
アゼルバイジャン、アルメニア、ウクライナから続々と侵入していた。
イェスバーセン発言は
中東移民による度重なるデンマーク女性の輪姦及び、
デンマーク法をイスラム法に合わせるべし
―― 女性に対する戒律、死刑復活、窃盗罪の多面化 ――
との要求に堪りかねてものだった。



ヨーロッパは肝をつぶした ―― “ミズ” ・イェスバーセンに。
「迅速かつ凄まじい」 反応だったと、ヘンリク・ベリングは 『ポリシー・リヴュー』 で述べた。
EU 人種差別及び外国人嫌悪監視当局がただちに調査を開始した。
だが社会福祉費の 33% が人口にしてわずか 4% の非西洋系移民のために使われている国だ。
国民は当局にそっぽを向き、徐々にカレンに賛同を示しつつある。



   
  
   EU 諸国で極右政党が圧勝しはじめていますね。
   諸手を広げて中東難民を受け入れていたドイツでさえ、
   ついに、根をあげて制限を始めましたし。
   極限まで来て、ようやっと人々は洗脳から目覚め出したのでしょうか・・・
   



何か活力ともいうべきものがヨーロッパから消え失せてしまった。
1964 年の著書 『西洋の自殺』 において、冷戦戦略家ジェイムズ・バーナムは、
帝国滅亡・文明消滅を甘受するヨーロッパ人の思考様式を看破した。
曰く 「西洋の自殺志向」。
どうやらこの病気は流行り病となったようだ。



保守派が
自分たちの文化・文明を脅かす革命に敢然と立ち向かわなかったのは
なぜなのか

理由はいくつか挙げられる。



まず初めに、
ゴールドウォーターやレーガンの門下生らが冷戦に負けるとの思い込みから
政治にどっぷり浸かっていたこと。
文化闘争の準備どころではなかった。
そしてレーガンの大統領就任、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦崩壊を経て、
彼らを一つに結束させていた大義が消滅してしまった。



さらに、政治・ジャーナリズム・放送各分野において、
歴史や哲学、倫理学よりも
圧倒的に経済と外交に詳しい保守派が大勢を占めるようになった。
ある賢人がいみじくも
「共和党がこの世に存在するのは減税のためのようだ」 と語ったが、
実際、当時はそれが唯一の存在価値に見えた。
倫理や文化に関し正式な教育を受けていない彼らは、
その手の論争に居心地の悪さを覚え、
関心もなければ政治の範疇ともみなしていなかった。
故リチャード・ウィーヴァーはこうした保守派を念頭に置き、
「社会の伝統が次々損なわれてゆくのは、それ本来の欠点のせいではなく、
国防のことしか頭にない・・・愚鈍で不器用で怠惰な人々のせいである」
と述べた。



倫理・社会・文化論争に直面した保守派は即退却、
居心地の良い税と国防の地に転進した。
だが、とっとと終わってくれとの保守派の熱望にもかかわらず、
文化闘争は一向に終わらない。
なぜなら、トロッキーの言ったように、
「君は戦争に興味がないかもしれぬが、戦争のほうは君に興味がある」 から。



二つめとして、若者がほとんどの時間を費やすもの
―― MTV やプライム・タイム、映画、雑誌、学校、大学 ――
を牛耳ることにより、革命派が若者の価値志向を形成できるようになったこと。
ミュージシャン、俳優、脚本家、ソングライター、ポップシンガーの大半は革命側だ。
この圧倒的破壊力の前には
新聞の辛口批評家も、ラジオやテレビのトークショーの司会者も太刀打ちできない。
持っている武器弾薬の数が違う。
しかも革命側の提示するエンターテインメントははるかに魅力的 ――
かくして伝統主義の親を持つ子供もみな寝返った。
やがて、成長した彼ら放蕩息子や放蕩娘は、しょんぼりと親元に帰ることになるのだが。



半世紀前、文芸批評家ライオネル・トリリングはこう評した。
「当節、合衆国では
リベラリズムが支配的であるばかりか唯一の知的伝統とまでみなされている。
それもそのはず、きょうび保守・復古主義を唱える運動は皆無なのだから」。
多少の誇張はあるにせよ、この指摘は確信を突いている。
また、60 年代以降、文化人及びオピニオン・リーダー層
―― 知識人、社会批評家、教師、ジャーナリスト、作家、官僚、芸術家 ――
の人口爆発が起こる。
突如、保守派は首位陥落、というより、ほぼ制圧されてしまった。
クレイン・プリトンは著書 『革命の解剖』 で、
「明らかに不安的な社会」 の兆候の一つとしてインテリ層の急増を挙げる ――



   (インテリの大群が)
   既存の慣習及び社会・ビジネス・政治における望ましい変化に猛攻を加える。
   こうしたインテリ層は、喩 (たと) えて言うなら白血球 ――
   血液への外敵侵入を防いでくれるが、ときとして異常増殖を起こす。
   そうなると人体は病魔に冒された状態だ。



プリトンの定義によれば、アメリカはその 「病魔に冒された状態」 に近かった。



三つめ。
中道派が存在し、結局は妥協点を見出す一般政治と異なり、
文化闘争はゼロサム・ゲームだということ。
一方の得点は他方の失点。
何につけ穏健な妥協案模索を好む政治家に対し、
中絶・自殺幇助・同性愛者同士の結婚、
どれをとってもイエスかノーの二者択一を迫る問題だ。
とりわけ政治を血を見るスポーツと考えていない共和党は、
批判理論の得意とするレトリックを駆使した容赦ない攻撃には
対処しきれなかった。



昔の政治は
「矜持 (きょうじ) を持った」 与党と
「警鐘を鳴らす」 野党の鍔 (つば) 迫り合いだった。
文化闘争では常に改革派が攻め、伝統派は防戦一方である。
「軍隊は平和のためにではなく戦争のためにある」 と書いたのは、
新進気鋭の文化革命論者、アドルフ・ヒトラーなる人物だ。



30年に及ぶ闘争の目的は、
司令塔たつ連邦最高裁掌握に向けての戦いとも言える。
ニクソンの指名した判事のうち
クレメント・ヘインズワース、ハロルド・カーズウェルの二人は
誹謗中傷を受け任命拒否された。
レーガンの指名したロバート・ボークとダグラス・ギンズバーグも拒否された
―― 後者は法学者でありながら軽率にもマリファナを吸ったせいだが。
ボークの名 (Bork) は、
指名者の評判を貶め公職への任命を拒否するという意味の新語にまでなった。
ジョージ・ブッシュの指名したクラレンス・トーマスも批判の矢面に立たされた。



こうした保守派の法律家に対する無慈悲な殺生 (せっしょう) とは対照的なのが、
クリントンご指名のスティーヴン・ブライアー、ルース・ベイダー・ギンズバーグに対する
下にも置かぬ扱いだ。
両者ともにぜひにと乞われ、難なく任命を承認された。
民主党は後援者えさえ理解しているのに、
おめでたいことに共和党議員にはこれが闘争だとの認識さえない。



「政治は水際で食い止める」、「パルチザンシップは長続きせず」 は今や死語。
文化闘争とは、毛沢東曰く 「終りなき革命」 なのだ。
サウスカロライナ、ジョージア、フロリダの南軍旗が降りたら
戦線はミシシッピへと移動する。
すべての旗が降りたら次は銅像、肖像画、校名。
ディキシーの英雄に対するすべての公的敬意が永久追放されるまで続く。



四つめ。
30年に及ぶ迫害がクリスチャンの士気をくじいてしまった。
『聖メアリーの鐘』 や 『ベルナデットの歌』 の時代と違い、
今のテレビドラマや映画の描く牧師や神父は、
みだらな偽善者か時代遅れの頑固者のどちらかだ。
世間の嘲笑の的となってしまった家族中心主義を
誰が標榜できようか。
その他もろもろの社会慣習同様、教会もまた絶えず戦火に晒され
戦争神経症の兆候を示しはじめた。
中絶・同性愛問題をめぐる内部不和、
女々しいテレビ宣教師や性倒錯神父のスキャンダルに頭を抱えるその姿に
もはや昔の面影はない。
筋肉組織同様、使わぬ威光は委縮し壊死する。
部分分娩中絶
―― モイニハン上院議員曰く 「幼児殺し」 ――
禁止法案に対するクリントンの拒否権発動をカトリック議員が支持した件に至っては、
ビウスⅫ世時代に比べ教会の権威も地に堕ちたと断ぜざるを得ない。



絶え間ない糾弾
―― 人種差別、性差別、同性愛者排斥、偏狭 ――
に伝統主義者の士気も萎えた。
このまま闘い続けるのは耐え難いと感じた彼らは敗北を認め、泣き言を言いだした。
ジョージ・ブッシュの国に住むくらいなら亡命すると脅し文句を吐いたハリウッド・スターのように。
結局、クリスチャンが抵抗を示す場所は投票所の小さな空間だけになった。
が、たいていの場合、投票者同様、文化闘争はもううんざりという人が選ばれる。



2001年、アメリカン・エンタープライズ・インスティチュートの夕食会で
最高裁判事クラレンス・トーマスは抵抗の大商がいかに大きかったかを語った。
「活動的市民はえてして悪質な攻撃を受けがちだ。
卑しいだの、人種差別主義だの、アンクル・トムだの、同性愛嫌いだの、女性蔑視だの、
さまざまな汚名を着せられる」。
こうした攻撃が常態化すると、
「われわれは互いにあら捜しを始める。
が、それは礼儀ではない。卑怯な行為だ」。
連邦判事として
アファーマティヴ・アクション及び強制バス通学の有効性に疑義を呈した彼を、
黒人指導者は 「反逆罪」 だと非難した。
トーマスは彼らの目的は 「脅し」 だと言った。



脅迫者はクラレンス・トーマス追放には失敗したが、
負け犬のように尻尾を振る保守派の駆逐には成功した。
彼らはうまく歩調を合わせたいだけなのだ。
が、常に一方だけが要求を突きつけ戦闘態勢を構える文化闘争において、
そうした態度は果てしない後退と最終的敗北を意味する。



五つめ。
神の国の人々は統治者を敬い従うよう育てられる。
ウォーレン、ダグラス、ブレナンら革命判事は
沈黙の世代の生来の保守的気質を当てにしていた。
多くの国民は彼らの示すラディカルな判決に激怒しつつも従わねばと思った。
なんといっても最高裁だ。
政治が憲法に則って行われる限り、アメリカ人はそれに従う。
自明のことだが、保守派とは謀反を起こさぬ者をいう。
もっとも、建国の父たちも窮地に陥るまでは造反者ではなかったが。



最後に、今の若い世代にとって文化革命は革命でも何でもないということ。
街を闊歩するゲイもポルノも中絶も、
テレビや映画の馬鹿話も、ポップ・ミュージックの口汚い歌詞も、
物心ついたときから常に周囲に存在する。
別にどうってことはない。
たいていの若者は、
昔のアメリカがいかにひどい国だったかという当世の常識を受け入れている。
伝統文化のほうこそなんだか奇怪に思える。
彼らは金をかけて高校、大学と進み、そこで教わる歴史やヒーローの話を真に受けた。
「おまえらの子を一人残らずさらってやる!」。
60年代過激派は中産階級に向かって吠え立てた。
そして実際やってのけた。



また、不寛容な新文化エリートにとって、保守派の欠点は保守派であるということだ。
1770年代にはワシントンやジョン・ハンコックら保守派の政治家でさえ、
パトリック・ヘンリー、サミュエル・アダムズのごとく反逆者にならねばと
決意するときがやってきた。
ロベスピエールやボナパルトのフランス革命進行中に
エドマンド・パークがいたのは幸いだが、ネルソンやアイアン・デュークも必要だった。
コラムニストで 『中道からの革命』 の著者サム・フランシス博士によれば、
「文化闘争に勝つために必要な心構えは、
何かを 『守る』 ために戦うのではなく、
何かを 『打ち壊す』 ために戦うと考えること」 ――



   メディアや教育機関、芸術や娯楽産業を含む文化機構等、
   社会基盤における支配的勢力は、
   われわれの伝統的生活様式を守る気などないどころか破壊策まで練っている。
   あるいはどうなろうとかまわないと考えている。
   それを肝に銘じておかねばならない。
   今後文化を守らねばならない事態がきたら、
   攻撃者である支配勢力を負い落とすことが肝要だ。



生まれ育った国と文化を愛するわれら伝統主義者は
ここへ来て次の問いにぶちあたる ――
わずかな文化の残骸を死守するのか、
それともすべてを取り戻そうと試みるのか。
このまま保守派でいてよいのか、
あるいは反革命派となって支配的文化を打倒するのか。



文化革命を単なる政治問題と考える人々はこのあtりが理解できていない。
この革命は国家終焉を意味する
譲歩はありえない。
敵の容赦ない言葉選び
―― 過激派、性差別主義者、人種差別主義者、同性愛恐怖症、
移民排斥者、外国人恐怖症、ファシスト、ナチ ――
が深刻さの度合いと抵抗分子の見方を物語っている。
正真正銘の革命派にとって、右派は単なる反対派ではない
―― 悪そのものなのだ。



1994年の共和党勝利に際し、
黒人指導者ジェシー・ジャクソンの述べたコメントはこうだ。
「全米が嫌悪と傷心に包まれている。
これが南アフリカで起きたならアパルトヘイト、
ドイツならナチズム、
イタリアならファシズム
と呼ばれるが、この国では保守主義という」。
ブッシュ氏がフロリダの再集計を制した際のジャクソンの台詞は
「ジョージ・ブッシュが勝つとしたらナチス的作戦による・・・
今すぐ街頭に練り出し、ブッシュを失墜させるためには何だってする、
決して彼の勝利は認めない」



ジュリアン・ボンドにとってアファーマティヴ・アクション批判派は 「ネオファシスト」。
アトランタ前市長メイナード・ジャクソンにとって南軍旗は 「鉤十字 (ハーケンクロイツ)」。
マクシーン・ウォーターズ下院議員にとってジョン・アシュクロフトは 「人種差別主義者」。
ミズーリ州議員ウィリアム・クレイはアシュクロフトを指名したブッシュ氏の決断を
「KKK が人種関係の改善を図ろうとするようなもの
―― 輪縄と燃やした十字架で黒人に接触を試みたように」
と評した。



保守派をナチス、クラン呼ばわりする手法は
ゴールドウォーターの選挙戦をヒトラー主義台頭の兆しと公言した
キング牧師時代に遡る



こうした虚偽宣伝は今や一般的だ
なにせコストがゼロ
黒人指導者を叱りつけるジャーナリストもほぼ皆無



なぜならたいていは保守派に悪感情を抱いているか
あるいは右翼の権威失墜を目指し
保守派への不寛容を説いたマルクーゼの信奉者だから




敵をナチス、ファシスト、クラン呼ばわりしても何ら罰則はない。
あわよくば利益が転がり込む。
相手を仲間からつまはじきにし、前評判を落とし、
方針演説より人格弁護に奔走させる。
さらに心理的うまみもある。
なんといってもナチスやクランに敢然と立ち向かう方が、
デニー・ハスタートやディック・アーミーに立ち向かうより
はるかに勇ましいではないか。
敵を悪魔的に見せれば見せるほど己は 「英雄視」 される。



右派の悪魔か化に関しては左派もさまざまなでっちあげを工夫する。
少年時代、アーカンソーの黒人教会が差別主義者に焼き討ちにあったと
クリントン氏は怒りもあらわに述懐するが、そんな事例は存在しない。



愛する姉を肺癌で亡くし、ビッグ・タバコとの決別を誓ったとゴア氏は涙ながらに語る。
しかしあとで知ったことだが、
その後も彼とビッグ・タバコの懇 (ねんご) ろな関係は続いている。
さらにこの誇大妄想狂は、
インターネットを発明したのもラブ・カナル
(毒性産業廃棄物の捨て場。ここから漏れた毒物が周辺の飲料水源に達した)
を発見したのも自分で、
妻ティッパーとの学生時代の熱烈なロマンスが 『ある愛の詩』 の下敷きいなった
とおっしゃるが、真偽のほどはタバコの一件で明らかだ。
まあ、ゴアの頭の中では現実に起こったのかもしれないが。



ジェシー・ジャクソンはフロリダの法廷闘争を
セルマ (1965年の大規模な非暴力公民権デモの中心地) に見立て、
共和党側弁護団をブル・コナー率いる警察犬と警官隊に ――
そして自身をセルマ橋の英雄になぞらえた。



「ぼくはコーヒースプーンで自分の人生を量って生きてきた」 と嘆くのは
T・S・エリオットの詩に登場する J・アルフレッド・ブルーフロックだ。
われらが文化エリートもそうやって生きてきた。
が、彼らは日々、最後の砦である心理面でナチやファシスト、クランをいたぶり続けている。
さぞかし爽快なことだろう。
今日の革命主義者にとって、バートレット大統領の 『The West Wing』
(訳註: ホワイトハウスを舞台にした政治ドラマ、
邦題は 『ザ・ホワイトハウス』)
は現実世界なのだ。



ポーズだけの政治は何の痛みも伴わない。
ミズ・ソンタグの書いた一節を再度考察してみよう。
「白人は人類史における癌である・・・
どこかで興った独自の文明を叩きつぶすのは・・・いつも決まって白人である」



「白人」を 「ユダヤ人」 に置き換えてみるといい。
まるで 『わが闘争』 の一節だ。
ソンタグがここまで罵倒した相手がユダヤ人だったとしたら、
そこで彼女のキャリアも終わったに違いない。
だが 「白人」 に対する馬事雑言は、
米軍捕虜虐殺の繰り広げられる 1968年のハノイ訪問同様、
彼女の名声に何ら悪影響は及ぼさなかった。
やがてソンタグはマッカーサー基金賞を受賞、
最近の調査では同時代の最も尊敬すべき知識人に選ばれている。
もっとも、
『ラディカル・ショック』 や 『虚栄の篝火 (かかりび)』 で名を馳せたトム・ウルフは
ソンタグについて疑問を投げかける ――



   誰だ、この女は。いったい何者?・・・
   マックス・ウェーバーか・・・アーノルド・トウィンビーか。
   実のところ彼女は、抗議集会に出ては演壇に突進して
   退屈な話をくどくどと撒き散らすことに人生を費やし、
   『バルチザン・リヴュー』 誌上に身障者用駐車スペースを確保した
   単なるへぼ文士の一人である。



ウルフによれば、ソンタグは
マクルーハンの 「義憤は愚者に威厳を賦与する」 という説の正しさを
「実証しようと血眼になって」 いたとのことだ。

          ◇


目 次
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2016-08-15 )

日本版まえがき
序として

第一章 西洋の遺言
第二章 子供たちはどこへ消えた?
第三章 改革要項
第四章 セラピー大国はこうして生まれた
第五章 大量移民が西洋屋敷に住む日
第六章 国土回復運動
レコンキスタ
第七章 新たな歴史を書き込め
第八章 非キリスト教化されるアメリカ
第九章 怯える多数派
第十章 分断された国家
著者あとがき
監訳者解説



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