(Ⅳ) 古田博司著 『新しい神の国』
目次
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )
GAMMA RAY
Rebellion In Dreamland (2009)
この動画を見ると、日本人はどれほど容易く “自由” とか “個人の権利” とかを手に入れたかが
とてもよく分かります。
諸外国では、民衆が王を倒して、それを手に入れるか、あるいはアメリカのように過酷な移民を
断行してそれを手に入れるか、はたまた中国やロシアのように、いまだそれを持っていないか、
イスラム圏のように、今、それに目覚め始めたとか・・・
第8章 新しい神の国
1. 天皇が大好きな韓国人
2. 天皇をうらやましがった中国人
3. 存在すること自体にある美しさ
4. 裏切りつづける怨恨共同体
5. ポスト近代の新しい神々の国
4. 裏切り続ける怨恨共同体
近代という時代を今振り返ってみれば、
少々教科書的になるが、国民国家の形成ということがまず一番の課題だったのだろう。
共通語を定め、それで国民を教育し、官僚を育て、常備軍を持つ。
地方ごとにばらばらだった人々を一つの国民に育てるのに、核となり、触媒となるものが必要だった。
そのような意味では、
近代とはつとめて一神教的な時代であり、自分たちの共同体の正統性の根拠をみなが求めた。
ヘーゲルなどは 『法哲学講義』 のセクション 358 で、
自分たちの絶対精神を 「北欧のゲルマン民族である」 とはっきり言っているし、
ハイデガーは、『存在と時間』 の第四章で 「共同体の民族の生起」 と言っている。
日本人が選んだ道は、天皇を核とする立憲君主制であったが、
それは国学や水戸学、ドイツ渡来の有機体国家論などにより、後に思想的にどんどんと補強されて、
国体思想が形成され、やがて大和民族の神聖国家のような有り様になってしまった。
そこで日本には今でも、「天皇制」 の過去がどうしても許せないという人々がいる。
日本共産党の 32 年テーゼから始まり、
「天皇制」 を打倒してこそ日本人は絶対主義から解放され、個人になり得るのだと説く人々。
戦時中に、天皇の名の下に徴兵され、軍隊で酷使されたことを未だ怨む人々もいる。
明治以降、天皇を現人神にしてしまった国家神道を嫌悪し、
靖国神社はその末裔であるからいけない、そう思っている人たちがたくさんいる。
しかし、筆者はそのような議論にはいずれも与しない。
そのような人々は、
かつて朝鮮戦争は米韓軍の北侵だと主張して北朝鮮を正当化し、
単独講和反対や安保反対を唱えて日本を共産主義勢力に包摂しようと企て、
戦争反対・文革万歳を叫んで中共の侵略的本性を糊塗し、
北朝鮮の拉致は存在しない、核実験しない、ミサイル飛ばないと大合唱をした
進歩的文化人や、良心的知識人に連なるのであり、
筆者が青壮年期を送った冷戦という時代を振り返れば、
それらの人々の責任の方が大いにあると考えられるからである。
かつて悔恨共同体という言葉があった。
敗戦後、進歩的文化人や良心的知識人の間で、
戦争を止められなかった自責の念と、
戦後の日本をあらたに作らねばならないという責任感の
入り混じった感情の共同体が形成されたのだという。
その結果、多くの左翼知識人サークルが雨後の筍 (たけのこ) のように生じた。
横田喜三郎・石母田正らによる民主主義科学者協会、
大河内一男を理事長とする二十世紀研究所、
都留重人・鶴見俊輔・丸山眞男らによる思想の科学研究会、
安倍能成・務台理作らによる 「心」 グループ (生成会)、
河合栄次郎の弟子や友人のグループから発展した社会思想研究会、
大塚久雄・丸山眞男・川島武宜らの 「社会科学の思想」 グループ・・・。
これらの多様な集団が解体していくのと同時に、他方では専門の学界が逐次形成されていった。
石田雄は後年、この頃の隆盛ぶりを、
「社会科学において専門学会が全面的に成立するのは、
研究の自由が確保され、
『悔恨共同体』 の中で大学別をこえた知的交流が急速に発展した戦後期においてである」
( 『日本の社会科学』 東京大学出版会、1984 年)
と、回顧している。
しかし、それらがかつて背負っていた気概ある 「悔恨」 は、今日いずこに飛び去ったのであろうか。
低迷する社会科学が、反省なき 「悔い」 を慣性として引きずっただけではないかったか。
悔恨共同体の失敗は、
戦後日本の資本主義の発展を過小評価したことであり、
共産主義への憧憬があまりにも強すぎたことが
第一点としてあげられるだろう。
第二点は、
1925 年に既に普通選挙法を実施するまでに民主的であった本来の日本を、
1930 年代のファシズムへの憎悪があまりにも強く、
このイメージで塗り込めてしまったことである。
彼らは GHQ に集まった統制経済専門のニューディーラー同様、
日本に民衆の根は本来なく、新たに植えつけねばならないと誤解した。
第三に、日本の民衆の力量を過小評価した。
彼らの多くは名門や名家の出であり、
ハビトゥスゆえの言辞は以下のように、彼らの言説に散乱している。
たとえば、
大塚久雄がどっかで、
自分は大衆を愛するし、大衆が歴史の主体だということを承認するけれど、
現実の日本の大衆に会った時、
どうしてもこの大衆と一緒に、生涯をかけて進むことは、躊躇とつらさを感ずる、
ということを書いていたが、
大塚の考えを誤解をおそれず、率直によく表現していると思う。
(久野収・鶴見俊輔・藤田省三 『戦後日本の思想』 岩波書店、1995 年。
引用は座談における久野収の発現)
彼らは
日本の民衆がどんなに頑健で、
天上でものを語るような日本の知識人をどんなに心のなかで軽蔑しているか、
知らないのであろうか。
どちらもどちらと言うほかない。
結局、彼らの 「悔恨共同体」 は、戦後日本の資本主義興隆のうねりの中に埋没し、
高飛車な民主主義の移植は民衆の自生的な民主と人権の伸張に取って代わられた。
北朝鮮の拉致事件に激怒したのは、彼らではなく、日本の民衆だったではないか。
そして彼らとその弟子たちは、当初の社会科学の興隆にもかかわらず、
この後、社会科学上の予知を悉 (ことごと) くはずして今日に至るのである。(←ぬふふふw)
かくして悔恨共同体の語彙自体が風化し、その実態なるものがもはや想起できなくなった現在、
後に残された石つぶてのような固い痼 (しこ) りは
悔恨共同体ではなく、怨恨共同体となってしまったと言わざるを得ない。
彼らはこれまでの社会科学が科学でなかったことをほぼ実証したのだが、
それらを顧みることなく、そのようになってしまった社会自体を怨んだのだった。
5. ポスト近代の新しい神々の国
につづく。
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(1779) 第8章(4)裏切りつづける怨恨共同体
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