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(1750) 第3章 (3)愛国心とナショナリズム (4)贖罪の宣伝戦

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Fuel (Live-オーストラリア・ブリスベン) (2013.02.08-up)





(6) 古田博司著 『新しい神の国』

目次
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28 )

第3章 贖罪大国日本の崩壊

1.戦後日本の「愛国しない心」
2.韓国での俳外体験
3.愛国心とナショナリズム
4.贖罪の宣伝戦

5.「倫理の高み」にのぼった中共
6.軍民二分論の破綻
7.韓国人の中国人評
8.朝鮮への贖罪工作
9.良心的知識人たちの「善意」
10.贖罪大国の崩壊



3.愛国心とナショナリズム


なぜ日本の左翼の人々は、愛国心とナショナリズムを混同するのであろうか。

こういうのを俗に、落ち武者はすすきの穂にも怖(お)ず、というのである。

実際、両者のあいだには、愛国心が性癖だとすれば、ナショナリズムは狂気ともいえるほどの差がある。

前者は自覚すれば永遠のものであるし、後者は無自覚のままで半世紀あまり続いて終わる。


第一、彼らが大好きな丸山眞男先生がおっしゃったように、「日本はナショナリズムにおいてすでに処女性を失っている」のであり、もう二度と無意識でそれが起こることはないであろう。

韓国であのような狂気に巻き込まれた筆者としては、個人的にもナショナリズムなど絶対に御免である。


また最近、2ちゃんねらー系の「ナショナリズム」を云々する人もいて、それをアイロニズムの消尽の果てに生ずる、ロマン的意匠を施された、確信犯的ナショナリズム以上の「厄介な(そして危険な)政治的
投企」(北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」『世界』2003年111月号)だと批判している。

しかしこれは恐らく、日本文明圏に特徴的な「茶化し」から生じているのであり、西洋思想の文脈では
なく、日本の歴史的個性から再考すべき事柄だと筆者には思われる。

これについては後述することにしたい。


とにかく愛国心はナショナリズムとは異なり、個人の問題であり、持ってもよいし持たなくてもよいし、教えられて発現する類のものではない

教えられて容易に発現するのは、「愛国しない心」の方であろう。

そしてそうであることは、戦後教育により見事に実証され、今の日本に日本嫌いのインテリたちが多数
居住することになったわけだ。

しかし祖国が危機に陥れば、民衆の個々人は自覚して愛国心をちゃんと諊(きく)してくるものである。


これが日本の現況であり、大学やマスメディアのインテリたちがいくらナショナリズムの危険を叫び、左翼の大本営的幻想を流そうと、北朝鮮がミサイルを日本に撃ち、核実験を行い、韓国の親北政権や中国の独裁政権がこれを物資で支援しているという状況は祖国の圧倒的な危機なのであり、愛国心に目覚めるものが増えてくるのは抑えようもない民族の底力ではないか。

私はこのような健全な民族性は、もっと誇ってよいと思っている。


しかしこのようなことを声高に言うと、彼らは必ずこちらを日本ナショナリズムの発揚と捉えて撃ってくるのである。

彼らにとって、日本のナショナリズムこそがかつて半島や大陸を侵略した元凶なのであり、それを押し
とどめることが正義だと考えるからであろう。





4.贖罪の宣伝戦


そもそも反日日本人倫理のネタ西洋革命思想東アジアへの贖罪から密輸入してきたのは(←笑い転げるw)、1950年代末のことであった。

それまでの日本人は戦争の災禍が甚だしく、自らを被害者としか認められなかった。

当時彼らは、社会主義による近代化を信じていたので、中国は戦禍をこうむったがそこから建設のエネルギーを汲み取ったと見た。(←毛沢東の、裏庭でナベやシャベルまで溶かす鉄鋼生産?!の「大躍進政策」とかねw)


それにひきかえ、日本はこれまでの資本主義による近代化を惨敗として意識しないため、戦争のおかげで東アジア諸国は独立を勝ち得たのだという、侵略の過去を合理化するプロセスに落ち込んでしまったと考えたのである。

そして商業誌を中心に、日本こそが戦争の加害者であり、贖罪するべきだると猛烈な宣伝戦を展開した。


1958年は彼らの工作元年とでもいうべき年であり、まず『世界』の2月号に、風見章(当時、社会党衆議院議員)の「日中国交回復の現段階」というインタビュー記事が載る。

聞き手は編集長の吉野源三郎であった。

風見は戦前、第一次近衛内閣の内閣書記官時代に、ソ連スパイのゾルゲ事件で逮捕処刑された尾崎秀実を、嘱託として近衛に推挙した人物である。


内容は、日本人が「罪を謝して、新しい友好をうち立てなければならない相手」は、台湾の蒋介石政権ではなく、中国民衆の支持を得た中共の毛沢東政権だ、ソ連と国交回復した現在、中共との国交回復をめざすべきだというものである。

しかしこれはおかしな話であり、大陸日本軍が戦ったのは、じつは毛沢東の軍隊ではなく、蒋介石の軍隊であった。

中共日本と戦う前に、すでに延安に逃げ去っていたのである。


つづいて5月号では竹内好・石田雄・堀田善衛・加藤周一の座談会「アジアのなかの日本」が行われ、「アジアの加害者としての日本」が初めて爼上に上る。

ここには、戦争の責任は日本民衆ではなく、日本軍閥だと中国が言ってくれたという、例の恩着せの軍民二分論がすでに見られるし、東アジアの価値観に接近しないと日本は世界の除け者になるという「日本孤立化」の煽りも見られる。

戦後の日本の不道徳の根源は「天皇制」にあると、竹内好が豪語しているのも甚だ印象的である。


だが、その言説は理性的でなく、よくわからない。(←www)

竹内は戦時中歩兵だった経験があるのであり、同じく召集された渡邉恒雄が「戦時中、天皇の名において、憲兵や配属将校に威張られ、軍隊では朝晩ぶん殴られたから天皇制反対だよ」(小津貴監修・聞き手『渡邉恒雄回顧録』中央文庫、2007年)といっている、感情の吐露の方がおそらく彼らの本音なのだろう。


そして1960年5月号の『世界』に、日本軍による中国人強制連行が無署名記事で初めて登場した。

また、東アジアへの「認罪」という言葉が初出するのは、次の6月号からである。

始めは「贖罪」ではなく「認罪」と言っていた。

当時の日本人にとって、贖罪など思いもよらなかったからである。


象徴的なのは、武田泰淳が1958年6月号で「私のひとりごと――日中貿易交渉をめぐる感想」と題し、「1958年、今の今、中国と称すべきものは、中華人民共和国のほかにあり得ない」 「台湾政府なるものは永続しないと思う」 「中国、朝鮮、日本は、やがて一つに合体するであろうと、私は思う」 「いろいろのアジアのものごとも、やがて消滅して一つのもっと新しいまとまりにまで発展して行くであろうことは、火をみるより明らかである」と、書いていることである。


これは近衛文麿周辺の尾崎秀実ら昭和十年代半ばに唱えていた東亜諸民族共同体による「東亜新秩序」というイデオロギーの延長上にあるものであり、中共の勢力に日本を包摂せしめようとする思想工作の一員として、今日の中共版「東アジア共同体」まで脈々と連なるプロパガンダの典型と見ることができる。


1958年の『世界』10月号では、「『静観』は許されるか――断絶せんとする日中関係」という大特集が組まれ、竹内好の論稿「中国観の破産」を載せている。

ここには、「日本民族の恥辱である侵略の歴史をぬぐう責任から自分を解除してしまった傾きはなかったか」という問いかけがあり、彼らの唱える「贖罪」が、「恥辱の祓い」のつもりであったことが明確にわかる。

この祓い感覚がやがて暴力に繋がっていくことを、われわれは後に中核派や東アジア反日武装戦線の行動に見ることになるだろう。


さらにこの号では、現下の「日中関係について私はこう思う」という大アンケートに続き、「資料 中国は日本をどう見ているか」と銘打ち、人民日報の日本問題論評を20頁にわたり掲載した。

誌面はさながら中共の宣伝媒体のごときであった。


加えて興味深いのは、同号に掲載されたアジア通信社提供の「中国の新しい息吹き」と題するフォト資料である。

河南省浚県衛賢郷のボール・ベアリング工場なるものが写されているのだが、空き地に中世風の荷車をならべ、その木製の車輪軸に上半身裸の土俗的な民衆が鉄のたがをはめているだけなのである。

一体どこがボール・ベアリング工場なのか。

虚心で見ればわかるものが見えない。

プロパガンダとは、そのように恐ろしいものである。



NEC_0004.JPG
ボール・ベアリング工場(『世界』1958年10月号より)




5.倫理の高みにのぼった中共
6.軍民二分論の破綻
に続く。






参考

「大躍進政策」で国民が餓死した
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-30 )

9.農民が鉄鋼の生産もはじめた
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-02-01 )

あと、米の収穫期の「スズメ」の被害対策として、何百万だか何千万だかの人たちが、一斉に、カネやタイコなどを叩いて、スズメを地上に降りさせないようにすればいいという、毛沢東の政策(笑)をやっているイギリスの映像があったのですが、ストックしなかったので、残念ながら探し出せませんでした。

それでも日本より中国の方が優れていて近代的だと、思い込めた人たち。

あな、恐ろしや、プロパガンダ\(◎o◎)/!

ちなみに当時の日本は、本当の近代化の高度経済成長期に突入していて、公害も発生してはいましたが、まさか、昨今の中国の公害・汚染には、はるかに負けてますねぇ。




 


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