私は〈文学〉というものが全く分からない。何をもってして〈文学〉というのか???
そこいくと数学などは、答えの大半が一つだから、非常に分かりやすいw
その私が文学を語るのはおこがましいのだけれど、近年の文学は、ポップカルチャーとの線引がなくなった感がある。やはり、ああいったものは、何らかの制約、貧困だとか、身分だとか、「女だてらに」なんて言葉が幅を利かしているとか、電車どころかバスさえ満足に通っていなかったド田舎だとか、つまりは、人間が人間だった時代、あるいはまだそんな“制約”がある途上国や後進国などの方が、より豊かで高尚な文学が生まれ得るのではないだろうか。
日本のように、こう平和ボケしてる中からは、ホンモノそっくりで触ってみないと分からないような造花しか咲かないような気がする。
若者の屈折などを書いたとしても、それはごく少数の一部分でしかなく、大衆に共通する時代の悩みなどではない。大半の若者は親のスネで着飾り、半径20cmくらいのスマホの中に生きていたりする。
親の反対や身分の違いなどでハムレットが生まれることもないし、ホモセクシャルで悩むこともない。一家心中しか生きる術がない貧困を枯れ果てた涙で身売りする娘もいない。
昔、〈4畳半文学〉なんてものがあった気がする。千利休も、ちっこ~い部屋の中でお茶をたてて喜んでたらしいけど、その狭い部屋が全ての世界から、凝縮したものが生まれたのだろうか。
そうすると半径20cmの世界からも何かが生まれても良さそうだが、一時期、〈ケータイ小説〉なんてものが流行ったっけねぇ!!
まあ、元々が、アインシュタインが原子爆弾の想定外の威力にビックリ仰天しちゃって、その後は〈核反対・平和運動〉なんてものをやったのと同じく、それが〈爆弾〉なんてものに使われるとは夢にも思わなかった、ノルウェーのアルフレッド・ノーベルさんが、莫大な儲けは〈平和〉のために使うべしなんていう遺言を残して亡くなったので、その4年後から始まった〈ノーベル賞〉。
〈物理学賞〉〈化学賞〉〈医学生理学賞〉〈平和賞〉の4部門だけは分かるんだけど、〈文学賞〉ってのはどうも分からない。文学は平和に貢献出来得るかと定義したら、「否!!」と怒鳴りたくなっちゃうwww
つまりは、文学だけは平和ボケのお花畑の中からは生まれ出ないものに思えるから(^^;
そういう意味でも、翻訳本を世界中で売りさばいて金儲けしてる輩ではなく、今なお問題を抱えている中国の作家が文学賞を受賞したことは、個人的にとてもホッとした感があって、世の中、まだ捨てたもんじゃないな、みたいなw
つづく。
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(1648) いろいろと考えさせられるなあ・・・(^^;①文学は平和に貢献できるか
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