ANTHEM
Mob Groove (2006)
菅原正子著
『日本人の生活文化』
2008年2月20日発行
第一部 日本人の生活 -西洋と比較して-
第三章 くらしのなかの習慣
2 毎日の食事
(1) 食事の仕方
イエズス会の巡察師ヴァリニャーノにとって、日本の食事は異文化の最たるものであった。ヴァリニャーノは「日本諸事要録」第二章で次のように書いている。
衣食に関することは、本書の読者に理解していただけないほど極端に変わっている。
衣類は非常に美しく清潔で、我等のものとは、いささかも類似していない。
いわんやその食事の方法や料理、汁に至っては理解することは不可能である。
ことごとく清潔を保ち、その方法は重々しく、我等の食事とはまったく類似点がない。
すなわち、各人はそれぞれ一人ずつの食卓で食事をし、
テーブル掛け、ナフキン、ナイフ、フォーク、スプーン等は何もなく、
ただ彼等が箸(ハシ)と称する二本の小さい棒があるのみで、
食物にはまったく手を触れることなく、きわめて清潔、巧妙に箸を扱い、
パン屑一片といえども皿から食卓に落とさない。
きわめて慎ましやかに礼儀正しく食事し、
食事に関する作法についても、他の諸事に劣らぬ規則がある。
彼等が大いに愛好し、我等には有害なコメから作った酒のほかに、
食事の終わりには冬でも夏でも常に熱い湯を飲む。
これは、はなはだ熱く、少量ずつでなければ飲むことができない。
彼等の食物と調理法については、
材料の点でも、味の点でも、まったくヨーロッパのものと類似するところがない。
結局、彼等の食物に慣れるまでは多くの努力と苦痛を経なければならぬ。
ヴァリニャーノは、日本の食事に慣れるまでにかなりの時間を必要とした。
日本では箸を使うことは古代から現代まで変わらないが、ここで興味深いことの一つに、ヴァリニャーノがフォークを使って食事をしていたことがある。
というのは、ルイス・フロイス『日欧文化比較』第六章「日本人の食事と飲酒の仕方」1には、
われわれはすべてのものを手をつかって食べる。
日本人は男も女も、子どもの時から二本の棒を用いて食べる。
とあり、フロイスは手で食べているのである。
ヴァリニャーノとフロイスで食事の方法が違うのはなぜか。
実は、ヨーロッパでフォークが使われ始めたのは、イタリア、スペインでは16世紀から、フランス、ドイツ、イギリス、北欧などでは17世紀からであった。
1537年に描かれた「食事中のハンス・ルドルフ・デッシュとその家族」の画中のテーブルの上には、ナイフはあるがフォークはみえない。
ポルトガル人のフロイスは、1548年にポルトガルを出立してインドに行き、1563年に日本に来た。1548年のポルトガルではまだフォークを使わず手で食べていたことになる。
一方、イタリア人のヴァリニャーノは1573年までイタリアにおり、1574年にインドに向けてポルトガルを出立した。ヴァリニャーノがまだローマ等にいた1573年のイタリアでは、すでにフォークを使用していたと考えられる。
この1548年のポルトガルと1573年のイタリアの差が、フォークの使用に表れ出たのであった。
日本の食卓については、フロイス『日欧文化比較』に次のようにある。
われわれの食卓は食物をならべる前から置いてある。
彼らの食卓は食物を載せて台所から運ばれてくる。(第六章3)
われわれの食卓は高く、食卓布とナプキンがある。
日本人の食卓は方形で底の浅い、漆を塗った大型盆で、ナプキンも食卓布もない。(第六章4)
われわれの間では従僕が食卓を片付ける。
日本では食事をした貴人が、自分で自分の食卓を片付けることが多い。(第六章20)
ヨーロッパでは男性が高い食卓で、女性が低い食卓で食事をする。
日本では女性が高い食卓で、男性が低い食卓で食事をする。(第二章53)
日本では、ヨーロッパのテーブルと異なり、一人一人に自分の食卓である大型盆があり、自分でそれを片付けることが多いという。
最後の、女性が高い食卓で、男性が低い食卓で食事をするという記述は、まさにそれを描いたものが『真如堂縁起絵巻』(大永四年=1524年成立、真正極楽寺所蔵)第11段にある。
この11段は、安居院(あぐい)の禅尼専念が、灯油料として所領を寄進して室内繁盛したという話であるが、禅尼のそばには高さが30cmほどある食卓(衝重=ついがさね)があり、一緒に食事をしている息子らしき男性の前には、高さの低い折敷(おしき)が置かれている。
なぜ女性の食卓の高さが高いのかは、いろいろと理由が考えられるが、おそらく腕の長さが男性より短いとか、髪が長くて邪魔になるとか、そういう物理的な理由によると思われる。
(3) 料理人
ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。
日本では男性がそれを作る。
そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。
(ルイス・フロイス『日欧文化比較』第二章51)
中世の絵巻物では、台所で包丁を握っているのはみな男性である。(中略)
御伽草子の絵巻物『鼠草子』でも、鼠の権頭(ごんのかみ)の婚礼のために厨房で料理をしているおは、包丁で魚や鳥を切る男鼠、魚を焼く男鼠、味見をする男鼠など、男の鼠が多い。
中世では厨房の主役は男性であった。
いかがでしょうか。カルチャーショックにもだいぶ慣れてきたとは思いますが(笑)
ところで、『真如堂縁起絵巻』をくぐってみましたが、京都の極楽寺とやらに行って拝観しないと見れないというか、ネットにあるのは、やはり貴族・武士階級の合戦だとか、武具だとか、そんなものばかりで、ごく普通の日常生活を描いた絵などは見当たりません(笑)
それでヤフオクに飛びまして(笑)〔衝重〕(ついがさね)に近いものを見つけました。
なんか宴会が始まりそうな御膳ですけど、こんなようなものです。
貴族が使っていたのは、もう少し優雅な感じだったかも知れません。
これが庶民になると、〔箱膳〕というものになります。
箱膳。
これは箱のフタを引っ繰り返して御膳にして、食べ終わったら、茶碗やお箸を箱の中にしまって、フタを閉めるという、とても合理的で便利なものです。
こうなっています。
綺麗好きな日本人が、まだ水道もなかった時代、あるいは畑仕事が忙しくて茶碗を洗ってるヒマがなかった時などでも、ハエがたかったりしないで済みますね。
この箱膳は、農家などでは近年まで使っていたようで、母の子供の頃にもあったそうです。魚が大好きな家だったのですが、叔父は魚は食べても後の臭いが嫌いで、食べ終わると、箱膳ごと〔灰〕(洗剤なんてなかった時代の磨き粉)をつけてゴシゴシ洗っては臭いをかいで確かめていたそうで(笑)叔父の箱膳だけは塗りがすっかりハゲていたそうです。
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