一筆啓誅 NHK殿
(1) 感動した三月十一日放送の歌劇『古事記』
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(2) 若い世代のために再放送すべし
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-06-19)
(3) 「日本人は何を考えてきたのか」に見る恣意
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/)
『正論』2012年5月号より
一筆啓誅 NHK殿
皇學館大学非常勤講師
本間一誠
巧妙な騙しのロジック-無視された尊皇意識
例へば第一回から解りやすい事例を引いておかう。
福澤の『脱亜論』や中江の『三酔人経論問答』を巡っての出席者
(東大名誉教授 坂野潤治)
(岡山大学名誉教授 松永昌三)
(モデル 知花くらら)
の三氏の座談の後、次のやうなある意味で巧妙なナレーションが入る。
「明治二十二年(1889年)、大日本帝国憲法、所謂明治憲法が発布される。
天皇が国民に与へる形の欽定憲法だつた。
中江は与へられた憲法を人民の憲法にしなければならないと考へる。
『三酔人経論問答』では南海先生が熱弁を揮ふ」
と語り、同書中で南海先生が「回復の民権」と「恩賜の民権」について所見を述べる部分を引用した後、
「自由党に参加した中江は、与へられた恩賜の民権を人民の手によつて(下から進んで勝ち取つた)回復の民権とすることを訴へ、憲法の『点閲』を主張する。国会で憲法を点検し、修正を加へようとしたのだ」。
ここで問題になるのは、
福澤と中江の思想を取り上げながら、
一時間半といふ長い時間の番組の中で、
彼らの思想の中核にあった
尊王思想には
一切の言及がなかつたことである。
福澤にはよく知られた『帝室論』があるし、
また中江には『平民のめざまし』があり、
そこでは異口同音に、
天皇は
政府と議会の政治的対立を超越した
精神的権威
であることが強調されてゐる。
何となく中江を幸徳秋水との思想上の関連でイメージしてゐる人は、
彼が『平民のめざまし』において、
「別して我日本の天子様は、
神武天皇以来皇統連綿として絶ゆることなく、
御世毎に聡明仁慈に渡らせられ」
「御位の尊きこと世界万国例無き者なれば、
我輩が政府は傭人にて卑しと云へるは、
無論
内閣諸大臣を云ふことにて、
内閣が如何に屢々更迭するも、
天子様は一天万乗の君にて、
国会の未だ開けざる今日と既に開けたる二十三年後と
少も変る訳のものでは無いと心得べし」
と述べてゐるのを知つて驚くだらう。
「つまみ食ひ」である。
この事実をきちんと踏まへなければ、先のナレーションではあたかも中江が天皇及び日本の国体に疑念を抱いてゐたかに聞こえてしまふ。
そのやうに聞こえるとすれば大変な誤りと言はねばならない。
「ある意味で巧妙」と言つたのはこの点である。
上の引用からも分かる通り、中江が民権を回復する相手として弾劾したのはあくまで藩閥政府による有司専制であり、官尊民卑の風潮であつて、天皇ではない。
帝国憲法において議会の権限が弱いことに失望した急進的民権論者中江が、憲法の点閲を強く主張したのは当然ではあつたが、それはあくまで政府に対しての姿勢であつた。
この意図的な騙しのロジックには、何と言つてもナレーターが沈痛な声音になつて言つた「天皇が国民に与へる形の欽定憲法だつた」といふ一文が効いてゐる。
最初から欽定憲法は非国民的で遅れた憲法であり、国民の意思と天皇の意思とは対立するものだといふ、暗黙の大前提に立つての物言ひである。
この文脈の流れで聞けば中江は日本の国体に疑念を抱いてゐると誰しも思ふだらう。
このシリーズを通じて帝国憲法は一貫してかういふニュアンスで語られる。
戦後教育において帝国憲法は現在に至るまで飽きもせず、児童生徒の柔らかい頭に占領憲法との対比でその引き立て役としてのみ刷り込まれてきた。
罪深い虚構である。
「欽定憲法」はそんなに悪いのか。
『大日本帝国憲法制定史』(明治神宮編・サンケイ新聞社刊)は、「欽定」を説明して次のやうに述べる。
「『欽定』とは、外国の覇権者の独断決定などとは全く相反して、臣民の苦闘経験の結果が、全ての者の熱望として統合されて来た時に、それを天皇の精神的権威によつて、荘重に確認され公定されるといふことなのである」。
これが事実に則し、先入観を排した極めて冷静公平な見方といふものだが、残念ながらNHKには理解して貰へさうもない。
『日本といふ国や天皇が本当に嫌ひな人々』に続く。
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(1460) 一筆啓誅 NHK殿(4)巧妙な騙しのロジック-無視された尊皇意識
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