『正論』 2012年5月号より
歴史捏造への反撃
「日本は自衛のために戦った」
マッカーサー証言を取り上げた
都立高校教材の衝撃
歴史の教訓は
猪瀬直樹
戦争をめぐる歴史観で言えば、僕らの世代より上の人たちには、戦争はよくないことだったという気持ちは確かにあった。
三百万人も死んで、東京をはじめほとんどの大都市が焼け野原になったんだから、その心情は否定できないよ。
今上陛下が民間出身の美智子さまと結婚されたのは、そうした中での「国民との再契約」という意味があったんだと思う。
そして昭和33年~34年の「ミッチーブーム」で、多くの国民は過去にわだかまるのはもう終わりだと感じた。
ターニングポイントになった。
『東条英機 処刑の日』(文春文庫)で書いたけれども、GHQは昭和23年の今上天皇の誕生日(12月23日)に東条英機らA級戦犯を処刑した。
将来の天皇が誕生日を迎えるたびに、日本人に戦争の事を思い出させようという思惑からだったんだけれども、その日本人はミッチーブームとそれに続く高度経済成長で、戦争の話などすっかり忘れてしまった。
ただ忘れていなかったのが今上天皇で、そのために戦地への巡礼を熱心になされてきた。
美智子さまも陛下の気持ちを十分に理解して、巡礼に付き添ってこられたんだと思う。
八木秀次
陛下だけでなく、教育やマスコミの世界にも、別の意味で忘れていない日教組のような人たちがいたんです。
彼らが教育ガラパゴスの中で自虐史観教育を行い、自虐的なマスコミ報道とあわせて、日本の歴史を貶めてきたわけです。
野田 数
『江戸から東京へ』では、中国関連でも、旧版にひどい記述がありました。
日本は敗戦で「台湾を中国に返還」と書かれていたんです。
猪瀬直樹
よくそんなことを書いたなあ。
台湾は中華人民共和国だということになるじゃないか。
野田 数
改訂版では、
「日本は敗戦によって台湾・朝鮮半島などの支配を放棄」
となりました。
ただ、日本が放棄したのは、本来、サンフランシスコ条約では
「台湾・澎湖諸島における権利、権利名義yと要求」
であり、日華平和条約では
「台湾における日本の領土権」
です。
なぜ、「支配」と書くのか理解できません。
八木秀次
日本を貶めるような表現だと思いますね。
猪瀬直樹
支配といえば支配だけれど。
野田 数
いわゆる「南京大虐殺」についても、旧版は
「日本軍が中国の兵士や民間人多数を殺害」
と記述していました。
教育再生機構の指摘もあって、改訂版では
「日本軍が中国の兵士や非戦闘員を殺害する事件が起こった(南京事件)」
となりましたが、「非戦闘員」では、捕虜なのか民間人なのかも分かりません。
日本ではいずれの殺害もなかったという研究もありますから、(2012年)3月16日の都議会文教委員会で、削除を求めました。
大原正行教育長からは
「さまざまな意見、評価のある事柄については最新の学説を踏まえ、所要の改定を行っていく」
と、削除もありうるとの答弁をいただきましたので、しっかりと見守っていきたいと思っています。
猪瀬直樹
さきほどのハル=ノートの話で、アメリカは満州政権の否認を日本に求めたと言われているけれど、実は、満州を問題にするつもりはなかったという説もある。
それなら日本も妥協する余地はあったかもしれないわけで、いまの北朝鮮のように、粘り強く、したたかに交渉すれば、日本は戦争を避けられた可能性もある。
その点、東京裁判で日本の被告を弁護したアメリカ人弁護士たちは偉くて、結論ありきの茶番劇だと分かっていても、決然と法廷闘争をした。
日本人には「醜悪」と思えるほど頻繁に異議を申し立てた。
ブレークニーなんて
「真珠湾爆撃による殺人罪を問うならば」
と切り出して、
「我われはヒロシマに原爆を落とした者の名をあげることができる。
その国の元首の名前も承知している」
と、堂々と裁判の不当性を訴えた。
日本人弁護士もしばらくして、異議を申し立てないと判事の心証に影響することが分かってきた。
そして被告と、
「これが日本人が外交で失敗した機微だろう。
いやしくも発言する以上は、堂々といってやろうと自重しているうちに、日本代表は満足しているとみなされいた」
なんて話してる。
いま、サンデル教授の「白熱教室」が注目されているけれど、あれは見ておいたほうがいい。
アメリカは、ゲームのようにいろんな意見を主張して、立場や利益を守ろうとする。
日本人は潔さが大事だと考えて正面突破をはかり、はたき込まれて終わり。
歴史を学ぶのであれば、ファクトとともに、こうした教訓も知るべきですね。
そうすれば、言語力やコミュニケーション能力の大切さが良く分かる。
その意味で、今の若者を見ていると本当に心配だよ。
【マッカーサー証言】
(「日本自衛戦争論」該当部)
(朝鮮戦争に介入した中国への対処についてのやり取りの中での質疑。
『正論』2003年11月号~2006年11月号連載
「マッカーサー米議会証言録」
第3回・2004年1月号より)
(質問) 五つ目。
赤化中国を海と空から封鎖するという元帥(マッカーサー)の提案は、米国人が太平洋戦争において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略ではないのか。
マッカーサー
その通りだ。
太平洋戦争においてわれわれは彼らを迂回して、包囲した。
日本は四つの狭い島々に、八千万人に近い膨大な人口を抱えていたことを理解しなければならない。
その半分近くは農業人口だった。
残りの半分は工業生産に従事していた。
潜在的に、日本の党動力は量と質の両面において、私が知る限り最良のものである。
労働の尊厳とでも呼ぶべきもの、人は怠けているときよりも働いて築き上げるときの方がより幸福であるということを、彼らはどこかで完全に気づいたのである。
これほど巨大な労働能力をもっているということは、何か働くための材料が必要だということを意味した。
工場を建設し、労働力を得たが、彼らは手を加えるべき原料を持っていなかった。
日本原産の動植物は、蚕をのぞいてはほとんどないも同然である。
綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、ほかにもないものばかりだった。
その全てが、アジアの海域に存在していたのである。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れた。
したがって、彼らが戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった。
補足すると、中国大陸をめぐってイギリスと衝突すれば、当然、アメリカが出てきます。アメリカは、今もあちこちでやっている方法と同じで、日本への物資の制限をします。
そうこうしているうちに日本はドイツとイタリアと三国同盟を結びます。ヒットラーを悪の枢軸としていたアメリカは、益々日本に経済制裁をしたワケです。
ただ、日本も、アメリカも、お互いにケンカをする気はなく、アメリカは、ドイツなんかと手を切りなさいよ、なんて言ってくれたのですが、三国同盟の段取りをした松岡ナニガシという外交官が、自分のメンツを譲れなかったんですね。
まあ、世界戦争の真っ只中ですから、それぞれの思惑が絡み合って、得体の知れない大蛇となって行ったのでしょう。こうして70年も経ってみれば、一つ一つを解いて、ああだったこうだったと分析出来ますが、猛火に包まれた中では、それは無理だったと思います。
それだけに、尚更、その巨大な渦の中の一粒の水しぶきだけを取り出して、自分の国を責めるなどという人たちの思考回路が、私には理解できないのです(^^;
しかし、この東京都の試み、素晴らしいですね。ただ、国がやらないなら、われわれが!!という図式は哀しいですが、こうやって撒かれた一粒が、やがて育って増えて、いずれ国を動かしてくれることに期待しましょう\(^o^)/
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(1432) マッカーサーはどんなことを言ったのか
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