【正論】
科学の営みが示した放射線被曝の結論
「報告」を読み
論文の数と6年の歳月の試練に耐えた重みを
評価する
東洋大学教授・坂村健
2017.10.26
(http://www.sankei.com/column/news/171026/clm1710260003-n1.html )
《胎児影響を否定した報告書》
9月、日本学術会議から
『子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題』
という報告書が出された。
重要なポイントは「子どもの」と題名にあるように、
特に不安の多い次世代への影響について焦点を絞っている点だ。
福島での影響について今まで明確な結論が出ていなかったのは、
低い被曝(ひばく)量での人体への影響が
他の環境要因に隠れてしまうほど「小さい」から
なのだが、それを伝えることは意外と難しい。
「小さすぎて分からない」ことを
「何が起こるか分からない」と言い換え、
「影響がないことを証明しろ」と
「悪魔の証明」を求め続ける人々がいる。
結局、愚直にデータを積み重ねるしかない。
つまり時間が必要ということだ。
この「報告」は
まさに事故後6年の科学の営みの蓄積から出た、
現時点の「結論」である。
「胎児影響に関しては、
上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている」
とまで踏み込んでいる。
しかし同じ学術会議から、少し遅れて出た
『我が国の原子力発電のあり方について』という「提言」は、
先のような知見に対し
「健康被害が認められるレベルではないという見解の信頼性を問う専門家もいる」
と、だいぶ腰が引けた記述になっている。
《無理に健康被害を言う「提言」》
実は、
先の「報告」を出したのは
・ 「臨床医学委員会-放射線防護・リスクマネジメント分科会」、
後の「提言」を出したのは
・ 「原子力利用の将来像についての検討委員会-原子力発電の将来検討分科会」
だ。
メンバーも完全に異なる。
後者は
法学、文学、経営学、宗教学などの
文系が半分程度を占め、
目的も
社会的影響の側面から原子力政策に提言すること。
健康被害が主題の「報告」とは
検討の度合いもだいぶ違っている。
同じ日本学術会議から出た裏腹な「報告」と「提言」を
読み比べた人が、
『日本学術会議の「合意」を読みとく』
という題で、ネットで報告している。
そのまとめをした服部美咲さんが指摘しているが、
論文の観点から見た場合、
この2つの引用文献の「数と質」には大きな違いがある。
「報告」の引用文献は84件。
しかも質の高い学会の査読を通ったものや、
それらをベースにした国連科学委員会の白書などである。
チェルノブイリ原発事故より被曝線量がはるかに低いという複数の論文や、
現地調査をもとに
「死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られない」
とする複数の論文。
「福島の子どもに発見された甲状腺がんが、
原発事故に伴う放射線被曝によるものとは考えにくい」
とする複数の論文等々だ。
それに対して「提言」の健康管理問題に関する項目の
引用文献は、10本に満たない。
しかも、査読を通っていない一般書や関係の薄い論文も含まれ、
内容にかかわる査読付き論文は2本だけ。
その1本は
国連の科学委員会の白書で
「重大な欠陥がある」として却下されたものだ。
原子力について
社会的影響から政府へ提言するということについては
さまざまな観点があり、ここではその是非は問わない。
しかし、そのことと健康被害の問題は切り離して語るべきだ。
今や貧弱な引用文献をつけてまで無理に健康被害を言うことは、
寧(むし)ろその趣旨を疑わせる弱点に他ならない。
《試練に耐えた重みを評価する》
そのように「報告」は
科学界からの結論として大きな意義のあるものなのに、
マスコミでの扱いはほとんどなかった。
ぜひ知ってほしい-というような内容のコラムを書いたら
「放射線の専門家でもないくせに」というお叱りが来た。
しかし、それでも「科学」については語れるし、
ぜひ知ってほしいことがある。
科学者と言っても人間だ。
一時のプライドや個人の利益のために
結果を捻(ね)じ曲げる人もいる。
奇妙奇天烈な発表も日常茶飯事で、
STAP細胞事件のように一時期、皆が完全に騙(だま)される例も
歴史をひもとけばいくらでも出てくる。
科学は間違える。
「科学=真実」ではなく
「真実に近づくための営み」にすぎないからだ。
しかし、だからこそ「間違い続ける」こともない。
論文、博士号、学会、引用、査読、追試といった「システム」は
そのために存在する。
その不断の検証サイクルにより、いつかは間違いは正される-と期待し、
真実である確率を少しでも高めるための営みが科学だ。
「報告」を読めば、
それを「真実」と仮定してもいいだけの十分に高い確率が示された
というのが、専門家のコンセンサスであると分かる。
不確かなことを結論めいて書けば、
まず飛んで来るのは
同じ分野の「システム」からの集中砲火だからだ。
数年前なら、専門の違う私では、
とても結論めいたことはいえなかっただろう。
しかし今は
「報告」を読み、
・ 査読を通った論文の数と
・ 6年という歳月の試練に耐えた重みを評価し、
これを「結論」としていいと考えている。
(東洋大学教授・坂村健 さかむらけん)
科学の営みが示した放射線被曝の結論
「報告」を読み
論文の数と6年の歳月の試練に耐えた重みを
評価する
東洋大学教授・坂村健
2017.10.26
(http://www.sankei.com/column/news/171026/clm1710260003-n1.html )
《胎児影響を否定した報告書》
9月、日本学術会議から
『子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題』
という報告書が出された。
重要なポイントは「子どもの」と題名にあるように、
特に不安の多い次世代への影響について焦点を絞っている点だ。
福島での影響について今まで明確な結論が出ていなかったのは、
低い被曝(ひばく)量での人体への影響が
他の環境要因に隠れてしまうほど「小さい」から
なのだが、それを伝えることは意外と難しい。
「小さすぎて分からない」ことを
「何が起こるか分からない」と言い換え、
「影響がないことを証明しろ」と
「悪魔の証明」を求め続ける人々がいる。
結局、愚直にデータを積み重ねるしかない。
つまり時間が必要ということだ。
この「報告」は
まさに事故後6年の科学の営みの蓄積から出た、
現時点の「結論」である。
「胎児影響に関しては、
上記のような実証的結果を得て、科学的には決着がついたと認識されている」
とまで踏み込んでいる。
しかし同じ学術会議から、少し遅れて出た
『我が国の原子力発電のあり方について』という「提言」は、
先のような知見に対し
「健康被害が認められるレベルではないという見解の信頼性を問う専門家もいる」
と、だいぶ腰が引けた記述になっている。
《無理に健康被害を言う「提言」》
実は、
先の「報告」を出したのは
・ 「臨床医学委員会-放射線防護・リスクマネジメント分科会」、
後の「提言」を出したのは
・ 「原子力利用の将来像についての検討委員会-原子力発電の将来検討分科会」
だ。
メンバーも完全に異なる。
後者は
法学、文学、経営学、宗教学などの
文系が半分程度を占め、
目的も
社会的影響の側面から原子力政策に提言すること。
健康被害が主題の「報告」とは
検討の度合いもだいぶ違っている。
同じ日本学術会議から出た裏腹な「報告」と「提言」を
読み比べた人が、
『日本学術会議の「合意」を読みとく』
という題で、ネットで報告している。
そのまとめをした服部美咲さんが指摘しているが、
論文の観点から見た場合、
この2つの引用文献の「数と質」には大きな違いがある。
「報告」の引用文献は84件。
しかも質の高い学会の査読を通ったものや、
それらをベースにした国連科学委員会の白書などである。
チェルノブイリ原発事故より被曝線量がはるかに低いという複数の論文や、
現地調査をもとに
「死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られない」
とする複数の論文。
「福島の子どもに発見された甲状腺がんが、
原発事故に伴う放射線被曝によるものとは考えにくい」
とする複数の論文等々だ。
それに対して「提言」の健康管理問題に関する項目の
引用文献は、10本に満たない。
しかも、査読を通っていない一般書や関係の薄い論文も含まれ、
内容にかかわる査読付き論文は2本だけ。
その1本は
国連の科学委員会の白書で
「重大な欠陥がある」として却下されたものだ。
原子力について
社会的影響から政府へ提言するということについては
さまざまな観点があり、ここではその是非は問わない。
しかし、そのことと健康被害の問題は切り離して語るべきだ。
今や貧弱な引用文献をつけてまで無理に健康被害を言うことは、
寧(むし)ろその趣旨を疑わせる弱点に他ならない。
《試練に耐えた重みを評価する》
そのように「報告」は
科学界からの結論として大きな意義のあるものなのに、
マスコミでの扱いはほとんどなかった。
ぜひ知ってほしい-というような内容のコラムを書いたら
「放射線の専門家でもないくせに」というお叱りが来た。
しかし、それでも「科学」については語れるし、
ぜひ知ってほしいことがある。
科学者と言っても人間だ。
一時のプライドや個人の利益のために
結果を捻(ね)じ曲げる人もいる。
奇妙奇天烈な発表も日常茶飯事で、
STAP細胞事件のように一時期、皆が完全に騙(だま)される例も
歴史をひもとけばいくらでも出てくる。
科学は間違える。
「科学=真実」ではなく
「真実に近づくための営み」にすぎないからだ。
しかし、だからこそ「間違い続ける」こともない。
論文、博士号、学会、引用、査読、追試といった「システム」は
そのために存在する。
その不断の検証サイクルにより、いつかは間違いは正される-と期待し、
真実である確率を少しでも高めるための営みが科学だ。
「報告」を読めば、
それを「真実」と仮定してもいいだけの十分に高い確率が示された
というのが、専門家のコンセンサスであると分かる。
不確かなことを結論めいて書けば、
まず飛んで来るのは
同じ分野の「システム」からの集中砲火だからだ。
数年前なら、専門の違う私では、
とても結論めいたことはいえなかっただろう。
しかし今は
「報告」を読み、
・ 査読を通った論文の数と
・ 6年という歳月の試練に耐えた重みを評価し、
これを「結論」としていいと考えている。
(東洋大学教授・坂村健 さかむらけん)
【参考】
放射線被ばく管理
宇宙ステーション(ISS)・きぼう
広報・情報センター
(http://iss.jaxa.jp/med/research/radiation/ )
(抜粋)
地上で我々が日常生活を送る中での放射線による被ばく線量は、
1年間で約2.4ミリシーベルトと言われています。
一方、ISS滞在中の宇宙飛行士の被ばく線量は、
1日当たり0.5~1ミリシーベルト程度となります。
このため、ISS滞在中の1日当たりの被ばく線量は、
地上での約半年分に相当することになります。
JAXAでは、ISS搭乗宇宙飛行士の放射線による被ばくを適切に管理するため、
生涯の被ばく線量制限値を独自に設定し管理を行っております。
地上における年間被ばく線量(出典:国連科学委員会2008年報告書)
JAXAの定めるISS搭乗宇宙飛行士の生涯実効線量制限値
放射線被ばく管理
宇宙ステーション(ISS)・きぼう
広報・情報センター
(http://iss.jaxa.jp/med/research/radiation/ )
(抜粋)
地上で我々が日常生活を送る中での放射線による被ばく線量は、
1年間で約2.4ミリシーベルトと言われています。
一方、ISS滞在中の宇宙飛行士の被ばく線量は、
1日当たり0.5~1ミリシーベルト程度となります。
このため、ISS滞在中の1日当たりの被ばく線量は、
地上での約半年分に相当することになります。
JAXAでは、ISS搭乗宇宙飛行士の放射線による被ばくを適切に管理するため、
生涯の被ばく線量制限値を独自に設定し管理を行っております。
地上における年間被ばく線量(出典:国連科学委員会2008年報告書)
JAXAの定めるISS搭乗宇宙飛行士の生涯実効線量制限値