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私は、いわゆる「戦後教育」ってのを受けてますw
前に、「GHQ」といっても膨大な部署に分かれていて、日本を統治したのは、その中の「民政局」というところで、その顔ききが、共産党にかぶれていたと書きました。
それを知らずに、やみくもにGHQやアメリカを攻撃している文章が、いやになるくらい一杯ありますが、果たして本当に知らないのか、あるいは日本擁護のふりをしてアメリカを攻撃している、共産思想の連中の工作か、そのへんの見極めが必要に思えます。
同じことで、「アメリカの占領政策により」とか「戦後教育によって」といった文章も注意が必要です。
民政局のヤツが、日の丸の国旗を揚げちゃダメだと決めたのを、マッカーサーが取り消しました。 だから私は、日本の家々の門口に、堂々と日の丸の旗がはためく時代に育ち、教育を受けています。
ネットの中で言われている「戦後教育」というものは、それは1980年代あたりからのシロモノだろうよ、と思えます。
1960年に、日米安保条約改正がありました。私はそれに関心がないというか、アメリカが守ってくれれば、こんなラクなことはないですから(笑)気にもしていないので、どこがどう改正されたか知りませんが、とにかく改正があった。
その時、東大生を中心とした大々的な反対デモがありました。女学生が圧死しています。
その同級生だった人が、私が高校の時に、先生になる研修で学校に来ました。あの先生は偉かったなあと思うのは、事件のニュースか何かの話になって、「同級生でした」とひとこと言っただけで、内容のことも、思想的なことも、何一つ、語りませんでした。
その時の東大生の活動家のひとりに歌手の加藤登紀子がいます。その後、他の大学卒の活動家が獄中にいる時に、その人と獄中結婚をしています。
八ツ場ダム反対。自然を守ろうといった団体に、加藤登紀子の名前があります。他にも著名な名前がけっこうありました。
60年安保闘争から10年目に、大々的な学園紛争がありました。仙石さんとか菅さんとか、みずぽさん達の時代ですね。
それを、全員がそうだったかのような書き方をする文章をよく見ます。
60年安保でも冷静にしていた東大生もいれば、学園紛争で休校になると、「やったー\(^o^)/」と遊びに出掛ける学生たちもいて、むしろ、そういう人たちがほとんどで、反対活動なんてやってたのは、ほんの一握りの人たちだったことを知って下さい。
それと同時に、「戦後教育」なんて刷り込みも削除して下さいw
私たち、それこそまだGHQの存在が残っていたような時代に教育を受けた世代は、月曜日には校庭に集合して、日の丸の国旗を掲揚しながら君が代を歌いました。
あれがアメリカの占領政策だったんですかねwww
60年安保、70年学園紛争の活動家たちが社会に出て、職場で、あるいは教育現場で、発言力が出て来た1980年代あたりから、日本は少しづつ汚染されてきたように思います。
今年はサンフランシスコ講和条約締結から60周年。敗戦国日本が、独立国としての主権を回復したのは4月28日でした。それでも政府主催の行事の発表はなにもありません。
世界で一番、平和ボケの日本。
連合国軍最高司令官総司令部
参謀部
1.参謀第1部(G1 人事担当)
2.参謀第2部(G2 情報担当)プレスコードの実施を担当
3.参謀第3部(G3 作戦担当)
4.参謀第4部(G4 後方担当)
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特に諜報・保安・検閲を任務とする第2部(G2)が大きな発言権をもっていた。
占領中に起きた数々の怪事件は、
G2とその下にあったいくつもの特務機関(キャノン機関など)が関与したとも囁かれている。
幕僚部(GHQ/SCAP幕僚部)
1.民政局(GS:Government Section 政治行政)
2.経済科学局(ESS:Economic & Scientific Section 財閥解体など)
3.民間情報教育局(CIE:Civil Information & Educational Section 教育改革など)
4.天然資源局(NRS:Natural Resources Section 農地改革など)
5.公衆衛生福祉局(PHW)
6.民間諜報局(CIS)
7.統計資料局(SRS)
8.民間通信局(CCS)
※
特に民政局(GS)が、「非軍事化・民主化」政策の主導権をもっていたが、
GSには、ルーズベルト政権下でニューディール政策に携わっていた者が多数配属されており、
日本の機構改造のために活動した。
上記は中枢部分で、
1946年1月段階では11部局、
最終的には14部局まで拡大している。
また、GSとG2が日本の運営を巡って対立。
GSが片山・芦田両内閣を、
G2が吉田内閣を支えており、
政権交代や昭和電工事件の要因にはGSとG2の闘争があったとも言われる。
逆コース以後は国務省の後押しもありG2の力が増した。
【逆コース】
戦後日本における、「日本の民主化・非軍事化」に逆行するとされた政治・経済・社会の動きの、左派側からの呼称。
この名前は読売新聞が1951年11月2日から連載した特集記事に由来する。
【チャールズ・L・ケーディス】
ニューヨークに生まれる。ユダヤ人。ハーバード大学法科大学院卒。
鳥尾鶴代と不倫関係にあったというエピソードが有名。
斎藤昇国警本部長官ら旧内務官僚らが、内務省解体をもたらしたケーディスの追い落としを図ってG2に加担。
鳥尾鶴代を通じてこれがケーディスに知られるところとなり、これらに加わった旧内務官僚の警視庁幹部らは左遷されることとなった。
さらにケーディスは自身に火の粉が降りかかるのを阻止するために、日本の政財官界における汚職問題に、矮小化ないし歪曲化した形で、東京地検隠退蔵事件捜査部に事件化(昭和電工事件)させたとの見方もある。
【昭和電工事件】
復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために、大手化学工業会社昭和電工の日野原節三社長が行った政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件。
1948年6月に発覚したが、収賄側として、GHQの下で日本の民主化を進める民政局(GS)のチャールズ・ケーディス大佐ら高官の名前が取り沙汰され、ケーディスは失脚。
裏にGSのライバルで、反共工作を行っていた、G2のチャールズ・ウィロビー少将と右翼の三浦義一の暗躍があった。
【新潟水俣病】
1965年に確認された四大公害病のひとつ。
熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。
新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。
四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。
その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、主なものだけで3つの裁判が起こされている。
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(1321) 日の丸の旗(戦後教育とGHQ)その6
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