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なんだこのコメントの字は?!!というのがいっぱい書かれてあると思ったら、タイで放映されているようです。中は吹き替えなんでしょうねえw
『一休さん』のお話は、ほとんどが江戸時代になってから書かれたものだそうですが、小僧さんをしていた時代が、まさに、このシリーズで書き写している『中世』です。
菅原正子著
『日本人の生活文化』
2008年2月20日発行
第一部 日本人の生活 -西洋と比較して-
第三章 くらしのなかの習慣
4 普及した教育
(1) 男も女も
日本では大部分の男女が読み書きができたことを、フランシスコ・ザビエルとルイス・フロイスは書いている。
1552年(天文二一)1月29日付のザビエル書簡(コーチン発、ヨーロッパのイエズス会員宛)には、日本の教育について次のようにある。
この日本の地には非常に大きな大学が一つあり、バンドウと言います。
そこには大勢の坊主達が自分達の宗派を学ぶために集まっています。
これらの宗派は上述したように、シナから来たものであり、
その教義はシナの文字で書かれています。
なぜなら、日本の文字とシナの文字とは甚だ異なっているからです。
日本には二種類の文字があります。
一方は男性が使用し、他方は女性が使っています。
大部分の人びとは男性も女性も、読み書きができますし、
武士階級の男女や商人たちは際立っています。
尼僧達は自分達の寺院で少女達に書くことを教え、
坊主達は少年達に教えています。
武士達は自らの屋敷で子弟を教育する習慣を持ち、師匠達を抱えております。
ここには、坂東(関東)の足利学校のこと、漢字と仮名のこと、大部分の男女は読み書きができ、特に武士階級や商人たちはすぐれていること、尼は寺院で少女たちに、坊主は少年たちに教え、武士は自邸で師匠を抱えて教育したことがみえる。
日本人の読み書きについては、フロイスの1564年(永禄七年)11月15日書簡(島原発、コスモ・デ・トルレス宛)にも、
「この地(島原)の男子ならびに女子はほとんど皆読み書きを知り」
とあり、当時の日本の識字率の高さを示している。
読み書きは、男性だけでなく女性も習得していた。女子が字を書くことについて、フロイス『日欧文化比較』第二章45には、
われわれの間では女性が文字を書くことはあまり普及していない。
日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。
とあり、日本の上流階級の女性にとって字を書くことは当然の教養であった。
庶民にも読み書きや学問の知識は普及していた。
庶民の男女が和歌・連歌・漢詩・漢字などの知識を身につけていたことは、これまで狂言・御伽草子などの史料から指摘されている。
先掲のザビエル書簡は、尼が少女たちに教え、僧侶が少年たちに教えたことを記している。フロイス『日欧文化比較』第三章8にも「日本ではすべての子供が坊主の寺院で勉学する」とある。
中世では、現代の初等教育にあたる教育は寺院で行われた。
俗人の子弟が寺院で教育を受けた具体的な古い例としては、12世紀後半に平経盛(つねもり)の子経正(つねまさ)が8歳から13歳までを仁和寺で学んだ例がある(『平家物語』巻七「経正都落」)。
庶民の子も寺院で教育を受けた。
13世紀初め成立の『長谷寺霊験記』には、高倉天皇の時代(1168年~1180年)に摂津国住吉の住人の藤五が男子を和泉国巻尾寺に入れて学ばせ、16、7歳のときに呼び戻して跡を継がせようとしたところ、その男子は17歳で出家して僧になってしまったという話がある。
また、16世紀後半に、興福寺多聞院(たもんいん)の英俊のもとには奈良の商人の子供たちが手習のために預けられており、なかには女子もいた。
村の寺庵でも読み書きを教えていたことが指摘されている。
先のザビエル書簡には尼が少女たちに書くことを教えたことが記されているが、この史料はこれまで女子教育の史料として取り上げられてこなかったと思われる。
尼寺は女子の教育機関でもあった。
戦国時代には日野富子の親戚の「しょうせい」という女性は、5歳のときに比丘尼(びくに)御所の大慈院に入って経の読み方を教わり、宮仕えをする年頃に寺を出て嫁ぎ先を探している。
比丘尼御所は天皇家や将軍家の娘が住持を務めた尼寺で、上流階級の女子を預かって教育する機関でもあった。
これら寺における教育は、近世に各地で寺子屋という教育機関としてさらに発展していった。
また、貞亨五年(1688年)刊の井原西鶴作『日本永代蔵』巻二「世界の借屋(かしや)大将」には、「女寺へも遣(やら)ずして、筆の道を教、ゑひもせす京の、かしこ娘となしぬ」とあり、この「女寺」は中世に教育を行った尼寺の系譜と思われる。
ということで、日本はいかに世界でも有数の識字率を誇っているか。そしてそれは今今のことではなく、4、500年前にはすでにそうだったという、物凄い民族なのです。
このあと、ではその寺子屋で何を学んでいたかというのが書かれてあるのですが、あまりに凄すぎて省略します(笑)まあ、ざっと、お経から論語から古今和歌集から伊勢物語から和歌・連歌はいうに及ばず、遊芸・笛・尺八などの音楽、蹴鞠(けまり)から乗馬から・・・・\(^o^)/
面白いのは、ヨーロッパでは「読む」ことから習うけれど、日本では「書く」ことから習ったという記述がフロイスの著書にあるそうです。
この他、まだまだカルチャーショックを受けたことが沢山あるのですけれど、全部を書き写しているのも疲れるので(笑)西洋文化に汚染される前の日本は、かくも生活文化が進んだ国であったというのを、今までの断片から想像して頂くことで、季節がら、次回に〔節分〕を写して終わりにします。
(847) 中世日本の男と女とジェンダー
(848) 中世日本の夫婦のあり方(1)夫と妻と妾
(851) 中世日本の夫婦のあり方(2)夫婦別財
(852) 中世日本は離婚が多い国だった
(855) 中世日本では男色も普通だった\(^o^)/
(856) 中世日本の毎日の食事
(858) 中世日本ではすでに普及していた教育
(860) 中世日本の節分
もっと身近に