防大生に与える
昭和三十二年三月
防衛大学校一期生卒業時の吉田茂の訓示
独立国の国民として、国の独立ほど大事なものはなく、この独立を守る事こそ、国民としての名誉であり、誇りであり、この誇りが愛国心の基礎をなすものである。
国民に独立を愛し、独立を守る決心なくんばその国の存在はあり得ない。
この決心が一国の興隆繁栄を来すのである。
第一次世界大戦の始め、パリ―がドイツ軍に、正に占領せられんとする時、首相クレマンソーは国民に告げて曰く、『パリ―の外で守り、パリ―の内で守り、又、パリ―の外において守るべし』と。
フランス国民にもこの決心ありたるが故に、破竹の勢いを以て、攻め来たりたるドイツ軍を遂にパリ―の外に退け得たのである。
第二次世界大戦において、英国軍が仏白国境に破れて、ダンケルクより三十万余の敗残兵僅かに身を以て英国本国に引揚げ、武器、弾薬、悉(ことごと)く大陸に遺棄し、国内には国を守る何等の兵備なく、ドイツ軍の英国侵入は時の問題とも思われた時、チャーチルは議会に演説して曰く、
『英国内において敵を防ぎ、英国外においてこれと戦い、遠くカナダに退いてドイツ軍と戦う』
と言った。
英国々民の戦闘意識を最も明白なる言葉を以て言い表わしたものである。
(註:仏白=「仏蘭西」と「白耳義(ベルギー)」
クレマンソー及びチャーチルのこの決心がパリ―を守り、英国を守り得たのである。
然しながら、兵器は凶器である。
これを用うるは苟(いやしく)もすべきではない。
又、これを用うるにおいてはこれを止むる用意がなければならない。
所謂(いわゆる)、武なる文字は、矛(ほこ)を止むると書くのである。
日露戦争の時、児玉参謀総長は、奉天会戦を以て日露戦争を終わるべき時なり、と大本営に進言して、兵を収めて日露戦役の功を全うした。
この遠謀深慮ありてこそ武将と言うべく、然るに、第二次世界大戦における我が軍は、その勇戦善戦、日露戦争当時に比べて優るとも劣ることなかりしにも拘らず、進むを知って退くを知らず、遠くブーゲンビル、ラバウルまで進出して徒(いたずら)に大兵を孤島に集中暴露して、日本本土との連絡の用意なく、米軍のために我が艦船、飛行機等の皆滅せらるるや、遂に本国との連絡を絶たれて、大兵空しく、南洋海上の孤島に置去りにされて全敗、遂に南方作戦は頓挫した。
歴史の示すところは、以て、将来の戒めとすべく、兵を用いて兵をとどむるの用意なくんば、善謀善戦も何の益するところなし。
兵を学ぶ諸君、常に茲(ここ)に心を致されんことを望む。
(1602) 防衛大創設の父・吉田茂の「歴史に残る名訓示」
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-18 )
戦争放棄の理想も自衛には道を譲れ
by ダグラス・マッカーサー
昭和二十五年(1950年)一月元旦
(1684) (1) 東條英機の遺言
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15 )
(1685) (2) 吉田茂からマッカーサーに宛てた文書
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-1 )
(1686) (3) マッカーサー証言
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-2 )
(1687) (4) 戦争犯罪人の名誉の回復 その1
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-3 )
(1688) (5) 戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-4 )
(1689) (6) 吉田 茂の名訓示
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-5 )
(1690) (7) 昨日でも明日でもなく、今日の日本
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2013-01-15-6 )
↧
(1689) 戦争放棄の理想も自衛には道を譲れ(6)吉田 茂の名訓示
↧