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(1581) 「日本」という自画像の獲得を

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(1577) 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-04-1)

(1578) 「孤立」によって「強さ」を獲得した聖徳太子
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-05)

(1580) 「孤立」を恐れ中韓両国に“臣従”する愚
(
http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-09-06)



①世界地図ドキュメント小.gif
クリックすると大きなのが見れます。



「日本」という自画像の獲得を



識者の中には
首相の参拝は8月13日でも良かったではないか、
それよりも春と秋の例大祭に参拝するようにすればよい
という意見を述べる向きもある。

このような“気の利いた”意見を述べる論者が
首相に春秋の例大祭への参拝を求めた
という話も聞こえてこない。

それはともかく、以上のような一連の経緯を踏まえれば、
そのような意見は思慮を欠いたたわごとの類と言う他はないだろう。



今年(平成13年)の8月15日
首相参拝が実現できなかったという“事件”意味するのは、
我が国政府
靖国神社に祭られている英霊その方々の遺族の想いよりも
やはり
「近隣諸国との友好・親善」優先し、「アジアの一員」であることを選択した
ということである。



小泉首相は心ならずも15日参拝を断念したと言うかも知れない。

しかし、首相の主観とは無関係に、15日参拝を
中韓両国の外圧それに同調する「日奸」押し切られる形で断
念した
と言う事実が示す冷厳な意味は
8月15日の靖国神社参拝“踏み絵”にする形で
我が国政府が「アジアの一員」であること、
すなわち
中韓両国に政治的意味においても歴史認識においても“臣従”することを
改めて確認させられたということである。

ここでも「孤立」を恐れた我が国政府は
靖国神社の英霊を“売る”ことによって
事実上、
中華文明に組み入れられることを選んだのである。



以上、教科書問題と小泉首相の靖国神社参拝問題をめぐって
「アジアの一員」という我が国の自画像
如何に我が国の独立を無にし
中華文明への事実上の“臣従”を招いているか
ということを振り返ってみた。

それにしてもあらためて事実を確認する作業を通じて、
今年(平成13年)の夏が我が国にとって
如何に惨(むご)い季節であったかが思い知らされる。



「アジアの一員」という自画像が招く錯誤は
(平成13年・2001年)9月11日に発生した
アメリカ同時多発テロをめぐる議論にも表れている

たまたま目にした一例だが、早稲田大学教授坪井善明氏
「対テロ・アジア国際協力体制の構築を」
と題された論文(『世界』平成13年12月号)はその典型である。



坪井氏はこの中で
日本グローバル化したテロ対処するためにも、
対テロに関する国際協力体制の構築に参画するとともに、
アジア地域協力構想アジア諸国と一緒に立ち上げるために
イニシアティヴをとるべきである」
提言する。

具体的には
サッカーのワールド・カップを共催する韓国
テロ対策を含めて緊密な共同行動をとること、
中国との関係では
「アジア検察機構」構想を提起すること、
マネー・ロンダリングを防止するためにも
警察レベルだけの協力ではなく
銀行間同士で情報交換ができるような仕組み共同開発する試みをすること
提案されている。



我が国とは国家体制国民性異なる近隣諸国
簡単に警察情報金融情報交換する弊害について
考えてもみない呑気さには正直言って敬服する
(つ彡☆バンバン)、
ここまではまだかわいいものである。

坪井氏は続けて
北朝鮮地域協力参入できるような働きかけをする必要がある
提言するに至る。 (つ彡☆バンバン!ババンバン!)



坪井氏は言う。

「当面、日本米国にも働きかけて、
金大中大統領の進める『太陽政策』支援するとともに、
北朝鮮にも
テロ対策のための地域協力体制への参加呼びかけるべきである

さらに、中国に対しても
北朝鮮『テロ支援国家』でないことを自ら声明することを含めて、
地域協力体制への参加促すように求めていくべきであろう
( ポカ~ン・・・)



150人にものぼる我が同胞を拉致し、
我が国に向けてミサイルを撃ち放つ
「テロ支援国家」いや、真正の“テロ国家”北朝鮮とともに
テロ対策をしようなぞという主張には
「おい! 正気か?」
と叫びたくもなる。

しかし、おそらく坪井氏これ本気で構想しているのだろう
(・・・タラー・・・)



では、なぜこのような奇妙な主張が展開できるのか
これも日本が
アジアの中で「孤立」することに対する脅迫観念がそうさせるのである。

日本アメリカに追随するばかりの“一国主義”である。

「アジアの一員」として孤立してはならない--

このような観念が坪井氏のような“アジア主義を構想させるのである。

(ルーピー鳩も同じだったね!!
   ということは、
   マジでやろうとしてる、実際にやって
る、なんですね、
   おい!正気か?という連中が・・・)




「アジアの一員」という自画像が招く錯誤に少々紙幅を使い過ぎたかも知れない。

残りの紙幅を使って「西側社会の一員」という自画像について考えてみたい



アメリカに向ける我が国のまなざし
我が国も「西側社会の一員」と見て欲しいということで一貫しているように思える。

例えば今回(2001年)のアフガニスタンにおける対テロ戦争においても
我が国政府の姿勢はもっぱら「対米協力」貫かれている

「国際協力」「国際貢献」の場から、同盟国の立場からの行動である。

これは湾岸戦争での資金協力
クウェートにさほど感謝されなかったという苦い教訓を踏まえてのことであるが、
“一国平和主義”脱して「普通の国」を志向したものとして
一歩前進評価できるものではある。



しかし、このような
「西側社会の一員」として「普通の国」を志向する
という姿勢は今や時代遅れになろうとしている。

各国によるアイデンティティ・ゲームとパワー・ゲームが繰り広げられている
ポスト冷戦時代ないし今日の「新・冷戦」時代に必要なのは
「普通の国」を超えて
自国のアイデンティティを確立し、国益の立場から政策や戦略を構想することである。

すなわち「西側社会の一員」ではなく、“日本”という自画像描くことである。



対テロ戦争についても、
アメリカの同盟国として対米支援を行うことはもちろんであるが
それはアメリカのためではなく、
あくまで我が国の国益の立場から行うのだ
という思考取り戻すことが重要である。

京都大学教授中西輝政氏
石原慎太郎氏との対談
(「『強いアメリカ』の終わり?」『Voice』2001年12月号)
で言うように、
「アメリカが日本の役に立っているあいだは、同盟の絆を大事にする」
という前提明瞭にすることである。

そこを外すと空疎な「国際貢献論」となり、
その結果、
我が国はアメリカから最も不利な役回りを押しつけられ、
法外な負担を負わされることになるので、
これは今後の対米アプローチとして大切だと中西氏は指摘している。



言うまでもなく、これはアメリカに身を委ねることではない。

一方で対米協力を行いながら、
他方で我が国は自分の力で自分を守ることができるよう
体制整えていく必要がある。

これはアメリカが今回(2001年)のテロを切っ掛けとして
今後、
(アメリカ)本土防衛安全保障政策重点を移していくであろうことを踏まえて、
在日米軍を当てにしない我が国の防衛体制整備することである。

憲法改正もそのためには不可欠である。



戦後この方、我が国の国民には「西側社会の一員」という自画像によって
自国を外敵から守る
という独立国としては当り前のことでさえ、当事者意識が希薄であった。

自国(日本)防衛をも
在日米(アメリカ)軍によって支えられた
我が国の鼓腹撃壌も終わろうとしている。

その意味でも我々は今こそ“日本”という自画像を獲得しなければならない



アメリカ我が国国土を守る代わりに
あらゆる面で我が国に“臣従”を求めてもいる

“アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ”を“、
人類普遍の原理”、“グローバル・スタンダード”と称して強要している。

しかし、これも
我が国が「西側社会の一員」という自画像を持ち続ける限り、
無理な要求とは言えまい。

西側社会の首領であるアメリカ
そのメンバーである日本それを求めても当然である



今、我が国
自らが「家族を持たない孤立した文明」であること深く自覚しなければならない。

日本文明唯一の構成国として自画像を描き直さなければならない



我が国はこれまで自画像の錯誤から
近隣諸国
アメリカ
“臣従”する結果を招き、
煬帝によって草むしりを命じられた東突厥の王のような
屈辱的な扱いを受けてきた

また「アジアの一員」や「西側社会の一員」であることを志向する余り、
“友好・親善”美名の下に
屈辱を屈辱とも感じないできた



しかし、自画像を描き直すことで
我が国文明的な「孤立」を「強さ」に変えることができる

「孤立」宿命的なものだと合点することで
逆に
「孤立」を恐れず国益の立場から国家戦略を練り直すことができる

そうなったとき、「孤立」は力強い「自立」へと変わるだろう。

聖徳太子事跡
我が国民の能力としてそれが可能であることを
我々に教えてくれるものでもあるのだ



※初出『月刊正論』平成14年(2002年)1月号



別冊『正論』Extra.03
今こそ問う
日本人の志はどこへ行った

2006年07月20日発行より





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ピカソ
『鏡の前の少女』 (1932年)







(504) 罪人を作るのが生きがいの弁護士集団\(◎o◎)/!
(
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