昔、こんな理想があった。
西洋の家に住んで、日本人の奥さんをもらい、中国料理を食べる。
これは日本人の理想ではなく、実は西洋人の理想だったのだが、あれから半世紀くらい経っただろうか、この理想形態で暮らしているのは日本国民だけかも知れない。しかも料理に至っては、中国料理どころか世界中のグルメが日常の食卓に並ぶ。
しかし、西洋人が夢に描いた日本人の奥さんはどうだろうか・・・
日本民族というのは元々〔和〕を受け入れることを由としてきた民族なので、それが国内に留まらず、グローバルとなった現在に至っては、もう、なんでもかんでも取り入れてスッチャカメッチャカ文化と化し、日本古来の文化なんてものは絶滅危惧種みたいなものになってしまった。日本人の奥さんなんてものも、もはや絶滅しているかも知れない。
今日、なんとなく本をパラパラやっていたら、どうやら読みかけだったらしく紙片がはさんであったページが開いた。なにしろ気分屋のうえに物忘れは天下一品だから、読みかけで来客でもあったのだろう、そんなものはまるで覚えていない。
2006年の『正論』にある、呉 善花(オ・ソンファ)さんという、韓国の売国奴である(笑)日本の大学教授の論文なのだが、帰化して日本人になったとはいえ、成人する頃まで日本を外から見ておられたのだから、その冷静な観察には敬服させられた。
その論文の中に、こんなことが書かれてありました。
キリスト教でもイスラム教でも仏教でも儒教でも、神様や仏様などに向かう態度は、ふざけたところがあってはならない真剣なものだから、教会や寺院などでは、それなりの儀礼というものがある。
ところが日本の神道だけは、神様に向かう前にこそ、日常的な行為や態度を慎み、身を清め、真摯に向かうのだが、いざ神様に会うと、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをする。
こんな民族は日本人しかいないと、そういったことですwww
思わず、うーん・・・と唸っちゃいました。言われてみると確かにその通りで、なるほど、それがこの、ハロウィンであろうがクリスマスであろうがバレンタインであろうが、なんでもかんでもドンチャン騒ぎなのかと、非常に納得したのです。
〔いい子にしてないと、サンタさんが来ないわよ〕とか言い聞かせて、日頃の行いを慎み、いざ、クリスマスになると前夜からドンチャン騒ぎ。
しかしキリスト教徒たちは、おごそかに賛美歌を歌いながら、謹んで神様と対面する。ドンチャン騒ぎは大みそかから元旦にかけて盛大に騒ぐ。
その大みそかにはお寺の鐘を突きに行ったりして、おごそかに過ごし、謹んで初陽の出を待ち、神様とご対面の時には再びドンチャン騒ぎとなる日本には、絶滅したかも知れないと危惧していた日本文化が、しっかりと根づいているのですねえ。
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(1279) 不可解な日本人
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