一筆啓誅 NHK殿
(1) 感動した三月十一日放送の歌劇『古事記』
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-06-18-1)
(2) 若い世代のために再放送すべし
(http://hawkmoon269.blog.so-net.ne.jp/2012-06-19)
『正論』2012年5月号より
一筆啓誅 NHK殿
皇學館大学非常勤講師
本間一誠
「日本人は何を考えてきたのか」に見る恣意
ところでそのEテレでは何をやつてゐるのか。
「教育テレビ」改め「Eテレ」なる奇態な呼称は使ひたくもないのだがそれはさて措く。
そのEテレが一月に特集シリーズとして放送したのが「日本人は何を考えてきたのか(明治編)」である。
東日本大震災を経て、今日本は歴史の転換点にあり、嘗て日本人は歴史の転換点で何を思ひ描いたのか、その知の歩みに未来を解く鍵を探さうといふのが第一回の冒頭で語られる本シリーズの狙ひである。
些か話柄が古くて恐縮だが、今回これを取りあげるのはその内容がずつと気になってゐたからである。
七月には大正編、来年一月は昭和編を放送する(既にホームページで内容が予告されてゐる)とのことだから、明治編に窺はれる番組内容のある種の傾向は今後も一貫して変るまい。
因みに明治編は
第一回 「日本はどこへ行くのか~福沢諭吉と中江兆民」(一月八日)
第二回 「自由民権 東北から始まる」(一月十五日)
第三回 「森と水と共に生きる~田中正造と南方熊楠」(一月二十二日)
第四回 「非戦と平等を求めて~幸徳秋水と堺利彦」(一月二十九日)
である。
上に述べたある種の傾向を大雑把に言へば、それぞれの回における番組に底流してゐるのはやはり国家権力と反権力(民衆)のありやうを単純な善悪の対立図式で描き、道理は常に後者にあつて、それを際立たせるために都合の良い部分のみを取り上げる、もしくは都合の良い組立て方をするといふことだ。
逆に言ふと不都合な部分は取り上げない。
つまりは史実の「つまみ食ひ」といふことである。
左翼史観の通弊がこれだ。
加へて言へば、その国家権力の頂点にゐるのが天皇なのだといふ暗示もしくは含みを、特にナレーションによる番組内容の運びの要所に感じるのだ。
『巧妙な騙しのロジック-無視された尊皇意識』に続く。
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(1459) 一筆啓誅 NHK殿(3)「日本人は何を考えてきたのか」に見る恣意
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