【都の尖閣購入計画】
戦前より私有地
東京都が購入後も「石垣市」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120418/edc12041800130000-n1.htm
尖閣諸島は、明治28(1895)年にわが国の領土に編入された。
それに先立つ明治17年(1884年)、
福岡県出身の実業家、古賀辰四郎氏が同諸島を探検、
漁業などを始めたのが開発の始まりだった。
国立国会図書館外交防衛課の
浜川今日子氏の論文『尖閣諸島の領有をめぐる論点』によると、
明治29年(1896年)に沖縄に郡制が敷かれると、
魚釣島、久場(くば)島は八重山郡に編入され、
北小島、南小島とともに国有地に指定、地番がつけられた。
政府は同年、これら4島を、古賀氏へ30年間無償貸与。
昭和7年(1932年)に古賀氏の子息へ払い下げられ、私有地となった。
古賀氏は、
アホウドリの羽毛の採取や、
グアノ(海鳥糞)の採掘、
カツオ節工場などの事業を営み、
最盛期には130人余りが生活。
毎年、地租を納めていたという。
太平洋戦争前の昭和15年(1940年)ごろ無人島となり、
米軍統治を経た昭和49年(1974年)~63年(1988年)、
親しかった埼玉県の男性(69)一族へ譲渡された。
今回購入対象となった3島は男性が所有。
久場島は男性の妹名義で、
昭和47年(1972年)から米軍の演習場に提供されている。
昭和40年代に、
石油や天然ガスなど大量の地下資源を埋蔵する可能性が
確認されると、
中国や台湾が一転して領有権を主張。
昭和53年(1978年)に中国漁船140隻が押し寄せ、
うち40隻が領海内で操業を繰り返すなどトラブルが相次いだ。
政府は平成14年(2002年)から、
「4島の平穏かつ安定的な維持のため」として
今回購入対象の3島を借り上げ、
上陸を禁じている。
先月には、
久場島と大正島のそばにある岩のような小島4つを含む
同諸島周辺の無人島39島に
政府が命名。
中国も対抗して同諸島周辺の70島に名称をつけた。
尖閣諸島の現在の住所は「沖縄県石垣市登野城(とのしろ)」。
総務省によると、行政区域と所有権は別問題であり、
東京都の購入後も石垣市のままとなるという。
現在の地主さんは、
現地は豊かな漁場が広がり、手つかずの自然が残る。“自然遺産”としての活用や、前所有者の像の島内建立など、誰もが訪れることができる自然公園などとして活用されたらいいな
といったようなことを話されているそうです。
東京都が、遥か離れた尖閣諸島を買うことに疑問を抱いた人もいるようですが、都道府県だの市町村だの、会社だの、学校だの、諸々が、保養所とか研修所とか支店だとかってものを、遥か離れた土地に持ってたりするじゃないですか。会社なんてハワイだのなんだの外国に保養所を持ってるのもある。それと一緒ですね。
東京都は、三宅島のバイクレースが、ほぼ挫折しています。現代社会は、自分ちの庭に木を植えるのでさえ、近隣から苦情や反対の手が上がったりしますから、何をやるにしても困難ですけれど、南の外れで、ひっそりと日本を護っている無人島が、一刻も早くファンタジックな島に生まれ変わって欲しいものです。
沖縄県・尖閣諸島の魚釣島。
手前は警戒監視活動をする海上自衛隊のP3C哨戒機=2011年10月
2012年04月18日