【失ったものの大きさ】
麻生太郎 2009年6月11日 「企業の現場を見るのは?」
総理は週末、企業訪問をされていますが、現場を見て思うことは?
政治の「失われし20年」を越えて
拓殖大学大学院教授・遠藤浩一
2011年1月11日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110111/plc11011103070051-n1.htm.
≪自由民主主義は勝利したのか≫
国防・安全保障上、何か積極的な発言をしたり、実際にそうした措置を採ろうとしたりすると、「依然として冷戦思考に囚(とら)われている」と批判する向きが少なくない。
一部メディアは、自衛隊が新装備を導入しようとすると、決まってこんな表現で牽制(けんせい)する。
民主党の支離滅裂な外交・安全保障政策を擁護しようとする提灯(ちょうちん)持ちも、しばしばこれを口にする。
最近では中国の海洋進出に対応して、南西諸島への沿岸監視隊配置など、島嶼(とうしょ)防衛を打ち出した新防衛計画大綱に対して、当の中国が、「冷戦思考を捨てていない」と噛み付いてみせた(昨年12月18日、国営新華社通信)。
笑止である。
彼らにそれを言う資格はない。
彼の国こそ東アジアの冷戦構造を固定化・深刻化させている張本人だからである。
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊すると、これで冷戦は終わったと、皆、大喜びしたものである。
「自由民主主義」の全面勝利を言祝(ことほ)いだフランシス・フクヤマは、中国においても「全体主義は破綻した」と断じ、「経済近代化は、国家から力を奪い取り、市民社会の勢力を伸ばした」と解説してみせた(『歴史の終わり』)。
一方で、フランス人ジャーナリストのギ・ソルマンは「見せかけの自由化に隠れて、絶大なリヴァイアサン(怪物)国家を温存する欺瞞(ぎまん)」を指摘している(『新《自由の時代》』)。
その後の東アジア情勢を見る限り、後者の見方が正しかったと言わざるを得ない。
≪絶大な怪物国家が出現した≫
中国における「経済近代化」は、「市民社会」とやらの勢力伸長によって実現したものではなかった。
現在の中国の経済成長は、
(1)共産党政権による全体主義的統制
(2)臆面なき軍拡
(3)貪欲な資本原理主義の追求
の3つを巧妙に組み合わせたものである。
まさに「絶大な怪物国家」の出現である。
ベルリンの壁が崩れる5カ月前(89年6月4日)、中国政府は民主化を求める若者たちを、共産党の軍隊たる人民解放軍の武力によって蹴散らした。
軍隊が、国家ではなく、国家を支配する政党に所属するのは全体主義体制の特徴の一つだが、この時以来、中国は、徹底的な力の行使を背景とした、貪欲な資本主義(「国家資本主義」)の追求を始めたのである。
アダム・スミス以来、私どもは、経済的自由と、政治的自由を、一体のものと考え、人は豊かになれば政治的な自由を欲するようになると思い込んできた。
中国で改革・開放が進めば、民主化機運が高まるだろうと期待する向きが少なくなかったと思う。
しかし中国共産党は二つを完全に分離させ、自由を犠牲にする格好で、ひたすら富を追求して今日に至っている。
ときどき、中国人留学生と話していて憮然(ぶぜん)とさせられるのだが、彼らは口を揃(そろ)えて、「経済を発展させ、豊かになるためには、政治的統制は必要だ」と言う。
ヒトラーの第三帝国では、国民は消費生活を楽しむ一方で全体主義的統制に順応していったが、現在の中国でもまったく同じ光景が繰り広げられているわけである。
さて、平成に御代(みよ)代わりしたわが国は、バブルが弾け、経済の低迷期に突入する。
「失われた10年」とか「20年」とかいわれるが、その含意は、いうまでもなく経済社会の損失である。
間欠泉のように噴き出る構造改革論の求めるところも、「経済社会の構造改革」だった。
もちろん、強い経済をつくるための改革に臆病であってはならないが、専ら経済社会の構造改革に特化し続けてきたところに、平成日本の過ちがあったと言わなければならない。
≪今こそ求められる冷戦思考≫
経済さえ、経済だけ、なんとかすればどうにかなるだろうと高をくくる日本を尻目に、すぐ隣では、政治、軍事、経済のすべてにわたる覇権路線を着々と歩む大国が出現した。
わが国は、これを拱手(きょうしゅ)傍観するばかりだった。
いや、むしろ彼らの覇権戦略に手を貸してきたというべきだろう。
この間、中国側にとって絶大な効力を持ち続けたカードが、歴史認識だった。
今回の防衛大綱に対する批判でも、「侵略の歴史をきちんと反省せず、やたらと対中批判をしている」と付け加えるのを忘れない。
力を誇示しつつ歴史認識カードをちらつかせ、貪欲に利潤を追求する国家資本主義大国と、どう対峙(たいじ)していくかという問題は、昨日今日突然、出来(しゅったい)したものではない。
この二十余年間、突きつけられてきた深刻な問題である。
しかし日本政治は、これと正面から向き合おうとしなかった。
その場凌(しの)ぎの対応を続けてきた揚げ句、存在しないはずの尖閣をめぐる領土問題がいつのまにかできてしまい、今や東シナ海は世界でも最も緊迫した海域になっている。
東アジアでの生き残りを図らねばならぬわが国こそ、「冷戦思考」が求められているのである。
「政治の失われし20年」の代償は決して小さくない。(えんどう こういち)